転生四度目のペナルティ悪役令嬢(私)の試練と受難録
今世で、四度目。
そう悟った私の寝覚めは、最悪だった。
◇
裕福な伯爵家に生まれた私は、両親と兄たちに大切にされ、与えられるものを当然のように享受してきた。
その為、世間の仕組みよりも、甘い菓子や華やかな飾りに詳しい。
そんな私が過去三回の前世たちを思い出してしまったのは、夢の中で出会った《謎の存在》のせいである。
おかげで、世間知らずの私は死んだ。ハロー、世間を知りすぎている私。
《謎の存在》は、私に言った。
「世界ごとに理は違えど、あなたの魂は同じです。輪廻転生の呪いを終わらせたいのなら、これまでの行いを省みてください。そして、一組の恋を成就させてください。それが、あなたに課せられた試練です」
何ですか、いきなり。
と、言い返したかったが、声が出なかった。夢の中で走れないアレと同じだ。
だから、会話は当然していない。というか、できていない。《謎の存在》の一方通行である。
曰く、一度目の生で呪い返しを受けたことが、転生の起点だという。
彼とも彼女ともつかない声だけの《謎の存在》は、「それを成し遂げなければ、疵のついた魂での輪廻転生を繰り返すことになります」と言い残し、消えていった。
そして、私は夢から覚め、すべてを思い出した。
ここが現実だと確かめるように窓の外を見れば、手入れの行き届いた庭園が広がっていた。
刈り揃えられた芝の上には、露を帯びた薔薇が陽を浴びてきらめき、小径に並ぶ白い石畳は朝の光を反射している。その向こうには青い空が澄み渡り、見慣れたはずの光景が胸に刺さるほど眩しく映った。
ふう、と。息を吐き、考える。
『疵のついた魂』──同じ欠点を抱えたまま何度も生まれ変わる、そんな呪われた宿命ということだろうか?
一つ前の生の終わりで『二度と恋をしない』とようやく誓えた私が、恋を助けろと言われるなんて、皮肉が過ぎやしないか? 《謎の存在》、勝手が過ぎるぞ。
しかし、それが私の試練だというのなら仕方がない。
なにせ、私は、クロエ・エマーソン……──んんん??
自分の名前を反芻してから数秒後、私はハッと気が付いた。
この名前は、三度目の生で遊んだ『パティ物語 〜Forever loveずっきゅん♡~』というふざけたタイトルの乙女ゲームに登場する、ヒロインと攻略対象者の恋路に立ちはだかる敵キャラのものだ、と。
悪役令嬢クロエ・エマーソンは、ヒロインがどの攻略対象者を選んでも、必ず登場する。
そして、ルートにより内容は異なれど、苛烈ないじめや悪事を働き、学園を追放されて──その後は分からないが、たぶん、野垂れ死にだろう。
つまり、バッドエンドに行き着くキャラである。
「なんてこと……」
──愚かな行動を重ねた悪役令嬢に転生なんて。
過去三度の人生もそうだった。
振り返りたくなんてない。
でも、振り返らずにはいられない。
それでは聞いてください、題:『三人の愚かな女』。
私の最初の生は、どこにでもある小さな村の村娘。名前はイルダ。
裕福ではないが、そこそこ幸せな家庭で育ち、幼馴染の少年に恋をしていた。
彼は優しくて、どこか鈍感なところがある人だった。だからだろうか、イルダのアピールをアピールだと思っておらず……けれど、村で彼と一番仲の良い異性はイルダだった。
彼が自分の気持ちに気づく日は、いつかきっと来る。イルダは信じていた。
そう、信じていたのだ。
村に『ぽっと出の女』が現れるまでは。
彼女は村に越してきた、明るくて人懐っこい少女だった。
彼も、村の人々も、彼女の笑顔を太陽に例えた。
彼女といる時の彼の表情は、自分の知るものとは全く違って見えた。恋する男の顔だった。
イルダにはそれが耐えられなかった。
嫉妬に駆られたイルダは、彼女を陥れるような小さな悪事をいくつも重ねた。
流しの薬売りを名乗る魔女から買った『呪い札』を彼女の靴裏に貼り、村人たちに彼女の悪い噂を流し、事故に見せかけて彼女を怪我させようとした。
ところが、すべてが裏目に出た。
仕掛けたことが不思議と自分に返ってきたのだ。
結果、とうとう彼にイルダの悪事が露呈した。
どんなに策を弄しても、泣いて情に訴えても、彼は彼女を庇い、守ろうとするばかり。
そして気がつけば、家族や村中の人々から冷たい目で見られるようになり、イルダは孤立していき、村を追い出される形で人生を物乞いとして終えた。完。
二度目の転生では、劉 翠雲という名で、武門の家に生まれた。
前回の失敗を経て、翠雲はこう考えた。どうせどんなに策を弄しても、ぽっと出には勝てない。ならば力ですべてをねじ伏せればいい、と。……哀しいかな、この生では中二病をこじらせていたのだ。
翠雲は武芸を磨き、一族の誉れを得た。
そしてまた、恋をした。
だが、翠雲の想い人は、やはりぽっと出の女と結ばれる宿命にあった。
そう直感で分かった。なんでかなんて分からない。ただそう感じた。
だから翠雲は力ずくでぽっと出を排除することを決めた。彼女を拉致し、遠い土地に売り払い、好きな男を脅迫して自分と結婚させようとしたのだ。
だが、それもまた失敗に終わった。
ぽっと出はなんやかんやで自由を取り戻し、男と再会し、すべてが翠雲の目論見から外れていった。『なんやかんや』ってなんだよ、とお思いのことだろう。私もそう思う。大いに思う。
だが、ヒロインは、いつも『なんやかんや』幸せになる生き物なのである。
やがて翠雲は罪を咎められ、処刑された。
最期に見たのは、ぽっと出の女が翠雲に赦しを与えるかのように微笑む顔だった。完。
三度目の生では古宮 真白という、日本人の女に生まれた。
前世の失敗を教訓にし、真白は『感情的に動くのはやめよう』と決めた。
すべてを計算して冷静に行動することを心に誓ったのだ。
けれど、それも失敗に終わった。
なぜか、って?
