87 追いかけた先で
ソフィーよりもずっと背の高いシダ植物があちこちに生えていて、空を覆っている。日陰でもじっとりと湿っていて、不快さが暑く感じられた。日のあまり当たらない地面は、あちこち苔むしている。
逃げ出した写しの姿は、もう背中も見えなかった。
(写しはどこに行ったの?)
周囲を見回してソフィーは、道具袋から本を取り出した。
「開け、羅針盤の金糸雀」
ソフィーの手の上でぼんやりと光った本は、すぐに輪郭を曖昧にして翼を得る。そして輝く黄金の鳥になり、手のひらから飛び立った。
金糸雀は何度かソフィーの周囲をぐるぐる飛んだあと、ソフィーの肩に止まった。ソフィーの背中側を向いて鳴き始める。
「そっちは大ムカデね。他に本はいない?」
ソフィーの呼びかけに、金糸雀はまた周囲を飛び回る。そして今度は、別の方に向かって鳴き出した。ソフィーはその嘴が向く方向へ視線をやる。
鬱蒼としたシダの茂みの向こうは見えない。それでもソフィーは、自分に対して頷いてみせた。
「ありがとう。閉じろ」
役目を終えた金糸雀は、ソフィーの優しい手のひらの上でまた、本の姿に戻った。ソフィーはそれをまた道具袋にしまい、足を動かし始めた。
気持ちは焦っていた。それでも、ソフィーの歩みは慎重だった。この空間は本の巣だ。何が起こるかわからない。
ソフィーよりも大きな岩。その隙間のじめっとしたところに生えている苔。奔放に伸びるシダ植物。まるで木のように空を覆うその様子。
そんな中を進んでいるうちに、ソフィーはなんだか自分が蟻くらいの大きさになったような感覚になった。
「そうか」
歩きながら、改めて周囲を見回す。そこかしこに、ムカデが好みそうな隙間がある。そして、その隙間は今のソフィーが入り込めそうなほどに大きい。
(わたしが小さい? ううん、景色が大きいんだ。あの大ムカデのサイズ感なら、ちょうど良い。つまりここは……)
リオンに任せてきた二冊の大ムカデ、その巣だと考えて良さそうだった。
(それで日陰が多くてじめじめしているのか)
ソフィーは額に滲んできた汗を袖で拭う。さっきまでよりも大胆に足を進め始めた。
(この巣があの大ムカデのものなら、今はリオンがなんとかしてくれている。そこまで警戒しなくても大丈夫かも)
大きなシダの葉っぱを腕で押しのけて、ソフィーは先に進む。その行先で声が、音が聞こえた。
かすかに聞こえたその声は、セティのものによく似ている気がした。気がはやる。シダを掻き分けて、走り出す。
そうしてシダの葉っぱの塊を押しのけたその先に、セティがいた。二人。槍を持ってお互いに攻撃しあっている。
「セティ!」
どちらかが本物で、どちらかが写しだ。でも、そんなことを考えるより先に、ソフィーは呼びかけていた。
セティの片方が動きを止めてソフィーを見た。目が合って、ソフィーはそれが本物のセティだと直感した。それを裏付けるように、腰にはセティお気に入りの黒い道具袋があった。
本物のセティがソフィーに気を取られた瞬間、写しのセティが槍を突き出す。本物のセティはそれを飛びすさってかわした。
ソフィーは道具袋に手を入れて本を取り出しながら、二冊のセティに向かって走ってゆく。
「開け、碧水の蛙!」
水でできた蛙を肩に乗せ、道具袋を持っていない方、写しの方に狙いを定める。
「邪魔はさせないよ」
ソフィーが放った水の針は、氷の壁に遮られた。ソフィー自身も足を止める。ソフィーの目の前には、金髪の少年──セティを扉の向こうに連れていったあの少年がいた。
「あなたは……」
ソフィーは油断なく、少年に狙いを定める。
暗い金色の髪と、暗いオレンジの瞳。色合いを除けば、どこかセティにも似た顔立ち。セティよりも背は高く、いくらか年上に見えたが、それでも青年と呼ぶには幼く見える。
(きっとグリモワールだ)
ソフィーは碧水の蛙の知識で、空中に水の針をたくさん作った。無数の水の針は、全て金髪の少年を狙っている。
「お前がセティエムの所有者? 本当に人間が所有者なんだ! 人間の言うこと聞かないといけないなんて、セティエムってば可哀想!」
可哀想、と言いながら、少年は楽しげに笑った。
「あなたはなんなの?」
無数の水の針に狙われても、何も気にしていなかのように少年は首を傾けた。金の髪がさらさらと額を流れる。その表情は、無邪気そのものだった。
「僕はグリモワール。サンキエム・グリモワールだよ、人間。セティの所有者を倒しにきたんだ」
「つまり、わたしを倒したいのね?」
「そういうこと!」
ソフィーはサンキエムを囲っていた水の針を全てまとめて撃ち込んだ。サンキエムは乱暴に手を振り上げる。その手には開いた氷華の兎が掴まれて、振り回されていた。
乱暴に振り回されても、氷華の兎はその知識を発揮した。サンキエムの周囲に氷の壁を作って、水の針を全て防いでしまった。
「もっと遊んでくれるんでしょ? 面白いことしようよ!」
ひびだらけになって崩れ落ちる氷の壁の向こうで、あはは、とサンキエムが笑う。ソフィーはサンキエムを睨んだまま、手は道具袋の中を探る。
セティは写しと闘っている。今ここでサンキエムと対峙するのは、セティの所有者であるソフィーの役目だった。
第十四章 破壊顎の大百足 おわり




