手を振るおじさん
約1600字のショートホラー
釣りをしたことのある人ならきっと経験したことがある、言い知れない不気味な感覚。
それは意外と、近くにいたかもしれませんね。
あなたは、捕まりませんように。
外海から打ち寄せる波がテトラポットで砕けている。
「いい具合に波が立ってる、今夜は釣れる気がするぞ~」
俺の頭上には満月が輝いて、足下に影を揺らす。釣りに満月は悪条件だが、適度の波は海の酸素濃度を上げ、魚を活性化させる。
「しかも今夜は俺ひとり、ポイントを独り占めだ」
ここはチヌや型の良いメバルがよく釣れる人気の堤防だ。こんなことは珍しい。
俺は自然と緩む頬を引き締めつつ、浮かれた足取りで歩を進めた。
そのときだ。
”おい”
誰かの声が聞こえた気がして、俺は足を止めた。
「なんだ?・・誰かいるのか?」
前方にはもちろん誰もいない。念のためヘッドライトを向けたが同じ事だ。すぐに振り返ってヘッドライトを向けた。だが後続する釣り客もいない。
辺りには波音だけが響いている。
「波がテトラに打ち付けて、あんな風に聞こえたか?」
俺は軽く頭を振って気を取り直し、堤防の先端を目指して歩き出した。
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「よぉし、今夜は貸し切りだ!釣~るぞ~!」
大潮の今夜、今は潮が低いが、朝の4時頃には堤防の縁近くまで満ちてくる。
そこが勝負だ。
はやる気持ちを抑え道具を広げる俺を、満月が煌々と照らしていた。
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満月の大潮は海中が月光に照らされて魚が警戒するのだが、程よい波のおかげか今夜は頻繁にアタリがあった。クーラーにはすでに10匹近い獲物が収まっている。
狙いどおりにチヌとメバルが釣れた。それに良い型のカサゴが5、6匹も釣れた。浮き釣りでこれほど型と数が揃うのは珍しい。
思わぬ釣果に夢中になっていたが、ふいに何かがテトラを叩くような、そんな音に気が付いた。
”カン、カンカン・・・カン、カンカン・・・・・・・カン”
いつから聞こえていたのか、打ち付ける波のリズムと合っているような、合っていないような。
”カン・・カンカン・・・・カカカ・・カン”
だがその音は時間と共に間隔が開き、そして聞こえなくなった。
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朝7時、太陽が昇ってきた。
早朝の最満潮を過ぎ、今は干潮に向かって潮が下がってきている。先ほどまでひっきりなしにアタリがあったが、今は少し落ち着いた。
-もう十分に釣れた。後は明るくなったことだし、テトラに上がって穴釣りでもやって帰るか。
すでにカサゴはたくさん釣ったが、浮き釣りで釣るのと穴釣りで釣るのは面白みが違う。それにソイやキジハタが釣れれば嬉しい。
俺はそんな色気を出して、穴釣り用の竿を持ってテトラポットの上に立った。
いくつかのテトラポットを渡り、めぼしい穴を狙ってみたが、どういう訳かまったくアタリがない。
-おかしいな、穴釣りなら本命以外にも何かしら釣れてくるし、アタリもしょっちゅうあるんだが・・
そう思いながら最も外海側のテトラポッドに立ったとき、俺は眼下に信じられないものを見た。
おじさんが、手を振っている。
両手を上げて、右手にはしっかりと竿を握りしめている。だが、その竿はリールのすぐ上で折れていた。穴釣り用の竿だ。
潮が引いて、水面から出た竿とリールが波に合わせてテトラを叩いた。
カン・・カン・・カンカン・・・カン・・
打ち付ける波に合わせ、水中にあるおじさんの頭が左右に揺れる。
とろりと蕩けた目をしたおじさんの体は、テトラポットの隙間に挟まっていた。
俺はおじさんから目を離せない。
呆然と、その姿を見つめることしかできなかった。
テトラを洗う引き波で、おじさんの顔が水面から出た。
海水を吐きながら、おじさんの口が動いた。
”おい、釣れたのかよ、カサゴはよ”
「うっ!うぁああああ!!」
俺の腰は砕け、足が滑った。
ずり落ちた俺の体は、テトラポッドの狭い穴に嵌まった。
もがけばもがくほど牡蠣殻が服を裂き、腹に食い込んだ。
俺の周りが、真っ赤に染まった。
打ち付ける波が俺の顔を洗う。
引き波が、俺の体を穴に引き摺り込む。
おじさんは、満面に笑みを浮かべた。
”これでおまえも”
”てをふるおじさん、だな”
おじさんは、また海水を吐いた。
了




