90 麻痺の凶蜂(ゲープ・パラリズーズ)
「本を開いて使ってる限り、お前だって僕と変わらないんだ!」
サンキエムの言葉に、ソフィーは応えを返せない。
(その通りだ。わたしは本を傷つけている……大事にしたいと言いながら、使って傷つけて……)
ソフィーは唇を震わせる。その沈黙は、サンキエムを増長させた。
「そんなに大事にしたいなら、僕が開く本も壊さなければ良いだろ!?
でもできないんだろ!? お前だって、本が壊れても良いと思ってるんだ! 仕方ないって思ってるんだ!
僕と同じじゃないか!」
「ち、違……っ!」
否定の言葉は震え、弱々しい。ソフィー自身も、何が違うのか、同じじゃないかと思ってしまっていた。怯えるように視線が揺れる。
「開け、麻痺の凶蜂!」
サンキエムが新たな本を開く。それは小さな蜂の姿になる。一匹だけではない、それは蜂の群れだった。
ソフィーは麻痺の凶蜂に対抗するために、策を講じる。そして、もしかしたら──いいや、きっと、壊してしまうことになる。サンキエムの言う通りだ。
それでもソフィーは、本を止めなくてはいけない。セティは写しの相手で手一杯だ。セティを助けなければならない。自分の身は自分で守らなければならない。
「碧水の蛙!」
覚悟をして、ソフィーは本の知識を使う。水の塊を生み出して、それを麻痺の凶蜂の群れに向かって放った。
蜂の群れは鋭い羽音を立てながら、二つに分かれて水の塊を避けた。
その下にはセティと写しが組み合って、地面の上を転げ回っている。苔が剥がれて宙に舞い上がり、背の低いシダが巻き込まれて折れる。
地面の上の二冊は、どっちがセティでどっちが写しだろうか。
(どっちでも構わない! きっとセティが勝ってくれる!)
だからソフィーの役目は、サンキエムにセティの邪魔をさせないことだった。
ソフィーは碧水の蛙の知識でいくつもの水の塊を生み出して、群れに向かって放った。
群れのうち何匹かは、水の塊に呑まれた。水の中で翅の動きが鈍り、地面に落ちる。けれど群れにはまだ何匹もの蜂がいる。蜂の群れは塊になったままソフィーに向かってくる。
(あれの狙いはわたし……セティの邪魔にならないならちょうど良い)
ソフィーは水の塊をいくつも生み出す。一つを放って群れが避けたところで、別の水を撃ち放つ。群れの半分を水の中に呑み込む。
「麻痺の凶蜂ももうすぐ壊れちゃうかな! お前は結局そうやって本を壊すんだ!」
ソフィーは唇を噛んで、サンキエムの煽るような声に耐える。
(怒っちゃ駄目。冷静に判断しなくちゃ。今はとにかく、目の前のこれをなんとかするだけ)
水の塊で飛び回る蜂の群れを攻撃する、包む、動きを止める。そうやって群れの数を削って、勢いを削いで、距離をとる。
地面には水に濡れたたくさんの蜂が落ちて、もがいていた。
ソフィーは地面の上でもがくたくさんの蜂を見て、奥歯を噛み締める。
(壊したくて壊してるわけじゃない!)
その一瞬で、一匹の麻痺の凶蜂がソフィーの首元に迫る。鋭い痛みが、ソフィーの首から頭までを駆け抜けた。
「しまっ……!」
途端、麻痺の凶蜂の毒に体の自由が奪われて、地面に膝をつく。
(体が動かないだけなら……!)
首元から飛び立つ蜂を水の塊に封じ込める。動けないソフィーをさらに狙ってくる他の蜂も、水の塊に閉じ込める。自分に向かって飛んでくる動きは直線的で、捉えるのは簡単だった。
宙にいくつもの水の塊が浮かぶ。その中で蜂がもがいている。動けない体で全部の蜂を水の中に閉じ込めて、ソフィーは諦めたように目を閉じた。
水の塊で中でもがく蜂を押し潰す。最後の一匹が、群れの中心の一匹だったらしい。
麻痺の凶蜂は水に押しつぶされて動きを止めると、ぼんやりと光った。地面でもがいていた他の蜂も全て、同じように光る。
そして、壊れた本が地面に落ちる。本が壊れると同時に、ソフィーの中に入った毒も消えて、体が動くようになった。
「あーあ、壊しちゃった。本を壊す気分はどう?」
ソフィーは立ち上がると、サンキエムを睨む。
「最悪に決まってるでしょ! 喜んで本を壊すわけないじゃない!」
ソフィーの声は震えていた。サンキエムは無邪気に、あはは、と笑い声をあげる。
「お前がどう思ったところでさ、結局お前が壊した事実は変わらないんだ。せいぜい口先だけで可哀想とか言ってなよ」
ソフィーの中には、悲しみが、怒りが、いろんなものが渦巻いていた。サンキエムの策略に乗って本を壊してしまった悔しさ、それを嘲笑うサンキエムへの怒り、写しとはいえ一冊の本が壊れてしまった悲しみ。
(わたしは、サンキエムとは違う……!)
確かに本を使っている。傷つけるようなこともある。でも、壊したいなんて思っていない。
それは生まれて初めて開いた本──光の蝶のあのときからずっと、ずっと、そうだった。
目の前で儚く壊れてしまった光の蝶のあの光は、今でもソフィーの心の中に残っている。いつかもう一度、あの光を取り戻したいと思っている。
それだけじゃない。これまで書架で出会った本だって、できることなら全て壊さずにいたかった。全て大事に扱いたかった。
確かにそうできないときもあった。だからといって──。
(壊したくて壊したことなんてない!)
ソフィーは自分の中の感情を全てぶつけるように、激しい視線でサンキエムを見据えていた。




