脳みそ萌え
かおりんの脳みそはサイコーにセクシーだ。表面の凹凸は芸術的な比率を保っているし、若さゆえのハリと弾力でエビの身みたいにプリプリしてる。
それに何と言っても、あの皺の数。色んなアイドルの脳みそを見てきたけど、あれだけの数の女の子は見たことがない。僕たち脳みそだけになった人類の中で、皺が多い脳みそが嫌いな人間なんていないんだから、かほりんに心が奪われない人なんていないはずだ。
「みんなー、今日は私たちのライブに来てくれてありがとうー!」
ステージ中央。ガラスケースに取り付けられたスピーカーから音が響く。ガラスケースには複雑なダンスにも対応できるように3軸6自由度の高性能関節付きキャスターが取り付けられていて、ケースには有名デザイナーがデザインしたモダンな花柄模様がプリントされている。そしてそのガラスケースの内側に収められたかほりんのキュートな脳みそは、ライブでの高揚で心なしか血色がよく、赤みがかっているような気がした。
僕もかほりんに答えるように、ガラスケースに付けられたスピーカーから歓声を送った。狭い客席は脳みそで満席になっており、興奮した僕たちファンのガラスケース同士がぶつかり合って、カシャンカシャンと音を立てていた。
僕たち人類が身体という肉体の枷を捨て、脳みそだけの高次的な存在になろうとした時、とある脳科学者は言っていた。これによって二重とか体が細いとかそういう表面的な基準で美しさが語られることはなくなり、内面といったより高次的な美しさを人々は追いかけるようになるだろうと。
その後どうなったか。結果はご覧の通りだ。僕たちは脳みそだけの存在になった今でも、見た目の美しさを語り、讃え、そして振り回されている。
*
「はあ……はあ……。なんて可愛いんだ、かほりん……」
家に帰った後も僕はライブの余韻に浸っていた。ガラスケースに取り付けられたカメラの再生機能を使って、視神経から直接脳にライブ映像を送り込む。あのキュートでプリティーな脳みそが扇情的なダンスで右へ左へ揺れている。その脳みそを見ているだけで、自分の脳みそが火照っていくのがわかる。
僕は興奮状態のまま、壁にかけっぱなしになっていた快楽信号送信機をマジックアームでつかむ。それからガラスケースの接合箇所にプラグを差し込み、快楽信号の設定を行う。
今日は最高に気分が良く、ハイになりたい気分だった。僕は快楽強度をマックスの合法快楽薬物レベルに設定し、快楽信号の送信をONにする。それと同時にプラグを通じて、僕の脳みそに快楽を生み出す電気信号が直接流れ込み、僕の脳みそが幸福で包み込まれていく。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
スピーカーを切り忘れていたせいで、脳の言語中枢から繋がり、自動で脳内発話を再生する合成音声機械が作動し、僕のみっともない声が部屋にこだまする。
僕は快楽を浴び続けた。だけど、30分たったあたりで、国から決められている快楽信号送信機の一日使用上限に達してしまったため、機械が警告音と共に停止する。使用上限に達した機械は国から定められている音声メッセージを鳴らし始めた。
『快楽電気信号の過度な使用は依存リスクを高めます。適度な仕様にとどめ、より高次的活動に時間を費やしましょう』
何度聞いても腹が立つそのメッセージに悪態をつきつつ、僕はガラスケースの車輪を操作して部屋の隅っこに置かれた鏡台に向かった。目の前の鏡に映った自分の脳みそを眺めていると、どんよりと気分が沈んでしまう。あのかほりんの脳みそを見た後だからか、自分の脳みその不細工ぶりが思い知らされる。
ブレインケアには気をつけっている方だとは思うけど、脳みその表面である大脳皮質はハリがなく、水を吸った餃子の皮みたいにブヨブヨ。色もどこかくすんでいるようで美しくない。
もっと美形な脳みそだったら、人生はイージーだっただろうなとよく考える。でも、脳の形なんて遺伝で決まるものだ。たまたま美しい形で生まれた者と、そうでない者がいる。どれだけブレインケアを頑張ったところで、皺の深さや曲線の美しさは大きくは変わらない。仕方ないことなんだ。僕はその不条理を受け入れ、脳ケースの奥にしまい込んだ。
だけど、そんなある日のことだった。
『緊急特集! アイドルかほりんの脳整形疑惑────美しすぎる皺の真相に迫る』
ニュースフィードのタイトルが視神経直結ディスプレイに飛び込んできた瞬間、脳幹が一瞬で冷えた。おいおい嘘だろ、と思いながらも僕は脳波でページをめくり続ける。
そこには鮮明なMRIスキャン画像とともに、整形前とされる脳の状態が比較として並べられていた。皺の数、深さ、位置、シンメトリの角度。確かに今のかほりんの脳とは全くの別物だ。そして、記事の下部には関係者の証言が載っていた。
あの完璧な脳、僕たちが崇めてきた天使のようなかほりんの脳は、造られたものだった?
