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影武者令嬢の束の間の恋

 王女が消えた。

 ご自分の専属護衛騎士とともに、ある日突然姿をくらました。

 それは、隣国アルセノア王国第一王子ジェリオット様との婚約披露パーティーの、わずか一週間前の出来事だった。


「──そなたにすべてがかかっておる。ルーシェ・スワン男爵令嬢。ライラックブロンドの波打つ髪、ローズクォーツのような美しい瞳……。フィオリナ王女殿下の稀有なその色味と完全に一致する教養ある令嬢など、このハーヴィニア王国広しといえどもそなたをおいて他にはおらぬ」


 びっしりと浮いた脂汗で額をテカらせながら、宰相閣下が私の目を見据え、絞り出すような声でそう言った。

 その向かいに腰かけている私は、蛇に睨まれた蛙だ。

 王宮の謁見室には今、異様に張りつめた空気が漂っている。


 宰相閣下のお話によると、あくまで今回のパーティーは、王子と王女の顔合わせを兼ねた仮の婚約披露の場らしい。正式な婚約披露の宴は、来年アルセノア王国にてあらためて催されるとのこと。今回は王子殿下だけが少数の随行者を伴い来訪されるが、我が国としては礼を尽くすべく、有力貴族らを中心に招き場を設けたそうだ。


「国王陛下ご夫妻も頭を抱えておられるが、ともかくこの婚約披露パーティーを無事に乗り切るためには致し方ないと。そのように仰せだ。……頼むぞ、スワン男爵令嬢。そなたの父君にはすでに謝礼金を渡してある」

「は……はぁ。ですが、宰相閣下……。王女殿下の影武者など、やはりあまりにも無謀では……」

「スワン家には領地の一部を再び下賜する手筈も整えている。さらには──そなたに良き縁談を世話する約束もした」

「っ!!」


(なんと……!)


 我が家は建国の折より王家に仕えてきた、由緒正しき侯爵家……だった。祖父の代までは。

 その祖父亡き後、心底善人だが商売っ気ゼロの我が父が、「領民たちが皆笑っている幸せな領地にしたいの」などという理想に燃え、道や橋を全部自費で修繕したり、貧しい家にうちの備蓄食料を無料で配布しまくったり、旅芸人や楽団を常駐させ、領民たちを楽しませるために頻繁に祭りを開催したりするまでは。

 おかげさまであっという間に財政難に陥った我が家は、領地を王家に返上する羽目になった。いまや没落寸前の男爵家だ。

 私が生まれて二年ほど経った頃には、すでに王国南方の田舎に引っ込んでいた我が一家。けれど宰相閣下は、このスワン家に生まれた娘が王女の色味と似ていたことをしっかりと記憶なさっていたらしい。

 私がこの影武者任務を無事遂行できれば、そんな我がスワン男爵家に領地の一部が戻ってくるらしい。さらには私も、まともな結婚ができる……?


(そりゃ父が必死の形相で私の肩を掴んで『宰相閣下のお話を聞いてきて!お願い!』とか言うわけだわ……)


 涙目になって私の両手をがっしりと握っていた父の情けない表情を思い出していると、宰相閣下がさらに言葉を重ねる。


「何もずっと影武者でいてくれなどと命じるつもりはないのだ、スワン男爵令嬢。フィオリナ王女殿下の行方が分かるまで……いやともかく、一週間後に開催される、アルセノア王国第一王子殿下とフィオリナ王女殿下との婚約披露パーティーが、つつがなく終了するまで……!」

「……はぁ……」

「パーティー直前に王女が失踪したなどと伝えれば、アルセノア王国への心証は最悪となる。同盟関係そのものを揺るがす恐れもあるのだ。……我が国にとって、この一夜は何としても、滞りなく終えねばならぬ」

「……はぁ……」

「そなたは顔立ちも、本当に王女殿下とよく似ておる。歳まで同じ十七歳ときた。さらに()()()名家の令嬢。そなたの立ち居振る舞いは、必ずやこの危機的局面を乗り切ってくれると信じておる」


 勝手に信じられても困るのだけれど、血走った宰相閣下の眼差しには並々ならぬ気迫がある。


「幸運なことに、ジェリオット王子殿下と我が国のフィオリナ王女殿下は、まだ一度もお顔を合わせたことがない。さらに王女殿下は数年前の暗殺未遂事件以降、ほとんど公の場には姿を見せておられぬのだ。そしてそなたも! スワン家が落ちぶれて以来、王都にさえ出てきてはおらなんだ。これほど好都合な状況があるか。パーティーの場で遠目にそなたの姿を見ても、貴族たちは誰も気付かぬであろう!」


