89 人間の欺瞞
写しは槍を跳ね上げられた。着地してわずかに膝を曲げると、槍が持ち上がる勢いに任せて跳ぶ。空中でセティを蹴って、そのままくるりと宙返りする。
セティはその蹴りも槍の柄で受け止めて、体に力を入れる。足が苔むした地面にわずかに沈む。今は後ろにソフィーがいる。引けば次の攻撃はソフィーに向かう。だから引くわけにはいかなかった。
セティと写しのやり取りの間に、ソフィーは一歩退がった。近くにいれば長い槍を振り回すセティの邪魔になってしまう。
(距離をとって援護した方がセティにとっては戦いやすいはず。サンキエムだって何か仕掛けてくるかもしれない)
ソフィーは油断なく、サンキエムの動きにも注意を向ける。
サンキエムは今は手を出すつもりがないのか、氷華の兎をぶらぶらとさせたまま、セティと写しの様子を眺めている。楽しそうな笑みすら浮かべていた。
写しの着地にめがけて、セティが槍を薙ぐ。写しはそれを槍で受け止める。弾かれる勢いでセティがくるりと回る。
長い槍が勢いを増して反対側から写しに叩きつけられる。写しはそれを足の裏で受け止めて、蹴り返す。
セティが自分の槍に振り回されて、バランスを崩す。
その隙をかばうように、ソフィーは碧水の蛙で水の針を生み出して、写しに向かって放った。
「邪魔するなよ!」
サンキエムが手にしている氷華の兎を振り回して、写しの前に氷の壁を作る。水の針は氷に穴を開けはしたけれど、それだけだった。
写しは目の前にできた氷の壁を駆け上って、そこから跳んだ。写しが見ているのは、セティの所有者であるソフィーだった。
「ソフィー!」
セティが振り返って跳ぶ。
「碧水の蛙!」
ソフィーは水の塊を生み出して、自分に迫ってくる槍の勢いを削ぐ。そのわずかな遅れで、槍をぎりぎりかわした。ソフィーの茶色の髪が幾筋かはらはらと舞い散る。
写しが着地したところへセティが槍を突き出す。写しには避ける時間はない。
「開け、守護の亀」
サンキエムの声とともに、セティと写しの間で本が開く。ぼんやりした光はすぐに亀の姿になった。セティの槍の穂先は亀の甲羅を打ち砕く。けれど、写しには届かない。
砕け散った守護の亀の甲羅はぼんやりと光って、砕け散った本に変わった。
目の前で本が壊れたことに、ソフィーは気を取られる。サンキエムの本の使い方は、まるで壊れることを厭わないようで、ソフィーには信じられなかった。
「ソフィー、避けろ!」
写しがソフィーに向かって槍を突き出す。セティがそれを跳ね上げて、自分の体をソフィーと写しの間に滑り込ませる。ソフィーははっとして、何歩か後ろに退がった。大きく広がるシダの葉に背中が触れて、茂みがざわりと揺れた。
ソフィーはサンキエムに視線をやる。サンキエムはまた、本を取り出した。
「やめて! 本を壊すような使い方をしないで!」
ソフィーの叫びに、サンキエムはきょとんとソフィーを見返した。
「今の本を壊したのは、僕じゃなくてセティエムだよ」
「あなたがそうさせたんでしょう!?」
サンキエムに気を取られているソフィーを、写しの槍が狙う。
「ソフィー!」
セティの声にソフィーは咄嗟に横に跳ぶ。セティは槍を潜り抜けて写しの懐に入ると、腹を思いっきり蹴り飛ばした。写しの体が後ろに吹っ飛ぶ。
セティはその体を追いかけて槍を突き出す。
「開け、守護の亀」
サンキエムがまた本を開く。セティの槍に砕かれる甲羅。ぼんやりと光って砕け散った本が地面に落ちる。
「やめて! 本を壊すような戦い方はやめて!」
ソフィーの叫びを、サンキエムは笑う。
「お前ってシジエムみたいなこと言うんだね。シジエムってばうるさいんだ、本を傷つけるなって。どうせ再生で修復できるってのにさ」
「だからって! 本を壊して良いわけじゃないでしょう!?」
サンキエムの笑顔がすっと引っ込んだ。冷たい視線、寄せられた眉。怒りを表情に出して、サンキエムは苛立った声を出す。
「だから、これは僕が作った写しなんだよ? 僕がどうしようと勝手だろう? どうしてお前に言われなくちゃいけないんだよ!」
「写しだろうと、そうでなかろうと、わたしは本を大切にしたいの!」
「そんなの欺瞞だ!」
サンキエムは掴んでいた氷華の兎を地面に叩きつけた。地面で跳ね返って足掻く体を、勢いよく踏みつける。ぼんやりとした光りが、氷の兎の体を包んで輪郭を曖昧にする。そして、それは本の姿に戻る。
壊れた本を、サンキエムは蹴り飛ばした。
「欺瞞だ! 欺瞞だよ! 人間は自分勝手だ! そんなに大事にしたいなら、開かなければ良いだろ! お前だって同じだ! 本を傷つけてるのは変わらないだろ!」
「……っ!」
ソフィーは言葉に詰まって、自分の腕に捕まっている鞭閃の舌長蜥蜴を見た。
サンキエムの言う通りだ。本を大事にしたいと言いながら、開いて使っている。時には危険なこともさせて。
「ソフィー!」
セティの声にはっと顔をあげる。写しの槍がソフィーに迫っている。セティは写しに体当たりする。そして、地面に写しを押さえ込む。
写しはセティの腹を蹴る。その隙にセティと入れ替わって、形勢が逆転する。また、逆転する。二冊は転がる。服が汚れ、肌が傷つく。
(そうだ、今だってセティを戦わせて傷つけている……)
ソフィーは、サンキエムの言葉に何も言い返せなかった。




