01:ナナ、アメに夢中
お菓子は甘くあるべきだ。
甘くないお菓子なんてお菓子じゃない。いや、そりゃしょっぱいものも欲しくなるよ?わたしはスナック菓子も大好きだし。
でも、甘いものは別腹って言うじゃん。そんな言葉があるくらい、甘いものは偉大なんだよ。
その他の味覚はご飯で補えばいい。わたしは酸っぱいのも辛いのも、みーんなみーんな大好きだ。
でも、お菓子は甘くあって欲しい。クリームにチョコレート、キャラメル、カスタード、キャンディ。甘くて甘くて、胃がもたれてしまうくらい甘く。
恋も、そんなお菓子みたいに甘かったら良かったのに……。
■□■□■
「いってきます」
家の中にそう声をかけると、返事も待たずにわたしはドアから手を離した。
後ろで大きな音が聞こえたけど気にしない。微かに聞こえた声はもっと気にしない。そのままエレベーターのボタンを押す。
ふわぁ、眠い。
タイミングが悪かったのか、二つあるはずのエレベーターはどちらも一階だった。十階まで上がってくるのにもう少しかかるだろう。
手持ち無沙汰なのでポケットに手を突っ込めば、指先に乾いた感触。取り出せば、手のひらに飴玉。先月から入れっぱなしだったのようだ。袋がしわくちゃになっているし、微妙にくっついている。
でもまぁ、いっか。イチゴミルク味のそれを迷わず口に入れた。
うん、甘い。
外に出ると、真っ先に風が頬を撫でた。温かな日差しとは対照的に風はまだ冷たい。嫌だなぁ。
ストールに口元を埋め、わたしはたらたらと歩き出した。
足を引きずる歩みは実際に遅い。小学生やサラリーマンにどんどん追い抜かれていく。でもどうでもいい。
唯一の癒しである口の中の飴は、だいぶ小さくなってきていた。ガリッと音がする。あ、噛んじゃった。割れた飴が口内に散らばる。
もういい、食べてしまえ。数度噛み砕き、飲み込んだ。甘いイチゴミルクの名残りが、口内に広がる。
どうしよう、なんかお腹空いてきた。でもリュックを下ろして探すのもめんどくさいし。
悶々と考えている間にも、どんどん歩みは遅くなる。もうなめくじの気分だ。すると、ある人物の後ろ姿が見えた。
微かに俯き、何かを見ているようだ。携帯で時間の確認でもしているのだろう。
まぁ、そんなこと知ったこっちゃない。
その後ろ姿に、のんびりだった歩調を速めた。素早く、けど足音は立てずに。ある程度の距離まで近付いたら、わたしはその背中に飛びついた。
「アーヤ」
「うわっ!」
衝撃と同時に上がる声。低すぎないハスキーボイスが耳に心地良い。驚いた声だろうと、良い声は良い声だ。
アヤの細腰を抱き締めながら、背伸びをして肩甲骨の隙間にぐりぐりと額を押し付ける。亜麻色の毛先があごを擽るが気にしない。
それと、念のために言っておくが、わたしの背は低くない。アヤの背が高いのだ。ミニスカだからか、足も長く見える。羨ましいなんて思っていない。全然、まったく、これっぽっちも。いや、マジで。だってミニは寒いじゃん。スカートは膝丈が一番です。おっと、そんなことより。
わたしは腕を離してアヤの前に回った。何も言わず、口だけ開ける。自然と見上げる形になるせいかあごも首も痛い。でもわたしは黙って耐えた。
目が合って一秒。アヤはため息を一ついて携帯をポケットにしまった。代わりに出てきたのは黄色い飴。棒付きのそれから包み紙を剥がし、餌を待つ雛鳥状態のわたしの口に突っ込んだ。
途端にレモンの味が口いっぱいに広がる。うまうま。さすが親友、わたしが何を欲していたのかわかっていたようだ。
きっと、今のわたしは満足気な顔をしていることだろう。モゴモゴと口を動かしていると、アヤも笑った。
「おはよう、ナナ」
「ほはひょう、ふぁや」
「飴は出して喋りなさい。何のために棒付きにしたと思ってんの」