 その後もなんだかんだと説得され、結局私は宰相閣下と父の要望どおり、フィオリナ王女の影武者役を引き受けることとなったのだった。




   ◇ ◇ ◇




 四年前、まだフィオリナ王女が十三歳だった時。

 国内貴族のとある一派による陰謀で、彼女は暗殺されそうになったことがある。

 王女が乗馬を楽しんでいる最中、放たれた毒矢が王女の愛馬の首に刺さった。

 馬は暴れ回り、王女は恐怖に泣き叫んだ。

 その時に彼女を颯爽と助けたのが、一人の護衛騎士だった。そのシーンはとてもドラマチックであったという。

 今にも振り落とされそうになりながら、必死に鞍を掴むフィオリナ王女。

 護衛騎士は瞬時に己の馬を操り、王女の暴走馬と並走した。

 そして騎士は鞍の上に身を乗り出すと、自身の馬上から宙を舞い、王女のもとへ飛び移ったのだ。

 騎士の腕が、落ちかけていたフィオリナ王女の細い体をしっかりと抱きとめた。その勢いのまま、二人の体は地面へと落下していった。

 騎士は見事に空中で身をひねり、王女を胸に抱え込むようにして、背中から落ちたそうだ。

 フィオリナ王女は、かすり傷一つ負っていなかったという。


『お怪我は、ございませんか……王女殿下。……よかった』


 横たわったまま王女を見上げ、苦しげに微笑んだその護衛騎士を、フィオリナ王女は瞳を潤ませ、頬を真っ赤に染めて見つめていたという。


(しかもその騎士が二十歳の美男子だったわけでしょ? いやー、そりゃ十三歳の女の子は恋に落ちるわー。そしていよいよ隣国王子との婚約披露パーティーという後に引けない事態になって、一世一代の覚悟を決めたわけね……フィオリナ王女殿下……)


 その護衛騎士の方も、王女を想っていたというわけか。

 二人の気持ちは分からなくもないけれど。

 おかげさまでこちらはとんでもない状況に置かれてしまっている。

 宰相閣下に説得されたあの日から四日。王女と騎士はいまだ見つかっていない。


 婚約披露パーティーを三日後に控えた今、私は最終打ち合わせのために王宮を訪れていた。何せ絶対に失敗の許されない大役。いくら打ち合わせを繰り返しても十分ということはない。震え上がりながら影武者を引き受けたあの日以来、私は毎日ここへ通ってきていた。うちは没落間近の男爵家なので、もちろん王都にタウンハウスなど持ってはいない。私はこの一週間、王宮の離れの一室にひっそりと滞在させてもらっている。

 影武者任務を無事遂行するためにも、今はまだ目立つわけにはいかない。私はこのライラックブロンドの長い髪を、後ろでまとめ編み込んでもらった。そして薄いグレーのショールを頭から被り隠している。地味めのドレスに身を包み、事情を知っている王宮のベテラン侍女二人だけを連れ、静かに回廊を歩いていく。宰相閣下の待つ部屋へ向かうためだ。

 すると、中庭の前を通りかかった時に、ある光景がふと目に入った。

 フードのついた黒いマントを羽織った人が、人目を避けるように庭の片隅にしゃがみ込んでいる。その人の前には、随分と薄汚れた格好の男の子。七、八歳くらいだろうか……。その子がべそべそと泣いているのがどうも気にかかり、少し逡巡した後、私は侍女たちに回廊で待っていてもらい彼らのもとへと向かった。


「……何を叱っていらっしゃいますの? その子が何か粗相をしました?」


 静かにそばに近付き、そう声をかける。するとフードを被った人が、驚いたようにこちらを見上げた。……男性だ。しかもすごく整った顔立ちをしている。綺麗な空色の瞳と視線が絡んだ瞬間、私の心臓が小さく音を立てた。

 男性は人差し指を唇の前で立て、小さく息を吐くようにシーッと囁いた。


「どうぞお見逃しを。いや、この子が王宮敷地内に忍び込んだようなのです。厨房の裏あたりをうろついていたのを私が目撃しまして……。ですがまだ何も盗んではおりません。未然に防ぎましたゆえ、見なかったことにしていただけませんか」


 男性が茶目っ気のある表情で私にそう懇願する。その時、少年のお腹がぐぅっと音を立てた。


(……お腹をすかせているのね……)


「……忍び込んだのは、食べ物を求めて?」


 私がそう尋ねると、少年は唇を噛みしめますます深く俯く。彼にどんな事情があるのかは分からないけれど、胸が痛んだ。うちだって全く裕福ではない。なんだか他人事ではないように思えた。


「……厨房には……きっと余り物などがありますわよね」


 私は無意識に、そんなことを口にしていた。

 フードを被った美麗な男性が、こちらを見上げふっと笑う。


「ええ。そりゃもうきっと、腐るほど」

「そうですよね。……どうにかしてあげたいけれど……」


 彼の美しい空色の瞳を見つめ返しながら、頭をぐるぐると回転させる。どうしよう。食べ物を分けてくださいなんて言いに行くのもおかしいし、この子のことを誰かに話せば、相手次第では見逃してくれないかもしれない……。

