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テセウスの船とウナギのタレと人間について

「テセウスの船とウナギのタレと人間について。」


彼女がその三つの言葉を並べたとき、僕の頭の中にはただ「どういうこと?」という疑問符だけが浮かんだ。


テセウスの船とウナギのタレと人間。


何の関連もなさそうな三つのものが、彼女の口を通して一つの命題として提示された。それが妙に自然に聞こえてしまうのだから、彼女という人間は本当に不思議だった。


「つまりどういうこと?」

僕は素直に聞き返した。


「簡単な話よ。」

彼女はそう言って、いつものように微笑んだ。


「テセウスの船は知ってるわよね?」


「うん。船の部品を少しずつ取り替えていって、最後には全ての部品が入れ替わったとき、その船は同じ船と言えるのかどうか、という話だよね。」


「そう。でもね、それって別に船に限った話じゃないのよ。」彼女は指先を宙に浮かせながら続けた。


「例えばウナギのタレ。」


「ウナギのタレ?」


「そう。ウナギのタレって、古いタレを継ぎ足して作るって聞いたことない?どんどん新しいタレを入れていくと、大体数ヶ月程でほぼ新しいタレになってしまうらしいわ。じゃあ、そのタレは最初のものと同じだと言えるのかしら?」


「確かに……言われてみれば、同じような問題だね。」


「そうでしょ。テセウスの船もウナギのタレも、結局は『同じもの』って何なのかを問うているの。そして、それは人間にも当てはまると思わない?」


その瞬間、僕は彼女が言わんとしていることに気づき始めた。


「つまり、人間も少しずつ変わっていく、っていうこと?」


「そう。私たちの体は、時間が経てば細胞が入れ替わるし、記憶も感情も変化していく。それでも、私たちは自分を『同じ人間』だと思い続けている。まるで部品を全て交換したテセウスの船が『私は航海中のテセウスの船です』と言い張るみたいに。」


「でも、それって不思議だよね。いつか全てが変わってしまったら、自分はもう自分じゃなくなるんじゃないかって。」


「それがウナギのタレのポイントなのよ。」彼女は少しだけ得意げな表情を浮かべた。


「たとえ全てが新しいものになったとしても、その中に引き継がれる何かがある。テセウスの船だって、ウナギのタレだって、結局は『継ぎ足してきた』という事実がそのアイデンティティなの。」


「人間も?」


「もちろん。人がどれだけ変わっても、どれだけ過去が薄れても、『私は私』って言えるのは、その継ぎ足してきた記憶や経験があるからじゃないかしら。」


彼女の言葉は、まるで乾いたポトスの鉢植えに水がじわじわと沁みていくような感覚を伴って、僕の中に響いた。


僕たちはテセウスの船であり、ウナギのタレでもある。


継ぎ足されながらも、どこかで何かを保ち続けている存在。たぶん、そういう曖昧さが「人間」というものなのだろう。


「……でも、それって少し怖いね。」僕は小さな声で言った。


「自分が何者か分からなくなりそうで。」


彼女は肩をすくめた。


「確かにね。でも、それがまた人間の面白いところでもあるのよ。結局、自分が何者かなんて、継ぎ足していくうちにしか分からないのかもしれないわ。」


彼女の言葉を聞いて、僕はなぜかウナギが食べたくなった。いや、別に深い意味はない。


ただ、テセウスの船のことを考えるよりも、ウナギのタレの味を思い浮かべるほうが、少しだけ現実的な気がしたのだ。

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