額にチョップされた。でも痛くない、なんてことはない。手加減という言葉を知らないのだろうか、まったく。
かくいうわたしも飴はそのままだ。直す気なんてさらさらない。舌先の幸せに全神経を注ぐ。そうすれば先に諦めるのはアヤのほうで、わたし達は学校へと足を動かし出すのだった。
わたし達が通う高校はちょっとした丘の上にある。駅からそう離れていないのだが、校門まで続く坂道のせいで距離に反して長く感じてしまう。かくいうわたしもその一人だ。
「アヤ、おんぶ」
「却下」
「……」
「こら、カバンを掴むな、重い」
ははは。苦しめ苦しめ。てか、離せと言いつつ振り払いはしないんだよね、アヤは。甘いね。イチゴミルクよりも甘いよ。
引きずられていくうちに、ようやく校門が見えた。そこから桜並木道が続き、白い校舎にたどり着く。
風に舞う桜の花びらと真っ白な校舎は絵になる。相変わらず最高の外観だ。この写真に魅了されて入学してくる生徒も少なくない。実際に通ってみると、坂道のしんどさに騙された気分になるらしいが。
他にも、うちの学校には良い面の裏に悪い面が備わっている。その良い例が私立の割りに校風は自由だが、やり過ぎると厳しい風紀委員会の罰則があることだ。節度ある人間に育つためとかなんとかだったかな。自由の裏には守るべきルールが存在するのは当然のことらしい。ここの卒業生であるお母さんが言っていた。
まぁ、校舎や校風なんてわたしにはどうでもいいことだ。そんなことで学校を選んだりはしない、魅力はそこじゃないから。
わたしがここを選んだ理由。一番の魅力はとびきり美味しい学食だ。
これにも少し高くて毎日食べられないという難点があるけど、そんなことが気にならないレベルの美味しさなのだ。なんでも、どこぞのホテルでシェフをしていた人が作っているらしい。卒業までに全メニュー制覇が、わたしが高校生活において掲げる唯一の目標である。
あ、食べ物の話してたらまたお腹が。レモンの飴もとっくになくなったし。もう動きたくない。
「ナナ、へばるな!」
校門を過ぎた辺りで力つきたわたしの腕をアヤが引っぱる。嫌々顔を上げると同時に口に何か入れられた。これは!
「ほら、クラス発表見に行くよ」
「おうともよ!」
威勢のいい掛け声と共に、わたしは駆け出した。アヤを放って。
いまのわたしを支配するのは味覚のみ。ブドウの味に癒されながら、ざわめきに包まれた人だかりに突っ込んだ。甘味万歳。
人の隙間を縫い、押し、すり抜けて最前列へ。一組から順に、わたしとアヤの名前を探す。すると、それは案外早く見つかった。アヤは二組。その後ろを辿っていくと、わたしの名前があった。二人とも同じクラスだ。
飴を口から出し、辺りを見回す。人ごみを抜けて、アヤがやってくるのが見えた。
「今年も同じクラスだよ。やったね、アヤ」
「マジで?」
嬉しそうに、アヤもクラス表に目を向ける。しかし、その顔はすぐに苦いものに変わった。
「んー、どうしたの?」
舌先で飴を弄りながら、親友を見つめる。その表情は、だんだん嫌悪感で歪んでいった。
せっかく綺麗な顔なのにもったいない。あ、舌打ちした。歯ぎしりまでしそうな形相のアヤは無言でクラス表の一部を指差した。自分の名前を見つけた時点で見るのをやめていたので、わたしがまだ見ていないところだ。
指差す方向をたどると、そこには一人の名前。それを見て、アヤの不機嫌の理由に納得した。
――篠原百合。
その名前を、少なくとも同学年で知らない人はいないだろう。色んな意味で有名な子だ。まず間違いなく、新しいクラスは荒れる。
そんな確証を胸に、舌先で弄っていた飴を口の中に放り込んだ。まぁでも、わたしには関係ないな。
「楽しみだね、新学期」
アヤが、苦虫を噛み潰したような顔でわたしを見た。けど知らんぷり。