 すると男性がゆっくりと立ち上がった。背が高くて驚く。フードの隙間から、額にかかる艶やかな金髪がちらりと見えた。


「厨房の裏手には、廃棄するパンや果物を一時的に入れておく籠があるはずなんですよ。……この時間帯なら特に」

「……お昼過ぎですね」


 私たちは束の間見つめ合い、互いに口角を上げた。




「……ほら、これなんか焼きすぎただけで味は申し分ないはずだぞ」


 厨房の裏に積まれていた籠の中から、彼がパンをいくつか取り出すと、少年がぱぁっと目を輝かせる。

 焦げめのついたチーズパンに、熟れすぎて少し柔らかくなった果物。捨てられる前のそれらを布にくるみ、彼は少年の手にそっと渡した。


「持って帰って家族と食べな。……それと、ここから出るときは、南門の近くにある柵をくぐるといい。昼の交代時間らしい。さっき確認したが、見張りはいなかった」

「分かった……! ありがとう! 母ちゃんと妹たちが喜ぶ」


 少年がパンや果物の入った包みを抱きしめるようにして頷く。すると彼は片膝をついてしゃがみ込み、少年と目線を合わせた。そして幾分低い声で言い聞かせる。


「だけど、いいか。こんなことはもう止めておけ。私が見逃すのも今回限りだ。次は誰かに捕まってしまうかもしれない。そうなれば、君は厳しい罰を受けることになる。痛い思いをするだろうし、君の家族を泣かせることにもなるんだ。……分かるな?」


 彼の打って変わった真剣な眼差しに、少年も笑みを引っ込め、神妙に頷いた。すると、フードの下から見える美青年の空色の瞳が、再び柔らかな光を帯びる。


「この王国の王都には、孤児や貧しい子どもたちを受け入れている施設がある。知ってるか? 食事も寝床もある。すぐそばには子どもが無料で通える学び舎もあるんだぞ」


 少年が顔を上げ、瞬きをした。


「困ったら、そこへ行くといい。南門を出て、レンガの通りをずっと真っ直ぐ。白い塔の横にある、赤い屋根の建物だ。盗みを働くのは止めて、そういった施設を頼りながら、家族を守れるだけの力をつけた大人になるんだ。いいな?」

「……うんっ」


 力強く頷いた少年は、彼の指示通りに南門の方へ行こうとした。その時、少年の右のふくらはぎに大きな傷があることに気付く。私は思わず少年を呼び止めた。


「待って! ……足、たくさん血が出ているわ」


 私はハンカチを取り出すと、それを少年の足に巻いて包帯のように固定する。


「……はい。気を付けてね。あとでちゃんと傷口を洗って手当てをするのよ。ばい菌が入っちゃったら大変だわ」

「あ……ありがとう」


 少年は頬を染めて小さくそうお礼を言うと、一目散に走っていった。

 その後ろ姿を見送った私たちは、どちらからともなく視線を合わせ、小さく微笑む。ふと疑問に思ったことを、私は彼に尋ねた。


「……あなたはこの王宮や王都のことにお詳しいのですね」

「ああ、まぁ、そうですね。いろいろと勉強しましたから」

「……そうなのですか」


(勉強……? この方は、どこかの貴族のご子息なのかしら)


 物腰は落ち着いているし、言葉選びにも育ちの良さが滲んでいる。庶民の暮らしにも詳しそうだった。


(王宮内で働いている学士か書記官の息子さん、とか? それとも……)


 二人してさっきの中庭の方に向かって自然と歩きながら、頭の中でいろいろと考える。すると、黒いフードの美青年が少し小首を傾げるようにして、私に問いかけた。


「ところで、あなたは? どこぞのご令嬢のお付きの方でしょうか」

「え、ええ。その通りですわ。お嬢様が王宮図書館にご用がございまして。今からお迎えにあがるところでしたの……あそこの、彼女たちと一緒に」


 しどろもどろになりながら適当に返事をすると、ずっと回廊のところで待ってくれていた侍女たちの姿が見えてきた。彼女たちを指し示しながらそう答えた私は、そのまま立ち去ろうとした。これ以上いろいろ聞かれて、何かボロが出てしまったら大変だ。


「では、私はこれで。ごきげんよう」


 すると彼が胸に手を当て、恭しく一礼した。


「美しい瞳のレディー。素晴らしい出会いでした。秘密の任務を共に遂行してくださり、ありがとう」

「ま、ふふ。こちらこそ。どうぞ、良い一日を」

「ええ。また」


 私も軽く膝を折り挨拶を返すと、そのまま彼に背を向け、王宮の回廊へと戻った。

 また、と言ってくれたけれど、きっともう二度と会うことはないのだろう。

 ただ、この短い時間で垣間見えた彼の優しさ、そして誠実で真っ直ぐな人柄は、私の中に強い印象を残した。


(すごく素敵な人だったわ。……なんだか楽しい時間だったな……ふふ)


 この後宰相閣下の待つ部屋に行った私は、約束の時間をだいぶ過ぎてしまったがために、こっぴどく怒られた。


 綺麗な空色の瞳の美青年は、その後幾度も脳裏をよぎっては、私の胸を温かくしたのだった。




  ◇ ◇ ◇




 そしていよいよ迎えた、アルセノア王国のジェリオット第一王子殿下と、我がハーヴィニア王国のフィオリナ王女殿下の、婚約披露パーティー当日。王女と騎士はいまだ見つかっていない。

