第1話 この世で一番尊敬すべき職業は専業主婦?
初出:令和8年3月1日
”仕事”をテーマに、日頃考えていることをランダムに論じてみようと考えました。
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仕事とは何でしょうか。
かつて民主党政権時代、2010年から2011年くらいの話ですが、菅直人首相が「仕事とはお金を稼げるものだけを指す」と発言したのを覚えています。これはたとえば専業主婦は仕事でないことになります。
ところが今、AIで調べると管首相がそのような発言をした記録はないと返答してきました。真偽はともかく、私の記憶が正しいと仮定して議論を進めましょう。
私がこの発言をミクシーニュースで読んだとき、最初に感じたのは、「仕事とはお金を稼ぎ、かつそこから所得税が捻出できるもの」と言いたいのが政府の本音ではないかと深読みしました。
政府はとにかく国民から税金を搾り取りたいからです。
1.この世で一番尊敬すべき職業は専業主婦?
それはともかく、この世で一番尊敬すべき職業または仕事はなんでしょうか。
職業に貴賤の別なし、という言葉があります。
私は、人それぞれ向き不向きの仕事があり、自分に合った仕事を選択するのが、その人にとって”この世で一番尊敬すべき仕事”だと思います。
しかしながら、そうした個別事情を勘案した上で、客観的にこの世で一番尊敬すべき仕事は、はからずも菅首相から仕事でないとされた専業主婦だと思うのです。
とは言え、私は世の専業主婦たちを集めて勲章を渡したり、表彰したりすべきだとは思いません。
またあなたが専業主婦というものを軽蔑していた場合、その思想を宗旨替えすべきだとも主張しません。
ライフスタイルや価値観の多様化が尊重される時代、専業主婦を尊敬しても軽蔑してもあなたの自由だと思うのです。
私が専業主婦をこの世で一番尊敬すべき職業と持ち上げる理由は、私たちが日常生活を送る上で最も自立力、または自給力がある仕事だからです。
2.江戸時代、本百姓が日本人マジョリティー
江戸時代、私たち日本人の人口の90%は百姓(=農家)でした。
このうち自分で土地を持っていた本百姓(=自作農)の割合は江戸時代の中でも変化し、統計データも曖昧らしいですが、幕末では45%、明治初期では60~70%程度らしいです。
柄谷行人の評論だったと思いますが、マルクス主義的観点から、明治以降、近代化のために行政が農村から都会へ人口を誘導したことを批判しています。
その根拠として農家は自作農がマジョリティーだからとしています。
地方の農家が小作人ばかりなら、地方を捨て都会のサラリーマンになっても失うものはありません。
一方で、親が土地を持ちながら子供が農家を継がずに都会のサラリーマンになって、結果的に土地を失うのは生産手段を失うことだからです。
いずれにしましても江戸時代、小作人ではなく、自作農が私たち日本人の標準的な姿だと仮定しましょう。
さて、江戸時代の自作農の家庭では、家事労働と農作業がシームレスだったと思います。
自分の庭から収穫したコメを脱穀、籾摺り、精米し、米を炊き、茶碗に米を盛り、箸とともに膳に載せて座敷へ運ぶまでの作業を考えてみましょう。
今日では米を炊く作業からが家事労働ですが、自作農ではこの作業に区切りがありません。
(今日のパックご飯を考えると米を炊く作業自体が家事には含まれません。レンチンしてテーブルに箸とともに運ぶ作業が家事になるのでしょうか)
また農作業と家事労働がシームレスで区別できないだけでなく、農業が対価として必ずしも金銭と交換されるわけではないのです。
彼らはまず自分たちが食べるために米を生産します。また年貢、つまり税を納めるために米を作ります。財やサービスを買うために米を生産する余裕はあまりなかったのではないでしょうか。
家事労働が仕事でないなら農作業も仕事でない理屈になります。そして日本でだれも米作りをする人がいなくなれば、農家だけでなく支配者階級の侍や公家たちも餓死する理屈になります。
価値観の多様化の時代、専業主婦を軽蔑しても農業を軽蔑しても自由だと思います。ただし農業を営む人がこの世からいなくなるとすべての人が餓死します。そして農業と家事労働は前近代ではシームレスだったのです。
同様に洗濯や掃除などの家事労働の重要であると言えるでしょう。また電球の取り換えなど大工仕事も広義の家事労働(専業主婦というより旦那の仕事ですか?)も重要です。
洗濯機のメーカーがこの世から消滅したり、清掃業従事者や大工さんがこの世からいなくなったら、不便なことこの上ありません。そして前近代ではこれらの仕事は家事労働とシームレスでした。
こうした意味で専業主婦がいかに偉大な仕事がおわかりいただけたと思います。
また逆転の発想で、生活必需物資の自給力を手に入れれば、私たちはサバイバルしやすくなります。
私たちが完全に自給自足できれば、賃金労働をしなくても物質的に豊かな日常生活を送れる理屈になります。
完全は無理でも半分なら、私たちの給料が半減しても現在の日常生活を維持できます。
家事労働は自給自足の”はじめの一歩”なのではないでしょうか。
3.五穀潰し
世の中には働かない人を軽蔑する風潮があります。
五穀潰しという言葉は江戸時代からあったようです。
これは働かずに飯だけ食う人を軽蔑する語のようですが、江戸時代の農家の場合、働くという概念には家事労働も含まれていたのではないかと推察します。
よく家事労働する農家の嫁は給料取得者ではないが、働き者と認められ、五穀潰しではなかったと思うのです。
いずれにせよ、今日のように資本主義経済が発展していない時代では、働いたらすぐ貨幣が得られるわけでも、貨幣をすぐ財やサービスに交換できるわけではなかったと思います。
金で買うのでなく、自分たちで自給する財やサービスがあり、残りを貨幣経済で調達していたのです。
ちなみに米は江戸時代では貨幣替わりに使われてもいたでしょう。
米は食べてもよし、貨幣として財やサービスと交換してもよし。面白い貨幣です。
しかし米を何年も貯蓄し、古古…米になると新米より味は落ちます。
野菜を貨幣にするよりは米の方が保存がきくからましでしょうが、結局、貨幣=交換手段として今日では米が使われないのは保存の問題があるからでしょう。
投資の専門家なら、先物取引で米も有価証券みたいに投資に使えるよ、といったツッコミをするかもしれませんが。
3.今回の結論として
閑話休題、脱線しましたが、専業主婦は江戸時代の本百姓のライフスタイルから考察するとりっぱな仕事である、がとりあえずの結論になるでしょうか。
もう一つの結論は経済学的観点からの考察になりますが、仕事の対価として確実に金銭を得るのは資本主義経済、貨幣経済が発展した現代だけの話であって、かつては金銭が対価でない仕事もあったということでしょうか。
さらにもう一つ。行政としては所得税を採取したいから、対価として金銭を得る仕事を優遇したい、またはプロパガンダで私たちにそう思わせたい傾向がある、といったところでしょうか。
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仕事にかんする考察はまだまだ続きます。
(つづく)