嘘だと思いたい。でも、事実は目の前に映し出されている。僕たちのアイドルは、生まれ持った才能で輝いていたのではなかった。
興奮とも絶望ともつかない信号がシナプスを駆け巡る。だけど、それと同時に浮上したのは脳整形という言葉。概念自体は知っていた。だけど、今まで意識の外にあったのか、全く考えたことがなかった。
僕は鏡に映った自分の不細工な脳みそを思い出す。そして気がつけば僕はインターネットで脳整形について検索しており、オンラインですぐに予約ができそうなとあるクリニックを見つけた。僕は少しだけためらった後で、覚悟を決め予約を行う。
予約当日。僕は外出用のガラスケースの中に自分を入れ、クリニックへと向かった。地下鉄の駅を降り、数分キャスターで移動したところにある雑居ビルの3階。そこが「ブレイン・ビューティ・クリニック」だった。
「ようこそ、お客様。はじめての脳整形ですか?」
受付に入ると、スピーカーから滑らかな音声が響いた。はいと答えると、すぐにカウンセリング室へと案内された。
壁紙は優しいピンク色で、スピーカーからは環境音楽が流れている。脳が落ち着く周波数帯が計算され尽くしているのだろう。僕は音楽をマイク越しに聴きながらそんなことを考えた。
「こんにちは、僕がこのクリニックの院長です」
助手と思われる脳みそを引き連れて入ってきたのは、整った脳みそをした整形外科医だった。入っているケースも、接続されているオーディオ機器や移動用キャスターも、どれにも有名なブランドのロゴが刻まれていて、目の前の人物がお金持ちだということを否応なしに認識させられる。
「まずはどんな自分になりたいか、話してくれるかな?」
僕は少し躊躇したあと、ケースの内蔵ストレージから写真データを取り出した。そこに映っていたのは、僕が愛するかほりんのMRI画像だった。
「こうなりたいんです。皺の入り方も、皮質の反射率も、すごく整ってて……」
医師はその画像を眺めながら、うんうんと頷いてみせる。
「すばらしい選択だね。かほりんさんの脳は、今うちの中でもトップクラスのリクエストだよ。皺は全体的に増やしつつ、左右非対称を避けたデザイン。色は赤味のニュアンスを残しつつ、くすみを除去してツヤを出す。それから……」
タブレットに表示されたプランは、皺の数や深さの調整はもちろん、「弾力強化ジェルの注入」「皮質の美白レーザー」「神経膜の再配置による視覚的立体感強調」など、まるで高級エステのような言葉で埋め尽くされていた。
「で、でも……整形って、リスクがあるって聞いたんですけど大丈夫でしょうか? 脳の形を変えることになるわけですから、最悪の場合脳死に至るって話も聞いたことがあります」
僕は恐る恐るそう尋ねた。正直、まだ怖かった。もし施術に失敗して記憶や感情に支障が出た時のことを考えると、ないはずの背筋がゾッとする。
「もちろん、リスクはゼロじゃないよ。でもね」
院長は僕を嗜めるように静かに言った。
「あなたの脳が、毎日自分は醜いって思いながら生きているストレス。それも立派なリスクじゃないかな?」
その言葉が、まるで電気信号のように僕の前頭葉を貫いた。そうかもしれない。美しくない脳を持ち続けることだって、ある意味で脳にとってはダメージなのかもしれない。
気がつけば、僕は同意の信号を送りかけていた。ただ、示された手術代金を見て僕は思わず。提示された金額は僕が考えていた予算を遥かにオーバーするもので、とてもじゃないけれど払えるものではなかった。僕はがっくりとない肩を落とし、予算超過であることを伝えた。すると院長は、うーんと考えた後僕に提案してきた。
「どうでしょう? 僕ではなく、ここにいる助手が執刀することを許していただけるのであれば、ご提示した金額の半額以下で手術を行わせていただきますよ?」
突然の申し出に僕は混乱してしまう。院長はそんな僕を落ち着かせながら、説明してくれる。助手といっても医師免許は持っている本物の医者だということ。すでに半年近く研修を受けており、すでに戦力として働けるだけの技量を兼ね備えていること。