 私は早朝から王女の控え室に入り、頭のてっぺんから足元まで完璧にドレスアップさせられた。

 私の瞳の色、いや、フィオリナ王女の瞳の色と同じローズクォーツのような淡桃色のドレスは、華やかでとても美しい。胸元や袖口、ウエストや裾にも、金糸の刺繍が丁寧に施されている。ダイヤモンドとパールで統一されたアクセサリーたちはずっしりと重みを感じるほどにゴージャスだ。そしてライラックブロンドのロングヘアは、頭頂から左右へと丁寧に編み込まれ、肩より下はふわりと背中に流し先を巻いた、優美なスタイルに整えられた。完成した自分の姿を鏡で見て、影武者を引き受けてよかったと初めて思った。まさかこんなにもきらびやかな自分を見られる日が来るなんて。今の私は、とても没落間近の男爵家の娘には見えないじゃないか。一生記憶に残しておきたい。


 この影武者計画を知っている王宮侍女長と他二人の侍女に完璧な王女を作り上げてもらい、私は王宮の大広間へと足を踏み入れた。

 豪奢な装いに身を包んだ大勢の貴族たちの視線が、一斉に私に集中する。あちこちから聞こえる感嘆の声。強張った喉で生唾をごくりと嚥下し、私は努めて平静を装い王族席へと向かったのだった。

 今日の計画では、貴族たちを極力私に近付けないことになっている。あまり間近でジロジロと顔を確認されると困るからだ。ここ数年公の場に顔を出していないフィオリナ王女とはいえ、今後はどうなるか分からない。王女と私は、所詮は他人。完全に合致した顔面ではないのだから。

 そしてしばらくすると、本日のメインゲストである、隣国アルセノア王国第一王子殿下──ジェリオット様が姿を現した。

 シャンデリアの光を一身に浴びたかのような、その神々しい姿。繊細に輝く金髪。緋の装飾があしらわれた黒の礼装を纏い、堂々とした足取りで現れたその人物──。

 彼の顔を見た瞬間、私の呼吸が止まり、心臓が痛いほど大きく高鳴った。


(う……嘘でしょう……? あの時の人だわ……!!)


 忘れもしない。数日前に言葉を交わし、少年に食べ物を与え王宮から逃がすというミッションを共に遂行した、あの黒いフードの美青年。

 彼が今、真正面から私の方へと真っ直ぐに歩いてくるではないか。堂々たる姿で、形の良い唇に優美な笑みを浮かべ、私の目をじっと見つめながら。


「ようこそ、アルセノア王国王子、ジェリオット殿。こちらが我が娘、フィオリナだ」


 国王陛下が若干うわずった声で、私を指し示しそう紹介する。今夜の婚約披露パーティーさえ上手いこと乗り切れば、ジェリオット王子と王女とは、またしばらく顔を合わせることはないのだ。……あとは、ジェリオット王子の記憶力の程度にかかっている気もするけれど……。

 王子は私の前に跪くと、恭しく頭を垂れ、そして私の手をそっと取った。


(────っ!)


 そのまま上目遣いにちらりと私を見るジェリオット王子。彼はゆっくりと口角を上げた。その瞳に宿る楽しげな光を見て、私は悟った。……彼も間違いなく、気付いている。私があの時の令嬢であることに。

 王子は私の指先に、かすかに唇を押し当てた。


「お目にかかれて光栄です。……どうぞ、末永くよろしく」


 その素敵な仕草に、鼓動が速くなる。頬にじんわりと熱が集まるのを感じた。

 けれど彼のこの言葉は、“スワン男爵家のルーシェ”に向けられたものじゃない。


 国王陛下がジェリオット王子とフィオリナ王女の婚約を宣言し、大広間は歓声と拍手に包まれた。その後、ジェリオット王子が列席者たちに挨拶をし、祝杯が掲げられる。大広間には一斉にグラスの触れ合う音が響き、たくさんの祝いの言葉が上がった。

 そしていよいよ、ダンスタイムが始まった。

 ジェリオット王子が再び私のもとへと歩み寄り、美しい笑みを浮かべながら手を差し出す。私は半ば無意識にその手をとり、大広間の中央へと進み出た。

 柔らかな音楽が流れはじめると、王子は私の腰をそっと抱き、もう片方の手で私の手を包みこんだ。そしてふわりと舞うように、軽やかに動きだす。

 しばらくじっと見つめ合ったまま踊っていると、ジェリオット王子が私の耳元に唇を寄せ、囁いた。


「……まさかこんな形で再会するとは。我々は運命的な出会いを果たしていたのですね」

「……っ、……ええ。本当に」


 かすかに胸に走った痛みに戸惑う。……何だろう。この人を騙している罪悪感だろうか。私は一瞬彼から目を逸らし、視線を下げた。


「あの日、あなたはショールを被っていらっしゃったからほとんど見えませんでしたが……こんなにもお美しい髪をお持ちだったのですね。繊細で艶やかで、とても素敵だ」

「……ありがとうございます、ジェリオット王子殿下。あなた様こそ……。その美しい空色の瞳に吸い込まれそうですわ」


 私がそう返すと、王子は嬉しそうに破顔した。その笑顔が眩しくて、私はまた目を逸らす。そして自分の動揺をごまかすように言葉を続けた。


「そ、それに、()()()へのご対応も、とても素敵でしたわ。貧しい子どもを見捨てずに手を差し伸べ、けれど甘やかすだけではなく、きちんと指導もなさって。……あなた様のようなお方がアルセノア王国を導いていかれるのでしたら、王国の未来は明るいですわね」