……そんなの決まってる。感情的に動いてしまったのである。馬鹿過ぎる。
真白が好きになったのは、新卒で入社した会社の取引先で働く営業職の男性だった。彼は誠実で、仕事に真面目な人だった。端正な顔と爽やかな笑顔に、真白は一目惚れした。
巷で言われる恋愛テクニックなるものを駆使し、『さしすせそ』を使いこなし、彼との距離を押したり引いたりかけたり割ったりと計算して、徐々に距離を詰めていった。
彼もまんざらでないように思えた。関係は、良好だった。
しかし、そこにまた、ぽっと出の女が現れた。
今度のぽっと出は、真白の会社の三つ年下の後輩として現れた。
後輩が彼と距離を縮めていく様子を見た時、真白は冷静を装いながら、心の中で嫉妬の火が燃え上がるのを感じた。
だから、彼女を失脚させる計画を立てた。
陰で彼女の悪い噂を流したり、仕事で失敗するよう仕向けたり、偽の証拠を作って彼女を陥れることにしたのだ。
まったくもって懲りない女である。
だが、彼女はどれもこれも奇跡的に避けていった。
それどころか、真白の策略は最後にはすべて露見し、逆に真白の信用を失わせるに終わった。
破滅は早かった。
真白は会社からも両親からも友人からも信用を失い、彼女を守るナイトのようになった彼に訴えられ、借金を抱えた。
そして、挽回しようと先物取引に手を出し、詐欺に遭い、孤独と借金に追われる中でその人生を終えた。
死ぬ間際、心に刻んだのは、もう二度と恋などしないという誓いだった。完。
私は、三度の転生で『嫉妬』と『執着』に振り回され、見事に自滅してきたのだ。
ああ、なんて惨めな人生。
泣けてくる。というか泣いている。
──でも。
今度こそ、誓いを守る。
恋はしないし、誰の恋も邪魔しない。
ヒロインに嫌がらせをして追放される人生なんて、もうごめんだ。
だから、婚約予定の彼を好きになったりなんかしないし、その幼馴染である《ヒロイン》に意地悪や虐めをすることも断じてしない。
しないったら、しないのである!
◇◇◇
四月。
学園に入学してから一週間が経った頃、父から一通の手紙が届いた。
曰く、『学園内のテラスで婚約者と顔を合わせる機会を設けた』とのこと。
文の終わりには、『無理をせず、お前らしく振る舞いなさい』という、気遣う一言が添えられていた。
手紙を畳みながら、ついにこの日が来たか、と思った。
一つ年上の婚約者との顔合わせである。
形式的な婚約とはいえ、こうしたことは避けては通れない。
婚約そのものは入学時に形式上は成立していたが、私と彼が実際に会うのは初めてになる。
本来は入学前に顔合わせをさせる予定だったのだが、父の仕事の都合で日程が組めず、延びに延びてしまっていた。
婚約者の顔も知らないまま学園生活が始まったことを父は申し訳なく思っているのだろう。
……だから、余計なお世話などと思ってはいけない。
なにせ、『パパァ、あたち、結婚したくないから婚約を白紙にした~い』『ま? いいよー』というわけにはいかないのだ。
順番立てて、円満な婚約白紙に向かわねば。
いざ!
◇
学園内の中央庭園に面したテラスは、ちょっとした応接にも使われる場所で、貴族の学生たちがよく使う空間だ。
父が指定したこの場所には、どことなく『正式な場』という雰囲気が漂っている。
テラスが視界に入った時、私は歩みを少し緩めた。
既にそこに、婚約者──エドウィン・ランチェスター様が座っていたからだ。
彼を見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。
銀色の髪に柔らかな陽光が降り注ぎ、翡翠色の瞳がこちらを見つめている。
その整った顔立ちは彫像めいているけれど、見目の良さだけではなく、その表情には余裕と落ち着きがあり、気品が漂っていた。
ゲームで見た彼のプロフィールが、頭の中に蘇る。
ランチェスター侯爵家の三男。
爵位を継ぐ立場にはないものの、学園卒業後は第一王子殿下直属の隊の隊長に最年少で任命される、稀代の人材。
そして、顔が良い。もんのすごく良い。どれくらい良いかというと、三回繰り返してしまうほど顔が良い。あまりに完璧で、いっそ作り物のようだ。
いったい何を食べたらこんなふうに育つのか。
しかし、彼はただ見た目が良いだけではない。
困っている人を見捨てない。誰にでも礼儀正しい。だけど優柔不断ではなく、決めるべき時は決断する。それが、エドウィン・ランチェスターという男だった。
誰かの隣に立つにふさわしい、信頼と安定感のある彼は、真白(私)の一推しキャラだった。
前世、彼が好き過ぎて他攻略者の選択はしなかった。ずっと、『エドウィンルート』をプレイしていた。
そんな彼が、私が近づくのを待っている。
それを認識した時、私の心臓は盛大な演奏会を始めた。
いざ! と息込んだのに、このざまである。
が、女とは生まれながらに女優なので、平気なふりくらいできる。それに、伊達に四度目の生じゃないのでね。
「クロエ・エマーソンでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
私は椅子に腰掛ける前に、テーブルを挟んで丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。エドウィン・ランチェスターです」
エドウィン様はそう言って微笑んだ。
ああ、声も良い……って、だめだめ。
彼の印象が良くても、それ以上のことは考えない。考えちゃいけない。いけないったら、いけない。私は彼を好きになるつもりも、近づくつもりもないのだから。
そう自分に言い聞かせながら、私は席につく。
さて、彼とどんな会話をすべきか考えていると、不意に、たったった~~んっ! と、浮かれた──もとい、軽い足音が近づいてきた。
「エッドウィ~ン!」
その声に反応して私が振り向くと、一人の少女がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。エドウィン様が「パティ?」と、困惑気味に呟く声も同時に拾う。
ストロベリーブロンドの髪を陽にきらめかせながら駆け寄ってきた少女は、ゲームのヒロインであった。
パティ・スノウ。
侯爵家に仕える庭師の娘として屋敷で育ち、幼い頃からエドウィン様と顔を合わせてきた幼馴染。
両親は幼い頃に病で亡くなり、その後は使用人棟で女中たちに面倒を見られていたが、二年前──十三歳の年、整った顔立ちを気に入ったスノウ男爵に、名目上の養女として迎え入れられた背景がある。
平民の生まれながら侯爵家の屋敷で育った為、庶民らしい快活さと貴族社会ではどこか場違いな無邪気さが同居する、乙女ゲームにありがちな、ちょっと複雑な事情を背負った正統派ヒロインだ。
さすが、ゲームで全攻略対象と恋に落ちる可能性を秘めたヒロイン。きゅるんっ、という効果音が似合う綿菓子系令嬢である。
だが、その登場は明らかなマナー違反だった。
誰かと話している人々の輪に割り込むのは、貴族として失礼に当たるのだ。
私は、彼女に言葉をかけた。
「もう少しだけお待ちいただけますか?」
角を立てない声で伝えたつもりだった。そもそも注意もしていない。
それなのに、彼女の反応は予想外のものであった。
パティの顔が、怯えたようにこわばったのだ。
そして、小さな声で「ご、ごめんなさい……」と呟いて、視線を落としてとぼとぼと回れ右をして少し離れたベンチのほうへ行ってしまった。
……え?
