9 父親
「は、はあ!? 一緒に寝る!?」
二人で食事を終えて、寝支度をしたソフィーはベッドに入ると、当たり前のように隣にセティを誘った。セティは顔を赤くしてベッドの上のソフィーを見る。
ソフィーはセティが何を問題にしているのかわからずに、首を傾けた。
「お、俺は本だから寝なくても良い! 朝まで椅子に座ってる!」
「そんなこと言ったって」
ソフィーはベッドの上で上体を起こした。毛布が肌の上を滑り、タンクトップ姿の柔らかな曲線が剥き出しになる。
「本にも休息は必要でしょ? そりゃ、人間が寝るのとはわけが違うかもしれないけど。これでもわたし、所有者歴は長いんだからね。
まあ、うちのベッドは一人用で狭いけど、それでも二人で寝られないことはないから」
「そういう問題じゃないだろ! 俺、俺は、だって……一応、男なんだぞ! 慎みってものはないのか!?」
「慎み……って言われても、ねえ」
ソフィーは赤くなっているセティの姿を見る。どう見ても子供にしか見えない。子供と一緒に寝ることに、そこまで問題を感じてはいない。
それにそもそもセティは本じゃないか……と、髪をかきあげる。
それでも本を休ませるのも所有者の務めだと、ソフィーは代替案を口にした。
「じゃあ、せめて閉じさせて。そうすれば、休息になるでしょ?」
セティは口を曲げて、ソフィーを睨む。
「閉じるのは嫌だ! 閉じて、次にいつ開かれるかわからないまま、待つのはもう嫌だ!」
その表情が、思いがけず泣きそうに見えて、ソフィーは瞬きをした。何か理由があるのだろうと感じられた。だからソフィーは柔らかく微笑む。
「じゃあ閉じるのはやめる。だったらやっぱり、一緒に寝ましょう?」
結局、折れたのはセティの方だった。ソフィーが持ち上げた毛布の中に入り込んで、ベッドの端っこでソフィーに背を向けて寝転ぶ。
ソフィーはちょっと笑って、懐かない猫みたいなセティの体を抱えて、ベッドの中に引っ張り込んだ。
「は、離せ! 俺のこと、子供扱いしてるだろ! 俺、俺は……」
「静かに。黙って、もう寝ましょう」
「う、うぅ……」
ソフィーの柔らかな体に抱えられて、セティは混乱と羞恥に打ち震えた。わけがわからない。けれど無性に恥ずかしい。
セティとは対照的に、ソフィーは落ち着いていた。セティの体を包むように抱きかかえながら、静かに目を閉じている。
ソフィーの穏やかな呼吸を聞いて、その鼓動を背中に感じているうちに、セティも少しずつ落ち着いてきた。そうやって落ち着いてくれば、体に感じる体温も、肌の柔らかさも、心地良いもののような気がしてくる。
セティはその中で、安心、という言葉を思い出す。もしかしたらこれが、そういうことなのかもしれない。まだちょっと、落ち着かない気持ちはあるけれど。
「なあ」
「ん、なあに? 休息できない?」
暗闇の中呼びかければ、返事の息遣いがセティの黒い髪を揺らした。耳に空気の動きが感じられて、セティは耳が熱いように感じた。
「あ、えっと」
特に意味があって呼びかけたわけじゃなかった。ただなんとなく、休息してしまうのがもったいないと思ってしまっただけで。心地良さを手放したくなかっただけで。ソフィーの声を聞きたかっただけで。
セティは言葉に詰まった後、慌てて言葉を続けた。
「その……父親って、なんだ?」
聞くことはなんでも良かった。だから、さっきのソフィーの話を思い出して、聞いてみた。セティにしたら、それだけのことだった。
けれど、ソフィーにとって、この質問は難しいものだった。暗い部屋の中、沈黙が訪れる。
ソフィーが黙っているのが不安で、セティは質問を撤回しようとした。けれど、それよりも先に、ソフィーの声がセティの耳に届いた。
「これは想像だから間違ってるかもしれないけど、あなたにとってのアンブロワーズみたいな存在じゃないかな」
「アンブロワーズのじいさん……」
セティは、アンブロワーズのことを思い出して、瞬きをした。
「じいさんは、俺のことを造ったんだ。父親って、そういうものか?」
「人間の場合はあなたの言う造るとはちょっと違うけどね」
「それで、ソフィーの父親は、今はどうしてるんだ?」
ぎゅ、とセティを抱える腕に力がこもる。セティの後頭部に、ソフィーの顎がこつんと当たる。
「うん、あのね。ある日、いつものように書架に行って、そのまま帰ってこなかった。それっきり」
「それって……?」
「書架の中で、罠にかかったのか、本にやられたのか、わからないけどきっと、死んじゃったんだろうね」
「死んだ……」
セティはソフィーの言葉をぼんやりと繰り返して、それから不意に真剣な顔つきになった。暗闇の中、背を向けたままのソフィーには見えないけれど。
「アンブロワーズのじいさんも、死んだんだ」
「うん……そうだね」
ソフィーにとって、アンブロワーズは遠い昔の人物だ。とても昔に生きていて、死んだ人。
だけどセティにとってはそうではないのだと、ソフィーは気づいた。ずっと閉じていた本のセティにとって、アンブロワーズは父親も同じ。
ソフィーの父親の死と、セティにとってのアンブロワーズの死は、同じようなものなのだろう。だから、ソフィーはセティの言葉にただ頷いて、受け止めた。
セティはなおも、アンブロワーズについて話す。
「じいさんは死ぬ間際に、最後の作品の俺を書架の中に隠した。閉じる前に、俺に成長しろって言ったんだ。たくさんの知識を集めて経験を積んで成長すれば、どんな本よりも立派な、大魔道書になれるって」
その記憶は、ソフィーにとっての光の蝶のように、セティにとっての思い出なのだろう。
ソフィーはセティのそんな気持ちごと包むように身体を抱えながら、柔らかな声で話を促した。
「アンブロワーズは、どうしてあなたを隠したの?」
「それは……じいさんが、殺されそうだったから」
「……え?」
思いがけない言葉に、ソフィーはぞくりと体を固くした。ソフィーの戸惑いに気づかない様子で、セティは言葉を続ける。
「じいさんは、あのとき殺されそうになって、それで最後に俺を隠したんだ」
「殺されるって……でも、誰に? どうして?」
「どうしてかはわからない。でも、じいさんを殺した本は、きっとまだ書架にいる。だから俺は、じいさんが言っていたように知識を集めて、経験を積んで、頁をたくさん埋めて、大魔道書になって、それで、その本を探して……」
セティの言葉が途中で途切れて、休息に入る。ソフィーは、その小さい身体を抱える。そうしていると、まるで本当の人間の子供と変わらないように思える。
けれど、確かにその少年は本なのだ。
ある日帰ってこなかった自分の父親。父親にもらった光の蝶。書架で出会ったセティ。書架を作ったというアンブロワーズ。アンブロワーズを殺したという本。
まどろみの中、途切れ途切れの思考はまとまらないまま、ソフィーも眠りに落ちていった。
第二章 書架街 終わり