 また胸の奥に鈍い痛みが広がり、何だか少し息苦しくなってきた。あの時の素敵な方にこうして再会できて、しかもそれが隣国の王子様だったのだ。こんな貴重な経験、むしろもっと喜んでいいはずなのに。

 私はどうして、こんなにも暗い気持ちになっているのだろう。

 私の言葉を聞いたジェリオット王子が微笑む。


「そう言っていただけて光栄です。私がどのように力を振るうことになろうとも、その時はあなたが隣で、この私を支えてくださいますか?」

「……もちろんですわ」


 無理やり口角を上げそう返事をすると、王子は噛みしめるように言葉を紡ぐ。


「……あなたに出会えてよかった。あなたこそ、ただお美しいだけではない。慈悲深いそのお心に、私はあの時強く惹かれました。ハーヴィニア王国に来てよかった。こうして運命の相手と出会うことができたのだから」


(……ジェリオット王子、本当に嬉しそう……。よほどこの()()()()()()()のことがお気に召したのね)


 よかったじゃないか。想定外の出会いにはなってしまったけれど、おかげでお二人の婚約は上手くいきそうだもの。あとはフィオリナ王女が無事お戻りになった時に、あの出会いのことも含めて口裏を合わせておけばいいだけ……。

 そう思う反面、無性に寂しくて、切なくて。

 私は思わず、唇をきゅっと噛みしめた。


 国王陛下の挨拶を区切りに、婚約披露パーティーは幕を閉じた。列席者たちが次々に大広間を後にし、ジェリオット王子も退場なさることになった。彼は今夜、王宮内の迎賓館にご宿泊なさるのだろう。


「……こんなにも別れを寂しく感じるとは。早くまたあなたに会いたい。……あなたも、そう思ってくださっていますか?」


 熱っぽい瞳で私を見つめ、最後にそう言葉をかけてくださるジェリオット王子。もうすでに()()()()()()()に夢中になっているのが見て取れた。


「……もちろんですわ、ジェリオット王子殿下。私も……次にお会いできる日を心待ちにしております」


 またも胸に走った痛みと苦しさに気付かぬふりをしながら、私は努めて穏やかに微笑み、そう答えた。

 王子は一層艶やかな笑みを浮かべ、私の両手を優しく握る。


「よかった。ではできる限り早く、また会いに来ます。待っていてくださいね」

「……はい」


 今度こそ、それは叶わない。私はもう二度と決して、この方にお会いすることはないのだ。王子が次にお会いになるのは、フィオリナ王女本人なのだから。

 ……彼女が、無事に戻ってさえ来れば。

 ふいに脳裏をよぎったどす黒い思考に、自己嫌悪する。


(……なんて嫌な女なんだろう、私。このまま王女が見つからなければいい、ずっと影武者のままで生きていければ、私がずっとこの方の隣にいられるのに、だなんて……)


 私は醜悪だ。最低だ。

 影武者のくせに王子に恋をしてしまい、こんな身の程知らずな願いを抱いてしまうだなんて。




 パーティーの翌日、私は逃げるように王宮を出、王国南方のスワン男爵領へと帰った。


「お帰りなさいっ……! どっ、どうだったの? ルーシェ! パーティーは上手くいったのよね!?」


 こじんまりとした屋敷に到着するやいなや、父がぶんぶんと腕を振りながら、腰をくねらせ馬車へと駆け寄ってくる。肩まであるくすんだ金髪を乱しながら。仕草といい口調といい、父は母よりもだいぶ可愛らしい。そして誰よりも頼りない。

 フットマンよろしく私に手を差し出し、馬車から降りるのを手伝ってくれる父。期待に満ちた目でこちらを見つめてくる彼に、私は疲れた声で答えた。


「ええ、おそらく。誰にもバレていないようでしたし、アルセノア王国第一王子にもお気に召していただけたと思いますわ。……まぁ、来年あちらの王国で正式な婚約披露パーティーが行われる時には、一悶着あるかもしれませんが。王子には間近でしっかりと顔を見られたわけだし」


 父の顔がぱぁっと輝く。彼は力いっぱい私を抱きしめると、私の頬に自分の頬をぐりぐりと擦り付け、歓喜の声を上げた。


「そんなことはいいのよ! それは宰相閣下たちが何とかフォローすることでしょ!? ああーん! よかったぁ! あたしのルーシェ! 素敵なルーシェ! 頑張ってくれて本当にありがとう……っ! あなたのおかげで……あたしたち一家は助かったわっ!」