私は、戸惑っていた。
言い方がキツかったのだろうか、と。
パティの声は、心なしか湿っていた……気がする。
過去三度の人生で、ぽっと出の女に対してしてきたことが頭をよぎる。
あの愚かで、取り返しのつかない行動の数々。
それを今世では繰り返さないと決意しているのに、どこかで私の『悪役令嬢らしさ』が滲み出てしまっているのだろうか?
だとしたら深過ぎる業である。勘弁してくれ。
というか、パティから見たら、私がぽっと出では……?
パティの表情が、頭から離れない。
私は彼女のことを優しく諭したかっただけだ。これは本心である。
彼女の家柄や、マナーに疎い背景を考慮して、これから少しずつ教えてあげようと思っていたのに、なぜこんな結果になってしまうんだ。ガッデム。
はっ! もしかして『教えてあげよう』という考えが、上から目線で感じ悪かったのか? 感じの悪さが滲み出てるのか!?
……自分で気づいてさらに凹む。
過去の転生で私は、繰り返してきた。ぽっと出の女を何とかして排除しようとした、愚かな行動を。
反省した今世では絶対に繰り返さないと決めたのに、どこかで『悪役らしさ』が滲み出てしまっているのだろうか……。
「クロエ嬢」
「は、はい」
不意にエドウィン様の声が降り注ぎ、私の思考が中断された。
「申し訳ありません。パティに悪気はないのですが……」
そう言って、エドウィン様は困ったように微笑んだ。
嗚呼、美しきかな、『ヒロインを庇うヒーロー』の図。
私の視線は、無意識に彼の表情に吸い寄せられる。
……顔がタイプ過ぎる。……柔らかな笑みが、ずるい。
って、こら、私! 過去の三度の生もこれで破滅したというのに、本当に懲りない女め!
誓いを立てたはずなのに、魂の疵は相変わらずに疼き続けているのが辛い。
私は、ひとまず薄目になって「気にしておりませんわ」と返しておいた。
両家で取り決められた月一の交流日が卒業まで続くらしい。
まあ、どうせ、卒業前に婚約破棄の話はあちらから出るだろうが……。
その時はごねずに頷こうと思っている。
◇◇◇
学園生活が始まり、三か月が経った頃、私は公爵令嬢、アンジェリーク・インペリオリ様と親しくなる機会を得た。
ゲーム内でのクロエは、アンジェリーク様の取り巻きだったが、今世では友人だ。
……そのはずだ。そう信じたい。
第一王子殿下の婚約者として学園の中で注目される存在である彼女は、落ち着きと気品に満ちた女性だ。性格も快活で、意図せずとも人を惹きつける魅力を持っている。
ちなみに、第一王子殿下は、ゲームの攻略対象者である。
そして、その婚約者であるアンジェリーク様は、『王子様ルート』でしか姿を見せない『レア悪役令嬢』でもあった。なお、私は、『王子様ルート』は未プレイである。
彼女と打ち解けるきっかけになったのは、偶然図書室で同じ本に手を伸ばしたことだった。
『あらあら、なんという偶然かしら。ふふふ。この作者の御著書、なかなか興味深いですわよね』
アンジェリーク様が見せた微笑みは、優雅さと親しみやすさを併せ持っていた。
それから何度か話すうちに、自然と打ち解け、学園で彼女が時折見せる一面──人間味あふれる率直さに触れる機会も増えた。
そんな彼女が、二人きりの茶会の場にてぽつりと言った。
「クロエは、スノウ嬢のことをご存知かしら?」
私は内心で少し動揺しながら、できるだけ平静を装って頷いた。
「も、もちろんですわ。同じ学園のご学友ですもの」
アンジェリーク様は、少し首をかしげた。その仕草一つにも気品が宿っている。
「最近、少し気になるの」
「気になるとは……?」
「スノウ嬢の立ち振る舞いよ」
「……というと?」
「あなたもご覧になっているでしょう? 殿方たちに、とても親しげだわ」
声色はおっとりでも、文脈は意味深だった。
私は曖昧に笑い、紅茶を一口含む。
……やはり、気づかれている。
そして、私の『末っ子奥義☆知らないふり!』も、この方の前では、幼児の御遊戯会クオリティー。幼児の愛らしさがない分、あいたたた〜! である。
さて、話を戻そう。
パティはこの三か月で、学園中の注目をさらっていた。
いつでも笑顔で、誰にでも子犬のように駆け寄っていくのが理由だ。
問題は、その『誰にでも』が、婚約者持ちの令息たちオンリーであるという点である。
男子生徒にはきゅるるん、『ほええ』、『はわわ』。女子生徒にはわざとらしいほどにおびえた態度の、『ご、ごめんなさい……』、『すみません、ぐすん』。
入学当初は無邪気で人懐こい仕草に見えていたそれも、三か月も経てば露骨な落差として受け止められ、学園の空気を張り詰めさせていた。
