88 所有者(オーナー)という存在
「セティ!」
ソフィーの声に、セティは振り向いた。シダの葉を掻き分けて、ソフィーが走ってくる。目が合う。一瞬でじゅうぶんだった。
(やっぱり! 無事だった!)
無事だと思ってはいた。それでもその姿を見ると、安心感と嬉しさが体の底から湧き上がってきた。
セティの動きが止まったその隙に写しが槍を突き出してくる。セティは斜め後ろに飛んでかわす。
(ソフィーがいる! そこにいる!)
写しとの戦いで疲れ始めていたセティは、今、自分でもわからない力に体が突き動かされていた。所有者が近くにいる方が、本はより力を発揮できるという。それはこういうことだろうか。
セティの口角が自然と上がる。写しを見据える。
写しはセティが避ける動きを知っているかのように、次々に槍を突き出してくる。その度に湿気を含んだ重い空気が切り裂かれる。周囲のシダの葉が揺れる。
セティはそれをかわしながら、反撃のタイミングを計っていた。苔むした地面はサンキエムと写しが使う氷華の兎の氷に覆われていて滑りやすい。不安定な足元を気にしながら、槍をかわす。
そして何度目か、セティは突き出された槍の上に飛び乗った。
槍の重さが増して、写しがバランスを崩しかける。足を踏みしめて堪える。
その間にセティは槍の上を走って、跳んだ。写しめがけて槍を振り下ろす。
「氷華の兎!」
写しは氷の壁を出してセティの槍を防ぐ。それでもセティが落ちてくる勢いまでは殺しきれない。ぎりぎりで避ける写しの腕を穂先がかする。知識が黒い液体になってこぼれ落ちる。写しは自分の傷も構わずに槍を振り回した。
セティは槍を立ててそれを受ける。そのまま地面に槍を突き刺して、それを軸にくるりと宙を舞った。写しの槍を飛び越えて着地して、その勢いで槍を叩き込む。写しは槍を引いてそれを受けた。
「俺は完璧な写しだ! 俺は強いんだ!」
「どれだけお前が完璧でも、俺が最強だ! 俺には所有者がいるんだ!」
槍の柄を打ち合わせての力くらべは互角、二人は後ろに跳んでお互いに距離をとった。
写しはセティを睨んで、それからはっとしたように呟く。
「所有者……そうか!」
写しは急に体の向きを変えて、ソフィーとサンキエムが戦っている方に向かって駆け出した。
「俺とお前の違いが所有者だっていうなら、所有者がいなくなれば良いんだ!」
ソフィーが放つ碧水の蛙の水の針を、サンキエムが氷華の兎の氷の壁で防ぐ。ソフィーはサンキエムに集中している。
写しはそこに向かって、跳んだ。
「させるか!」
セティは写しを追いかける。
(ソフィーを守る!)
セティもまた、跳んだ。ソフィーに向かって槍を振りかざす写しに、槍を届かせるために。
◆
「開け、鞭閃の舌長蜥蜴!」
ソフィーは素早く本を開く。舌長蜥蜴の舌を伸ばしてサンキエムの手を捉えようとする。
「何? これが欲しいの?」
ソフィーはサンキエムがそれを避けると思っていた。けれどサンキエムはその素振りを見せない。それどころか、乱暴に掴んでいた氷華の兎を持ち上げて、伸ばされた舌の前に差し出した。
鞭のように伸びた舌が、氷の兎に巻きつく。
「これを壊せばなんとかなるって思ってる?」
言いながら、サンキエムは氷の兎の首を締め上げる。壊れたくないからか、氷華の兎は脚をばたつかせてもがいた。
ソフィーはサンキエムがやっていることが理解できず、慌てて舌を引っ張った。サンキエムの手から、本を解放したいと思った。
けれどサンキエムは両手で兎の首をぎゅっと握った。兎の首がかくんと傾く。
「何をしてるの!?」
舌長蜥蜴舌が絡んだまま、氷の兎はぼんやりと光る。輪郭が曖昧になって、すぐに本の姿に戻る。からん、と壊れた本は落ちて、舌長蜥蜴は伸ばしていた舌を戻した。
「壊れちゃった。でもね、替わりはいくらでもあるんだよ、残念でした!」
サンキエムがまた本を取り出す。
「開け、氷華の兎」
新しい本が開く。サンキエムはその首根っこを掴んで振り回した。新しい氷の兎は、大人しくぶらんと振り回されている。
「ね、ほら! 僕は写しをいくらでも作れるんだ! だから無駄だよ!」
「壊しても無駄……それだけのために、さっきの氷華の兎を壊したの……?」
目の前で本が壊れた──いや、壊された。サンキエムの言動が信じられなくて、ソフィーは目を見開いて、無邪気に笑う少年を見つめていた。
「そう、壊しても無駄。よくわかったでしょ?」
「そんなことで本を壊すなんて! なんてことを!」
「何がいけないの? 僕が僕の知識で作った写しだよ?」
サンキエムが氷の兎を持ち上げて、ぶらんぶらんと揺らしてみせた。
「その子を振り回すのももうやめて! 大事に扱ってよ!」
ソフィーはサンキエムの乱暴な手を止めるために、舌長蜥蜴の舌を伸ばして振るった。
こんなふうに本が壊されて打ち捨てられるなんて、ソフィーには我慢できなかった。見ていられない。
そのとき、ソフィーとサンキエムの間に槍が割り込んできた。道具袋はない、写しだ。
槍はソフィーに向かって振り下ろされる。サンキエムに集中していたソフィーは、反応が遅れた。ソフィーの目の前に穂先が迫る。
そこへ、セティが割り込んでくる。セティの槍が、写しの槍を跳ね上げる。
「誰が最初に壊れるかな、楽しみだ」
サンキエムだけが、楽しそうに笑っていた。