「……お父様。これに懲りてもうお金のばら撒きはお止めくださいませ。こんな機会はもう二度とございませんよ。王宮からいただいた謝礼金と下賜される領地を元手に、頑張ってスワン男爵家を立て直しましょう」


 頬を潰されげんなりしたまま、私はそう父を諭す。

 父はウンウンと激しく頷いた。頬が痛い。


「分かってる! 分かってるわ……! あたし間違ってた。お母様にもね、これまで何度も怒られたわ。お前はろくでもない当主だ、こんなやり方じゃ我々には先がないって。あたしがバカだった……! これからはもっと堅実な領地経営をするから。領民たちも家族も、もっと正しく導いていけるような素敵な領主になるから!」

「……ぜひとも努力なさってくださいませ……」


 そう返事をした私は、深い深い溜め息をついたのだった。


 ついにフィオリナ王女が見つかったとの知らせが、このスワン男爵家に届いたのは、それから三日後。

 発見されたのは、あの婚約披露パーティーの翌日のことだったらしい。 




  ◇ ◇ ◇




 フィオリナ王女と護衛騎士は、アルセノア王国との国境沿いの森の中にある、古びた巡礼宿で見つかった。「美しい紫髪の若い女性が、背の高い男と激しい口論をしている」という目撃情報があったことで、発見に至った。

 王宮の近衛騎士団が巡礼宿に到着した時、フィオリナ王女と共に逃げた護衛騎士との関係は、すでに最悪だった。数年にわたる秘めた想いを抱き合っていた二人ではあったが、実際に行動を共にすると全く馬が合わなかったらしい。道中の苦労で互いの性格の不一致が露呈し、王女のわがままぶりと騎士の頑固さがぶつかり合ったようだ。全てを捨ててまで駆け落ちしたはずの二人は、完全に険悪ムードになってしまっていた。

 王女はもちろん問答無用で王宮に連れ戻された。そして護衛騎士の方は、本来であれば死罪にもあたる大罪ではあった。だが、四年前に一度王女の命を救った栄誉があり、さらにフィオリナ王女も「死罪だけは許してあげてほしい」と懇願したことから、国外追放の罰に留まった。


 数ヶ月後、ジェリオット王子とフィオリナ王女の婚約は白紙に戻った。その明確な理由は公にはされなかったけれど、ジェリオット王子は第二王女──フィオリナ王女の妹君と、新たに婚約を結んだそうだ。そのことを知った時、私はさらに落ち込んだ。同じ人に二度失恋した気分だった。


(あれだけ影武者を頑張ったのに……。私の努力と恋心は一体何だったのよ。無駄に傷付いちゃったじゃないのよ、もう)


 最初から出会わなければ、こんな胸の痛みなんか味わわずに済んだのに。ひどいじゃないか。

 心の中でそう毒づきながらも、ジェリオット王子と過ごした短い時間は、やっぱり夢のようなひとときで。

 思い返すたびに苦しいほどに切なく、そして温かい想いが、この胸を満たすのだった。

 ちなみに、フィオリナ王女の婚約が白紙になったからといって、王家からの謝礼金や領地一部下賜の約束は破られることはなく、両親はウハウハだった。

 ただ、私が世話してもらえるはずだった“良き縁談”だけは、まるでなかったことのようにされてしまった。宰相は世話してくださる気配もない。何の便りもない。まぁ、私もまだ結婚なんてとてもする気になれないから、いいんだけど。


 父は母や私に時折叱咤されながら、まともな領地経営を行いつつある。

 私たち一家は王国の南方で領地を切り盛りし、財政を立て直しつつ、慎ましく暮らしたのだった。


 そうして一年ほどが経った、ある日の午後のことだった。

 私は書類を役場に出したり、領内の食料備蓄庫の確認に行ったりする予定で、屋敷の玄関扉を開け外に出た。馬車に乗るつもりでいたのだ。

 けれど、書類を持って玄関ポーチを降り数歩歩いたところで、足が止まった。馬車のそばに、見慣れぬ誰かが立っていることに気付いたからだ。

 その人が誰だか認識した途端、頭が真っ白になり、心臓が口から飛び出すほど大きく高鳴った。ヒッ、と変な声を漏らしてしまった後、私は震える声でその人の名を呼んだ。


「ジ……ジェリオット、王子殿下……っ!」


 見間違えるはずがない。なぜ……? なぜこんなところに!?

 繊細に輝く金色の髪。晴れ渡る青空のような色の瞳。スラリとした長身に、端正なお顔立ち。

 間違いなく、あの日共に踊ったジェリオット王子だ。

 私が束の間の恋をした、その人──。


(え? なぜ彼がここに……このスワン男爵領にいらっしゃるの??)