婚約者をもつ令嬢たちは遠巻きに彼女を睨み、些細な仕草にも敏感に反応するようになっている。
パティ・スノウ男爵令嬢は、婚約者のいる令息たちに言い寄り、風紀を乱している危険人物──そんな噂が立つのも当然で、もうアンジェリーク様の耳にも届いているに違いない。
「スノウ嬢は、無邪気が過ぎるのかもしれないわね。彼女が近付いている殿方たちの婚約者には、わたくしのお友達が多いの。あなたもその一人よ。まあ、ランチェスター様は心配ないけれど……」
アンジェリーク様はカップを置き、ふっと目を伏せ、続ける。
「先日など、オーベルジョノワ子爵令息様と手をつないで歩いていたという話を聞いてしまってね。あの方にもサンドラという婚約者がいるのだから、本当だとしたら軽率な行動だわ」
私は、言葉を失った。
さすがにそれは、『無邪気』『軽率』という域を越えている。
──この学園は、礼儀で回る箱庭だ。
彼女は、愛らしく、天真爛漫な乙女ゲームの主人公に相応しい存在だけど、この世界はゲームそのものではなく、あくまでそれに酷似した世界にすぎない。
ゲームでは顔のない群衆だった人々にも、ここでは血の通った暮らしがあり、喜びも苦しみも背負っているのだ。
加えて、私は、パティについて、とある違和感を感じていた。
「スノウ嬢、ご自分がどれほど目立っているか、分かっていないのかしら? もしそうなら、わたくしが公爵令嬢として、はっきりと教えて差し上げるべきだわ」
アンジェリーク様は小さく笑みをこぼした。
だが、その瞳は鋭く冴えている──有り体に言って、かなり怖い。本当に『優しく』教える気がある人の目ではない。
でも、それはそうだろうなと理解はできる。
アンジェリーク様は婚約者の第一王子殿下を愛しておられる。愛する男が、ぽっと出の女にモーションをかけられたら嫌に決まってる。
その気持ちが、血を吐くほどに分かる。
おそらく、パティは、第一王子殿下にも粉をぶっかけているのだろう。
思えば、読書において、私の斜め上どころか真横な解釈をころころ笑って寛大な心で受け入れてくれたのはアンジェリーク様だけだった。
私を溺愛する母ですら言葉を失った解釈を、アンジェリーク様は笑って受け止め、理解者でいてくれた。
その時に覚えた安堵があるからこそ、彼女に責任を背負わせるなんてできない。
でも、誰かが止めなければ事態は悪化する。
ならば、ここは私が動くしかない。
「……アンジェリーク様、私に任せていただけませんか?」
ふと、《謎の存在》の言葉が脳裏をかすめた──『輪廻転生の呪いを終わらせたいのなら、これまでの行いを省みてください』
けれど、ヒロインの『行き過ぎた無邪気と軽率さ』で涙を流す令嬢を見過ごすわけにはいかない。
パティに少し釘を刺すくらいなら、魂の試練には触れないはず……。
『恋を助ける』ことこそ課せられた使命なのだから、注意したうえでエドウィン様と結ばれるよう後押しすれば問題ないだろう。
きっと。……た、たぶん。
◇
そんなわけで、私はパティに優しく優しく優し~く注意することにした。
とっても優しく注意すれば、きっと分かってくれるだろう。
しかし、皆の前での注意は避けたい。なにせ、それでは私が悪役令嬢っぽくなってしまうので。
それに、急いで彼女の耳に入れたい件もできてしまった。
だから、人目のないところを選んで声をかけようと、機会をうかがっていた。
そして、その日の午後。
パティを追いかけ、裏庭にさしかかった時だった。
「はー……なんで皆、デートしてくれないわけ? ゲームならとっくに誘われてる時期なのに最悪ぅ」
耳に飛び込んできたのは、パティの大きすぎる一人言だった。
思わず足を止め、植え込みの影からそっと覗く。
「王子様も幼馴染も、手ごたえ感じないし──」
注意をするつもりでここまで来た私は、物陰でただ固まるしかなかった。
パティ本人は私の存在にまったく気づかず、盛大に一人言を続けている。
「過激派悪役令嬢も、舞台装置令嬢も、アクション起こしてこないし、やっぱりバグ? それかセリフ間違い? ……でも、何周もしたし、続編よりもやり込んだから間違ってないと思うんだけどなぁ。ンもう、嫌になっちゃう」
──バグ。
この世界に存在しないはずの単語が耳に届いた瞬間、背筋が冷たくなり、気づいてしまった。
彼女に対して感じていた違和感はこれだったのだ、と。
私と同じ、転生者だ、と。
しかも、貴族社会が理解できていない脳内お花畑女子が、その中身であることも判明。
もう悪役令嬢になりたくないなどと甘っちょろい戯言なんてほざかずに、言ってやらぁ!
過激派悪役令嬢が誰のことで、舞台装置令嬢が誰なのか。
絶対に突き止め、阻止する所存である!
