95 サンキエムの苛立ち
じっとりと湿気を含んだ重たい風が吹いて、シダの葉がざわざわと揺れる。
サンキエムは重たそうにざわめくシダの茂みを見回して、苛立ち紛れに足元の壊れた本を蹴り飛ばした。
本はばらばらと破片を散らしながら、シダの葉陰に吸い込まれるように消えていった。その様子も、サンキエムの苛立ちを消すことはできなかった。
(壊してやる、全部、壊してやる)
苛々と爪を噛んで、隣に立っているセティエムの写しに視線をやる。頬に傷ができて、黒い液体になった知識が流れ出していた。
「こいつももうじき壊れるな。もうちょっと遊びたかったけど、もう面倒だし、さっさとトドメを刺しちゃおうか」
サンキエムの独り言に、写しはサンキエムを睨みあげた。
「俺はまだ戦える! 俺は完璧な写しなんだ! 負けるわけない!」
「ああ、そう。じゃあ頑張って。まずはさっさとあいつらを見つけてよ」
写しが何を言おうと、サンキエムの苛立ちは収まらない。
(セティエムの所有者、あの人間……本当に腹が立つ。何が本を大事にしたいだ。平気で本を使っているくせに、偉そうに! 本当にシジエムみたいだ!)
サンキエムの妹のシジエムも、本を傷つけたくないらしい。本を傷ひとつなく綺麗なままにしておきたいとよく言っている。だからサンキエムが本の写しを傷つけて、壊して遊ぶことに良い顔をしない。
そのくせ、本物が傷つくのを嫌がって、サンキエムに写しを作らせるのだ。自分だって写しなら仕方ないと思っているくせに、とサンキエムはよく思う。
所詮自分が生み出す写しは何かの代わりでしかない。そうやって仕方なく使われるものでしかないのだ。
姉のプルミエにとってもそうだ。
プルミエは、本が揃っていることを何よりも大事にしている。本物が手に入らなければ仕方なく、写しを使って収集の欲を満たすのだ。
(僕の写しは誰にとってもただの代わり、偽物でしかないんだ。みんな都合よく使うくせに! 本物じゃないから壊れても構わないって思ってるくせに!)
セティエムの写しが、長い槍を振り回してシダの茂みを薙ぐ。シダの葉が舞い散るが、そこにセティエムも所有者の人間もいない。
写しなりに、そうやってセティエムとその所有者を探しているらしい。
サンキエムは冷めた視線でその様子を眺めていた。
(みんなそうだ。都合よく写しを使いながら、僕が写しを壊すことには良い顔をしない。みんな矛盾してる。写しなんかただの偽物なんだから、壊れたって何したって構わないのに)
そう思えば、必死に本物を探している偽物が少し可哀想にも思えてきた。
(所詮は偽物。最後には壊れるだけのものなのに、必死になって。セティエムに勝てば本物になれるとでも思ってるのかな)
ふん、とサンキエムは鼻で笑う。馬鹿馬鹿しい、と吐いて捨てる。
「お前だって、最後には壊れるんだ」
サンキエムの言葉に、写しが振り向く。
「それでも、俺はまだ戦えるし、勝てる!」
あはは、とセティエムは笑う。
「そう言うならさっさと勝ってみせなよ。お前が勝てばもしかしたら、姉さんはお前を本物の代わりにしてくれるかもね。それで、本物みたいに扱ってくれるかも。それの何が面白いのか僕にはちっともわからないけどね!」
サンキエムはまた、足元に落ちていた壊れた本を踏みつけた。ぼろぼろだった本は、サンキエムの足に踏まれて形を失って崩れる。
「本当に、苛々するな! 全部壊してやる! 全部! 写しも! セティエムも! あの偉そうな所有者の人間も! 全部全部壊してやる!」
苛立ちをぶつけるように、サンキエムは何度も何度も本を踏みつけた。もう粉々になっているというのに、それでもまだ足りないとでも言うように。
その耳にふと、聞き覚えのある声が届いた。
「そうだ、ソフィー」
その声は小さく、ざわざわとした葉ずれの音にかき消されそうだったけれど、確かにセティエムの声だった。
写しもその声を聞いたのだろう。声のした方に向かって、慎重に槍を構え直した。
ぼそぼそと、人間が何かを話す声が聞こえる。「セティが」「サンキエムを直接」聞こえる言葉は断片的で、何を話しているかまではわからない。けれどそれはやっぱりあのセティエムの所有者の声だ。
(見つけた!)
サンキエムはようやく楽しそうに笑った。
またセティエムと写しの壊し合いを見ることができる。そう思ったらあんなに身体中いっぱいだった苛立ちを超える興奮が膨らんできた。ようやく、この苛立ちと退屈を紛らわせることができるのだ。
写しが槍を構えながら、ちらとサンキエムの方を見た。サンキエムはそれに頷く。
「いいよ、壊しちゃってよ」
サンキエムの言葉に、写しは槍を構える先を向いた。そして静かに、知識を使う。
「炎の蝶」
周囲に次々と炎の蝶が生まれる。揺らめく炎の翅ははらはらと羽ばたいて、写しを囲む。
写しは無数に現れた炎の蝶を穂先に集めると、その穂先でシダの茂みに切り込んだ。蝶の炎がシダの葉に燃え移る。じりじりと、湿気を含んだ葉が燃えるにおいと重たい煙が漂う。
炎はあっという間に広がって、セティエムと所有者の逃げ道を塞ぐ。
サンキエムは猫のように目を細めて、セティエムと所有者の人間が姿を見せるのを待ち構えていた。