 ジェリオット王子は艶やかに微笑むと、髪をなびかせながらこちらへと歩み寄ってくる。そして私の目の前に立ち、こう言った。


「やぁ、すまない。遅くなってしまった」

「……。……え?」


 慌てて書類を投げ捨てカーテシーをしようとした私の体は、硬直した。遅くなってしまった……? どういう意味だろう。まるで約束でもしていたかのような……。

 大混乱を起こす脳みそを必死に稼働させながら、私はひとまず書類を地べたにそっと置き、ワンピースをつまんで膝を折った。


「ごっ、ご機嫌麗しゅう、ジェリオット王子殿下。その節は大変……」


(いや、ちょっと待って……あれ? その節は、なんて言ったらダメだよね? 私はただの男爵令嬢。()()()はフィオリナ王女として踊ったわけだし……。その数日前に一緒に少年を助けた時だって……。あれ? この方本当に、なぜここにいるの?)


 再び頭が真っ白になった私は、それ以上言葉が続けられず、顔も上げられない。膝を折ったまま全身にじんわりと汗を浮かべ固まっていると、ジェリオット王子の手が私の肩に触れた。


「もうその呼び方は止めてくれないか。俺()ジェリオット王子じゃないしな」

「…………え?」


(ジェリオット王子じゃ、ない……?)


 狐につままれたような思いでゆっくりと顔を上げ、私は眉間に皺を寄せた。


「い、いや、……どういう意味でしょうか。だって、王子ですよね? え? ほら、あの日一緒に踊ったじゃありませんか……。婚約披露パーティーで」


 自分が今何を口にしているのかもよく分からない。王子はハハッと声を出して笑った。


「ああ、たしかに踊ったな。でも、君だってフィオリナ王女じゃなかっただろう? 俺も同じだよ。ジェリオット王子の代わりにパーティーに出席し、君と踊った。……ふ、面白いよな。ジェリオット王子とフィオリナ王女の婚約披露パーティーだったのに、本人たちはどっちも出席してないっていう。ははは」

「……へ……?」


 はははじゃない。はははじゃ。

 あの日たしかに恋に落ちたはずのこの人のことが無性に不気味で怖くなり、私は数歩後ろに下がった。両手で頭を抱える。


「じ、じゃあ……じゃああなたは一体、だ、誰なんですかっ!?」


 取り乱す私の前で、彼は落ち着き払った声で言った。


「俺の本当の名は、ノルド・ウィンチェスター。アルセノア王国のウィンチェスター伯爵家の三男で、幼少の頃からジェリオット王子殿下の影武者をやってきた者だ。顔立ちがずっと殿下にそっくりでね。あと背丈や、髪と瞳の色も。王子には他にも影武者が数人いる」

「か……影武者……!? あなたも!?」


 思わずそう叫ぶと、彼──ノルド・ウィンチェスター伯爵令息はにやりと口角を上げ、頷いた。


「そう。君と一緒でね。あの婚約披露パーティーの数週間前から、俺は王子の命でフィオリナ王女の素行調査のために先にこのハーヴィニア王国に来ていた。ジェリオット王子はパーティー前日に、この王国に入るご予定だったんだ。だが……かの方のご趣味のために、急遽来られなくなってしまってね」

「……ごっ……ご趣味……? 王子殿下の……?」


 呆然と問い返すと、ノルド様は頷いた。


「ジェリオット王子殿下は昔から、猛禽類を愛でるのがお好きなんだよ。専用の小屋まで作らせ、暇さえあれば可愛がっておられた。けれど、ハーヴィニア王国入りする数日前、その中の一羽の鷹に、鉤爪で片目の上を思いっきり引っかかれてね」

「ま……まぁ、それは……」


 なんて恐ろしい話だ。ご自分のペットに顔を引っかかれるとは。その鷹はご機嫌斜めだったのだろうか。王子もさぞや痛かったことだろう。


「王子も侍従たちもどうにか傷を目立たなくさせようと苦心したが、むしろどんどん腫れ上がる一方だったようで、左目が完全に塞がってしまったと。こちらにいる俺に、急遽指令が届いたんだ。お前そのまま王子として、パーティーに出席しろと」

「な、なるほど……」

「すでにいろいろ調べていた俺は、王女本人が失踪したらしいことは分かっていたんだがな。さて、一体相手はどう来るのだろうと思いながら、王子の命令どおり出席してみたら……なんと、数日前に出会って好きになった人が、王女として立っていたじゃないか。驚いたよ」

「……そ……、まさか、そんな事情があっただなんて……。……ん?」


(数日前に出会って……、好きになった人? ……え? 誰? まさか……わ、私のこと??)


「そう。もちろん、君のことだよ」


 ノルド様はまるで心を読んだかのように絶妙なタイミングでそう言った。私は反射的に彼の空色の瞳を見つめる。包み込むような優しい眼差しに、頬がじわじわと熱を帯びる。たちまち心臓の鼓動が速くなり、私は唇を震わせながら首を振った。


「だ、だって、あなた様はあんなに……フィオリナ王女に真剣に求愛なさっていたじゃないですか!」

「え? いつ?」

「ダ、ダンスの最中ですわ! 出会えてよかったって……隣で支えてほしいって……!」

「うん。言ったよ。君にね」

「わ、わたし!?」

「そうだよ。いや、よく思い返してみてくれ。俺は一度も君のことを『フィオリナ王女』なんて呼ばなかったはずだが?」

「……へっ?」


(そ……そうだっけ……? 呼んでなかったっけ……??)