「スノウ嬢──いえ、パティさん」
私は、ゲーム内での呼び方に言い直し、彼女を呼んだ。
パティは、ぼそりと、「あ、舞台装置悪役令嬢」。
「……くっ」
ああ、やっぱりそういう立ち位置か。胸の奥がちくりと痛む。
けれど、落ち込んでいる暇はない。
一秒で凹んで、二秒目で根性のリカバリー。
私は三度の転生で鍛えられた早口を武器に、パティに物申す。
「パティさん、あなた、このままだと退学の危機ですよ」
私の言葉にパティは目を丸くし、けれどすぐに眉を顰めた。
「……なにそれ。意味不明なんだけど」
腕を組みむっと口を尖らせる。
「サンドラ・ロッシュ嬢が階段から落ちる『事故』が仕組まれているのです。そして、犯人にされるのは、あなたです」
「はあ!? あたしが!? 落とすわけないじゃんっ!」
パティは声を張り上げた。
「私は先日、サンドラ様とご友人方がそのように囁き合っているのを耳にしました。……都合よく聞き耳を立てられた自分がちょっと怖いくらいです。ちなみに先ほどのあなたの大きな一人言も聞いてしまいました」
「……」
「失礼しました、話を戻します。やっていなくても、そう見せかけられるのです」
眉間に皺を寄せるパティにも、めげずに続けて言う。
「あなたはサンドラ様の婚約者であるオーベルジョノワ子爵令息と手をつないで歩いていましたね? その事実は学園中に広まっています。サンドラ様が転落すれば、『嫉妬に駆られたあなたが突き落とした』と、誰もが疑いなく信じてしまうでしょう」
「あたしが、サンドラに嫉妬なんかするわけないじゃん。むしろ、嫉妬するのはサンドラのほうでしょ? というか、ちょっと手をつないだだけだし」
「いいえ。この学園では、その『ちょっと』が致命的になるのです。サンドラ様が率いるご令嬢方は証人を用意し、証拠も仕込むでしょう。たとえば、あなたのリボンを階段に忍ばせて。あるいは、『パティ嬢が背後から押すのを見た』と声を張り上げる令嬢を決めている。そうなれば、否定しても無駄です。噂が事実を呑み込みます」
「そんなの信じる人いないもんっ!」
「『信じる』、『信じない』は、問題ではありません。婚約者のいる殿方に『褒められない近付き方』をしておりましたよね? それが、令嬢方の逆鱗に触れていて、あなたを貶めたいと考える方が多いのです。そういう方たちにとって、真実はどうでもいいのです。そして、あなたは男爵令嬢です。学園は揉め事を収める為に、爵位の低い娘を切り捨てるでしょう。なぜならそれが一番簡単ですからね。つまり、退学という形であなたを差し出すのです」
「……っ」
パティはぐっと黙り込んだ。
唇を震わせてはいるが、反論はすぐには出てこない。
「退学になれば、学園での評判だけでなく、家の評判も下がり、あなた自身の縁談も潰れますよ」
私は畳みかけるように言った。
「……そ、そんなの……やだぁ……」
パティの瞳が潤む。
さすがヒロイン、泣き顔が可愛い。
「なら、この筋書きを止めましょう」
「ど、どうやって?」
「誠心誠意、謝罪するのです。そして、のべつまくなしに殿方たちにお声がけすることをやめると皆様に宣言するのです。まずは、アンジェリーク様に会いに行きましょう。あなたの謝罪を宣言する場を仕切ってもらわねば……いえ、その前に謝罪の練習ですね。失礼のない謝罪文は私が考えますから──」
「え!? あたしが謝るの!?」
パティが声を張り上げる。
私は言葉が遮られたことに腹が立ち、はあ、と息を吐く──ああ、カルシウム不足かも。甘いミルクティーが飲みたい。
「……あなた以外に誰がいるのです?」
むすぅ、と唇を突き出すパティに、つい語気が強くなる。
「でもまあ、突き落としの犯人にされて、退学してもいいと仰るのなら、謝らなくていいかと思いますけれどね」
「え!? 嫌! 謝ります! 謝りますからぁ!」
パティは涙声で縋りつき、袖をぎゅっと握る。
「だから、練習に付き合ってください……っ! うええ~~ん」
「……さ、さあ、涙を拭いてください。皆様は、きっと許してくださいますよ」
あ~~~~、泣かせてしまった~~~。
私は、『ゲーム内の悪役令嬢と同じ道を辿るのでは?』という不安と、『でも、うまく収めれば大丈夫だよね、たぶん』という謎のポジティブ思考の狭間で揺れながら、謝罪の言葉と次の段取りを頭の中で組み始めた。
◇◇◇
パティに悪役ムーヴをかました二週間後。
私はアンジェリーク様に誘われ、インペリオリ公爵家の庭園を訪れていた。
白い藤棚と大理石の小径に縁どられ、陽光を受けた噴水の水飛沫が涼やかに揺れている。
銀の三段皿には、洋梨のキャラメリゼと胡桃のタルト、蜂蜜をたっぷり染み込ませたフィナンシェ。きゅうりのサンドイッチに、スコーン。
香り高い紅茶が湯気を立て、それだけで胸の奥がほどけていくようだった。
「学園も、ようやく落ち着いてきたわね」
アンジェリーク様がカップを置き、金糸の髪を陽に透かしながら微笑んだので、頷く。
「ええ、本当に。ずいぶん和らぎましたね」
つい先日まで、令嬢たちの視線が刃物みたいに尖っていたのが嘘のようだ。
廊下ですれ違う顔ぶれも、今では柔らかな笑みを浮かべている。
「きっと皆さまも、肩の力が抜けたでしょう」
アンジェリーク様は小さく息をつき、目元を和らげた。
「はい」
言いながら、微笑み返す。
甘い焼き菓子の香りと風に運ばれる花の匂いが混じり合い、胸の奥に充足感が広がった。
ようやく、平和が戻ったのだ。
「あなたのおかげよ、クロエ。あのスノウ嬢……いえ、パティさんがあんな真摯に謝ってくれるなんて思ってもいなかったわ」
「パティさんが素直だっただけですよ」
「まあ、それは謙遜よ」
ふふ、と笑うアンジェリーク様は、憂いが晴れたせいかいっそう肌艶が良い。やはりストレスは肌に悪いのだと実感する。
ヒロインこと、お騒がせ男爵令嬢・パティは、あの日裏庭で私に説得され、アンジェリーク様をはじめ各方面に謝罪し倒した。
そして、一件落着を迎えた。
──ただ、アンジェリーク様には話していないことが多い。
たとえば、あの時パティが口にした言葉の数々……(※もちろん、暴言である『過激派悪役令嬢』も伝えていない)。
パティが、自分がヒロインに転生したと気づいたのは、学園入学の一年前だったという。
私は学園入学の二ヵ月前なので、『ヒロインと悪役令嬢には、格差があるんだなあ』と思わずにいられない。
それと、パティも夢の中で《謎の存在》に会っていたそうだ。
曰く、《謎の存在》は試験官的な存在で、『人を試す』ことが仕事だとか。
つまり、彼女は私よりも早く、一段深い情報を与えられていたのだ。格差である。ぐぬぬ。
しかも、ちゃんと会話できてたらしい。
だから思い切り質問攻めにして《謎の存在》が何者か問い詰めたそうなんだけど……って、あれ? もしかして、その質問攻めのせいで、私だけ会話できなかったの? ……格差ぁ!