「まあ、数は多いですがどれもそこまで難しい手術ではありませんし、不安になる必要はないですよ」
院長の言葉に助手が言葉を重ねる。
「マジで腕には自信あるんで、大船に乗ったつもりでいてください!」
正直院長に手術してもらうのが一番いいが、お金がない以上、それを実現することは叶わない。院長の言葉を信じるのであれば、大丈夫そうな気もするし、何より破格の値段で手術を受けられるというのはどうしようもなく魅力的だった。お願いします。メリットとリスクを天秤にかけ、僕は院長の申し出を受けることにした。
「じゃあ、始めましょうか」
院長と助手が僕を奥の手術室へと案内する。そして、がちゃんとロックが外される音とともに僕はガラスケースから手術台の上へとゆっくりと降ろされる。そのまま麻酔を打たれ、手術の準備が進められる。掠れゆく意識の中で、院長が助手に対して、手術を始めようかと語りかける声が聞こえてくる。
助手がガチャガチャと手術道具を操作する音と共に、僕は意識が遠のいていくのがわかった。そして薄れゆく意識の中、最後に聞こえたのは、僕を執刀している助手の腑抜けた声だった。
「あ、ヤベッ」
*
意識が目覚めると、そこは先ほどまで僕がいた脳整形クリニックではなかった。見たことのない場所、いや空間といった方がいいかもしれない。意識を覆う全てがベージュの単色で、そこには机とかガラスケースとか物質的なものはおろか、光や空気というものすら存在していないような気さえした。
『意識が戻りましたか?』
声ではない。直接語り掛けられたかのように僕の意識に直接その言葉が伝わってくる。困惑して何が何だかわからない僕に謎の存在が説明を続ける。
『あなたは脳整形手術中の事故により脳が傷つけられ、脳死してしまいました。脳死イコール法的な死であるため、普通であればそのままあなたの脳みそは火葬される予定でした。ただ、偶然にもそのタイミングで政府が秘密裏に進めていた、脱脳計画という計画の実験者が必要になってたんです。
被験者の条件は若いことと脳死状態であること。それを満たしていたあなたは、特別にその被験者として選ばれ、こうしてここに存在できているのです』
突然の情報に処理が追いつかない僕は、とりあえず思い浮かんだ質問をぶつける。
「えっと、あなたがいう脱脳計画というのは一体?」
『その名前の通り、身体から人間を解放し、我々が脳だけの存在となったように、脳という物質的な制約から人間を解放し、精神のみの存在にするという試みです』
それから相手は言葉を続ける。
『脳すらも捨て去り、人格や意識をデジタル上に移植することで、完全に肉体から私たちは解放されます。私たちにはすでに肉体はなく、あるのはコンピュータ上のデータ、つまりは0と1で表される数字の羅列のみになるのです。それにより私たち人類は物質主義的な思考を必要としない、ハイセンスでハイレベルな高次的な存在へと進化することができるのです』
全てを理解できたとは言えない。それでも僕が今どういう状況にかれているのかは理解できた。ハイセンスでハイレベルな高次的な存在。加えて自分がそのようなポスト人類とも呼べる存在になれたことに対し、興奮してすらいた。
さらに話を聞くと、僕以外にもすでにデジタル化された人間は何人も存在し、コミュニティが出来上がっているとのことだった。僕は促されるがまま、そのコミュニティに参加し、他の人たちとの新しい生活が始まるのだった。
そして、より高次的な存在になった僕は、デジタル上の世界で楽しく暮らしている。もちろんこの世界で友達や趣味も友達もできた。
物質から解放された僕たちは確かに脳だけの存在だったときよりも高尚なことを考えるようになった気がする。ただ、このデジタル世界において、0と1で表されるデジタルデータとなった僕たちが話す内容というのは、こんな話ばかりだった。
「データの『010001110』になってる部分って、サイコーにセクシーだよな