 必死で記憶を手繰り寄せるけれど、混乱極まる脳みそでは何も冷静に考えられない。

 この方も……私のことを、気に入ってくださっていたの……? 私が王女本人ではないと分かった上で……?

 両手で顔を覆い、何度も深い呼吸を繰り返す。それから私はおそるおそる、ノルド様のお顔を見上げた。

 彼は私に一歩近付き、目を細めて私の髪をそっと撫でる。


「俺は君と踊りながら、()()()に求婚したんだよ。俺が好きになったのは王女じゃない。君なんだ。ルーシェ・スワン男爵令嬢」

「…………し……信じられません……。そんな、夢みたいなこと……」


 気恥ずかしさと喜びとで、頭がクラクラする。全身が火照り、心臓はもう息をするのも苦しいほどに激しく脈打っている。

 叶わぬ束の間の恋を諦めた相手が今、目の前で私に愛を囁いている。

 夢見心地な私の前で、ふいにノルド様が跪く。そして私の手を取り、熱のこもった眼差しで私をじっと見つめた。


「では改めて求婚するとしよう。……俺は王子ではなく、ただの伯爵家の三男坊だが……ルーシェ嬢、この俺と一緒になってくれるか」


 先ほどまでとは違い真剣味を帯びた彼の声は、少し掠れている。胸がいっぱいになり、視界がぼんやりと霞んだ。

 影武者同士として出会った私たちの一緒に過ごした時間は、驚くほどに短い。けれど私のこの想いもまた、目の前のノルド様に負けないくらいに熱く心を満たしていた。


「……もちろんですわ」


 震える声でそう答えると、ノルド様はほっとした表情で立ち上がり、そして優しく私を抱き寄せた。


「受け入れてくれてありがとう、ルーシェ嬢。ここまで足を運んだ甲斐があった。大事にするよ」

「……ノルド様……」

「……もっと名を呼んでくれ、ルーシェ嬢。俺の本当の名前を」

「……ええ。ノルド様……」


 甘い空気が漂い、私は彼の腕の中で幸せを噛みしめる。ゆっくりと顔を上げると、私を見つめる空色の瞳と視線が絡んだ。

 互いの顔がほんの少し近付いた、その時。


「いやぁーーん!! 若いって素敵ーー!!」

「「っ!!?」」


 突如甲高い声が辺りに響き渡り、私たちの体はビクッと跳ね上がった。反射的に玄関の方に視線を向けると、目をうるうるさせた父が、腰をくねらせながら全速力でこちらに向かって走ってくるではないか。慌てて体を離したノルド様が動揺している。


「だぁれ!? どちら様なの!? その素敵な殿方はっ! 紹介してちょうだいあたしのルーシェ!」

「……え……っ、お、お母、上……?」

「父ですわ」

「だよな。うん。分かっている。見れば分かるよ。はじめまして、スワン男爵。隣国アルセノアのウィンチェスター伯爵家三男、ノルドと申します」


 小指を立てながら目の前にやって来た父に向かって、ノルド様は至って冷静な声でそう挨拶をしたのだった。




 ありがたいことに、ノルド様はこんな立て直し中の貧乏男爵家に婿入りしてくださった。彼がやって来てからというもの、我が領の財政状態はみるみる改善され、街や村も、そして我が屋敷も活気づいていった。領民との対話を重ね地道な改革を進めてくれるその姿に、皆が信頼を寄せている。

 頼もしく引っ張っていってくれる彼の姿に、私は何度も惚れ直してしまうのだった。


 夢のような束の間の恋は、今確かな形で私のそばにある。


「……不思議だわ……」


 工事現場の視察からの帰り道。馬車までの短い距離を歩きながら、私は隣の夫を見上げ呟く。


「? 何が?」


 ノルド様はきょとんとした顔で私の方を見た。


「……ううん。なんていうか……影武者同士として踊っただけのあなたとこうして夫婦になって、今一緒に暮らしているだなんて……。人生って分からないものよね」


(まさかこんな素敵な旦那様が、私にできるなんてね……)


 しみじみとそう思っていると、ノルド様が目を細め私の髪を撫でた。


「俺はただ、目の前にいた君自身に惚れただけだよ。その君がたまたま王女の影武者をしてたってだけで」

「ノ、ノルド様……」


 真っ直ぐな言葉に照れて目を逸らすと、隣で彼がくすりと笑う気配がした。


「あんな風に出会えたわけだから、王子の影武者をやっててよかったとは思うけどな。どんな始まりだっていいさ。今こうして、君の隣にいられるんだから」

「……ええ。私も」


 あなたと同じ気持ちよ。

 恥ずかしくてそう口にすることができず、私はそっとノルド様の手を握る。

 包み込むように私の手を握り返してくれた彼と二人、肩を寄せ合い歩いたのだった──。







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