自分がヒロインであると自覚したパティは、『高位貴族の攻略対象者のルートに進まなくては』と思ったらしい。
その理由は、家の中で自分の立ち位置を確かめ直す必要があったことにあるが、解決した今の彼女は天真爛漫さが三割ほど減っている。
もっとも、天真爛漫さが減ったところで、顔がべらぼうに可愛いので大した問題にはなっていないが。
ちなみに、第一王子殿下のこともエドウィン様のことも、その他令息のことも好きではなく、「そもそもキラキラ系男子より兵士系ゴリマッチョ男子が好きなんだよね」とのこと。
つまり、第一王子殿下にもエドウィン様にも恋愛感情はないそうだ。
ほっ……──って、私の馬鹿! 安心して、どうするんだ! 私には『試練』があるのに!
エドウィン様とパティをくっ付けるのが私に課された試練なのに……心底愚かな私である。
って、落ち込んで思考を脱線してしまったので、真っ直ぐな道に進路を戻そう。
パティは、男爵家夫婦に娘──義理の妹が生まれたことにより『焦り』を感じていたそうだ。
結果、『あたしの居場所がなくなっちゃう……あ、高爵位の恋人ができたら、喜んでもらえるかも?』という思いに駆られ、ぶりっこを炸裂し、愛想を振りまいていたとか。
だが、よくよく話を聞けば男爵家の家族仲は良好だったというオチで……。
思い込みとは、あな恐ろしあ。
実は、この話を聞いた時、ついうっかり、『あのゲームの仕様上、ヒロインは不幸にはなりませんよ』と励ましてしまい、私が転生者であることがバレましたとさ。とほほ。
そんでもって懐かれてしまい、『お姉さま』とか呼ばれちゃってる。
私が末っ子だからか、パティの妹ムーヴにキュンッ! としてしまったことこそがアンジェリーク様への一番の秘密である──妹って、最高に可愛いよね!
「──クロエ、聞いてる?」
「え?」
パティのことを考えていて話を聞いていなかった私に、アンジェリーク様は苦笑をこぼした。
「あなた、女子生徒の間で『学園の混乱を救った聖女』って呼ばれてるのよ」
「え? せ、聖女……ですか? どうしてですか?」
「ふふ。あなたがパティさんを諭してくれたから、事件も起こらずに平和なんだもの。当然でしょう?」
「……」
もしや、アンジェリーク様、サンドラ様の計画も分かってた?
Oh……過激派悪役令嬢様!
私は、目の前の未来の王妃殿下だけは絶対に怒らせまいと心に決めた。
◇
アンジェリーク様の家に招かれた翌々日は、月に一度の婚約者同士の交流日だった。
会場は、これまで三度ほど使ってきた学園内のテラスではなく、学園の外にある会員制のカフェ。公爵家が後援する由緒ある施設である。
各組は生垣で区切られた専用庭に通され、外界の喧騒は遠ざけられ、落ち着いた静けさが保たれていた。
扉をくぐった途端、肩に力が入った。
席につくと、エドウィン様もどこか緊張した面持ちをしているのに気づく。
よもや彼の緊張理由が、私のように『会員制カフェ、ド緊張する~』ではないことは分かる。違う理由だろう。
分かってる、分かってる。婚約解消でしょ?
私は、自分の立ち位置を理解している。
パティが更生(?)しつつある今、彼は彼女を選ぶはずだ。
なにせ、あの子はヒロインだからね。
それに最近、仲が良いように感じるのだ。昨日も何やら二人で真剣な顔で話し合っているのを遠目で見た。
……まあ、パティはゴリマッチョ男子が好きで、エドウィン様のことは『キラキラしい幼馴染』としてしか見ていないけれど。
でも、そんな壁は、鍛えた腕でぶっ壊せばいい! 頑張れ筋肉! 育てろ筋肉!
筋肉は裏切らないらしいから、頑張ってほしい。
もちろん、パティの筋肉好きをエドウィン様には『助言』という形で教えるつもりだ。
そして、二人が上手くいった暁には、私の来世の魂がピッカピカの疵無し保証を得るだろう。
さて、私は、いまだ言い出しづらそうにしている彼に話しかける。
「お話があるのですね?」
「……はい。その……」
エドウィン様はそう言ったきり黙り込んだ。
口を開きかけては閉じ、また開いては閉じる。その様子から、言いにくいのだと伝わってくる。
大丈夫、ズバッと言ってしまって構わない。
なにせ過去三回の人生に比べれば、この別れ話(?)は、とてつもなく平和なのだから。
けれど、あまりに言わないものだから、給仕係が来ない。
彼が手を挙げて合図してから来る手筈になっているのだから当たり前である。
が。私はメニューにある、カモミール風味ホワイトチョコレートムースと、マロングラッセのパウンドケーキが早く食べたい!
え、待って? 薔薇ジャム添えスコーンも気になる……。飲み物はアッサム・ティーにしようかなあ。
よし、食べたいものも飲み物も決まったし、私から本題に切り出すとしますかね!
「エドウィン様の仰りたいこと、私、理解しておりますわ」
「え……あ、そうか……ははっ、まいったな。それで、その、いいかな?」
こちらを窺うように見てくるエドウィン様のお顔が可愛い。
しかも、敬語が崩れてるのもいい。すき…………やき。っと、いけないいけない。キュンとなってはいけない。薄目になろう。
私はすき焼きが食べたいだけ!
「ええ、問題ありません。私からお父様に伝えておきますね」
キリっと答え、続けて言う。
「婚約白紙ということになりますと、少々時間がかかるかもしれませんが──」
「は?」
「え?」
視線がぶつかる。
エドウィン様は瞬きを一度して、わずかに眉を動かした。
「婚約白紙……の話では、ないのですか?」
おそるおそる尋ねると、彼は小さく息をついた……ように見えた(薄目の為、予測)。
「違いますよ。私が申し上げたかったのは、交流日を月一回から週一回に増やせないかということです」
「え……?」
週一回? つまり月四回?
なんでやねん。あんさん、ゲームでは『交流日は月一回でも気が重い』ってヒロインに愚痴ってますやん──私は、混乱極まっていた。似非関西弁で突っ込んでしまうほどに。
「クロエ嬢、どうして婚約白紙だと思ったのです? それも、俺が言いだすと?」
あ、『俺』って言った? え、嘘……キュン越えてギュンなんだが?
くそぉ、薄目にはなれても耳は塞げない。盲点!
……とか思ってる場合ではない。
そろりと薄目をやめると、激おこなエドウィン様。
「あ、あの、ごめんなさい」
「謝罪は求めてない。理由を訊いている」
「ひえ……あ、あの、えっと、昨日もパティさんと真剣なお顔でお話されていたし……パティさんが、好きかな……と、あ、違いますよね……」
言ってる途中から、エドウィン様の眉間の皺がすんごいことになっていて、怖すぎて「すみません」を繰り返す私である。
「昨日は、パティにあなたのことを聞いていました」
「? 私の何を?」
「……とにかく、パティはただの幼馴染なんです」
「……………………はい」
え? ほんとに? とか思っても、背中に氷山でも背負っているみたいなオーラの彼に訊けやしない。しかも、質問もはぐらかされた。
「信じてませんね?」
「……………………いえ」
「手のかかる妹みたいな存在なんですよ、あの子は」
「……………………はい」
はいはい、でたでた。男の言う、『あの子は妹みたいな子』発言!
……とか思っても、以下略ぅ!
「……どうしたら信じてもらえますか?」
「え?」
「私の態度がクロエ嬢に不信感を与えたことは反省しています。今度は信じてもらえるように最善を尽くします。ですので、私に今一度チャンスをください」
「……チャンス、ですか?」
「はい。私はあなたといると胸が熱くなるんです。気づけば、真っ先にあなたを探してしまう。あなたと話した日は、一日中幸せな気持ちになるんだ」
「えっ」
「これからも隣にいたい」
「わ、私なんて」
「未来の国母であるインペリオリ嬢と友人になったことに驕らず、それどころか低い身分の者たちにまで分け隔てなく声をかけ、手のかかるパティにも根気強く向き合っていた。そして、つまらない私の話に笑ってくれた。……そんなあなたの優しさを利用する頼み方で卑怯だと思いますが……」
あっ、だめ──
視線を合わせた途端、世界が一瞬で静まった。
「お願いです、俺にチャンスを」
翡翠色の瞳が、まっすぐに私だけを射抜いている。
「……あなたのことが好きなんです」
熱を帯びた光が胸の奥に届き、心ごと掴まれる。
──落ちちゃった。
「……は、はい」
掠れた声でどうにか返事した私を笑うがいい! チョロい女、と!
◇◇◇
「お姉さま、公式ヒロインの三倍くらいデートしてますよね? スチル見た~い」
「パティさんの『すちる』とやらは分かりませんけれど、クロエとランチェスター様は本当に仲良しよねえ。羨ましいわ」
「何言ってるんですかぁ、アンジェリーク様だってすんごいデートしてるじゃないですか。さすが王子様ですよねぇ、ヴァンサンテン館を貸し切りにして、歌姫・アナソフィアに愛の歌を歌わせるんだから! もう、超本命じゃないですかぁ」
「うふふ、やだもう」
「あはは、アンジェリーク様ったら、照れてるぅ~! ひゅ~ひゅ~!」
「パティさんったら、あまり揶揄わないで? あなたこそ、恋人ができそうなのでしょ?」
「よくぞ聞いてくださいました! 彼の前腕伸筋群がすごくって一目惚れしちゃいました! 袖まくった瞬間に思わず三度見しちゃいましたよ~! 上腕二頭筋なんて丸太ですよ、丸太! 早く好い仲になって、ぶら下がりたいですぅ!」
「……」
私が言葉に詰まる間に、パティとアンジェリーク様は私を置いて会話を弾ませる。
──あの日、『俺にチャンスを』と言われてから、もう半年。
気づけば、三倍どころではきかないほど出かけていた。
学園裏の温室で花びらを浮かべたお茶を飲んだ日があった。
城下町の古書店を並んで歩いたこともあるし、湖畔の小道で籠入りの昼食を広げた午後もあった。
仕立屋通りで衣装を選び、夜の劇場で肩を並べて公演を観たこともある。
天文台で星を指さし合い、音楽院の練習風景に耳を澄ませ、博物館の企画展を一緒に巡った日もあった。
騎士団演習場で彼の演武を見守った帰りに、馬術場で二人乗りを試し、弓術場では的当て勝負をした。
城壁の見張り塔から夕焼けを眺め、港の朝市で焼きたてのパンを分け合い、葡萄園で果実を摘み取り、収穫祭の屋台を回った。冬の氷上祭ではお揃いのピアスを着けて参加した。
花市で小さな苗を贈られ、観測丘で流星群を見上げ、書物市で同じ本に手を伸ばした。
暖炉サロンで毛布にくるまって読書をし、王城温室では夜咲く花に囲まれ、時計塔の上から街灯りを見下ろした。
学期休暇中は週二~三で会っていた。
どれもこれも、思い返すたび胸の奥がじんわりと熱くなる──
「ねえ、お姉さま、もう王都でデートスポットなくないですかぁ? 次はどこ行くんです~?」
──素敵な回想は、パティの声でぱたりと閉じられた。
「デートスポットじゃなくてもいいんです。二人でいることができればどこだって」
「きゃ~」と、パティが奇声を上げ、「ですってよ?」とアンジェリーク様が、私ではなく私の背後へ向けて言う。
え、と振り向いた先には、耳を赤くして眉を顰めるエドウィン様。
ああ、赤面、うつっちゃうから、やめて。
…………好き。
「ごめん。聞くつもりはなかったんだけど」
こほん、と空咳をするエドウィン様。
「あたしたちのことはお気になさらず~」「そうね、その通りだわ。おほほほ」
ニヤニヤ顔のパティとアンジェリーク様。
「……っ!」
気にするに決まってるので、私は椅子を立ち、エドウィン様と並んでティールームを出た。
陽を受けた庭園を歩きながら、まだ頬が熱を持っているのを感じていた。
「まだまだ寒いね」
白い息を吐きながら、エドウィン様は私にストールをかける。
今は、二月半ば。雪は溶けたけれど、まだ春には遠い。
この国の春は五月の終わりから六月のはじめだ。
「ありがとうございます、でもエドウィン様も寒いのでは」
「ううん、俺は平気。寒いのは得意なんだ」
お気づきだろうか。エドウィン様はすっかり平語なのである。キュン。
え? 私? 私は無理。敬語キャラなんでね。心の中でだけなんでね、この口調は。
庭園を歩いて、第四書庫室の黄土色の屋根が見えてきた時、エドウィン様が「さっきの話だけど」と切り出してきた。
私は、「んえ?」と変な声が出た。
「『二人でいることができればどこだって』って、言ってたでしょ、クロエ」
「え、あ、はい……」
「嬉しかった。喜んでもらうにはどうしようって思ってたから」
手が握られて、心臓が跳ねる。
「あ、あの、いつも色んなところに連れて行ってくれてありがとうございます。……私、その、あの……」
「うん」
「エドウィン様と一緒にいられて……とっても、嬉しいです……」
これが精一杯だ。
なんで過去三回押せ押せヤバ女だったのに、今世は直球の『好きです』が言えないの? なんてツッコミはやめてほしい。
今世は今世。前世は前世。立場も名前も外見も変われば、もう別人なのだ。
「……俺も、嬉しい」
エドウィン様は私の拙い告白(?)に嬉しそうで、私のドキドキは天元突破寸前である。
「あの、来週のデートは、エドウィン様の行きたいところに連れて行ってください。私、エドウィン様の『好き』を知りたいんです」
「……」
「あ、あの……?」
返事がないので、隣をそろりと見上げると、怒ったような、困ったような、不思議な表情の真っ赤な顔のイケメンがいて、私は『尊死!』と叫びたくなった。
──この日の夜、私は夢で《謎の存在》に会った。
前回同様、私の声は出ず、彼だが彼女だか分からないその人の一方通行演説だったが、どうやら私は試練をクリアしていたらしい。
いつ? 誰と誰を? と思ったが、やはり声は出せず、《謎の存在》に一生懸命ジェスチャーで質問を伝えている途中で目が覚めた。
目が覚めてしばらく経っても、《謎の存在》の声は頭の中でこだましていた。
「あなたは、自身に課せられた試練を果たしました。これにより、呪いは消えます」
この数日後、昼食の折にようやく気づいた。『一組の恋を成就させよ』という試練は、自分の恋にも当てはまるのだと。
そもそも私が試練を『恋を助ける』と思い込んでいたせいで、この答えに辿り着くのが遅れてしまったのだ。
四度目にしても見当違いとは、つくづく愚かだ。
だが、この恋だけは手放すまい。
◇◇◇
時は流れ、新年度。
私は無事に進級した。
乙女ゲーム内では、ヒロインが誰を選んだとて一年次の後半で休学なり退学なりする結末だったが、そういったこともなく、進級できたので無事と言っていいだろう。
真新しい制服。緊張した面持ちの新入生が列をつくる。
私は「入学おめでとうございます」と声をかけ、一人ひとりの胸元に一年生の徽章を留めていく。
昨年、私も同じように先輩に胸元へ手を添えられたことを思い出す。
季節はめぐるのだなあ、と胸の奥がほわほわと温かくなった、その瞬間──差し出した手をバシッと振り払われた。
「悪役令嬢クロエ・エマーソン。どうしてまだ学園にいるの」
え、誰? というか、痛……。
払われた手をさすっていると、同い年なのに私を「お姉さま」と呼ぶ『学園の妹』にキャラチェンジしたパティが、「ごらぁッ! お姉さまに何しとんじゃい、われぇ!」と飛んできた。口が悪過ぎる。
「ああん?」
「おおん?」
私の前で、ストロベリーブロンドのふわふわ令嬢と、見知らぬ漆黒の髪の美少女が睨み合う。
「なによ、あんた。悪役令嬢も排除できない役立たずの旧作ヒロインは下がってなさい。ヒロイン交代よ!」
「下がらんわボケェ!」
……パティが、旧作ヒロイン?
ということは、この黒髪美少女が続編のヒロイン?
というか、あのふざけたタイトルの続編があるの?
はじめて聞くパティの昭和のVシネ口調にツッコミを入れる暇も余裕もない私は、状況を飲み込めず、ぽかんと二人を見比べる。
……どちらも顔はめちゃくちゃ可愛いけれど、ヤバい香りしかしない。
ああ、一難去って、また一難。
そりゃないぜ、《謎の存在》。
私の受難は続くのである。
とほほ。
【完】