86 ひとり対二冊
光が差し込む方に向かって駆けてゆくソフィーの後ろ姿を見送りながら、リオンは鋼刺の山荒の棘を放った。ソフィーに近い方の破壊顎の大百足に向けて。その興味をソフィーから自分に向けるため。
「獲物はこっちだ!」
放った棘は大ムカデの頭に当たったが、刺さることなく弾かれた。それでも、大ムカデはリオンに頭を向けて警戒している。リオンの目論見はうまくいっている。
狭い洞窟の中から出てしまえば、広い空がある。広さがあれば疾風の大鷲を開くことができる。大鷲で空から攻撃できれば、大ムカデとの対決は楽になる。
リオンは呼吸を整えて自分を落ち着かせた。
(大丈夫、ソフィーはもう行った。あとは俺がなんとかするだけだ)
もう一匹の大ムカデは体のあちこちを棘に刺されている。その傷を感じさせないくらいによく動いていた。長い体をくねらせて、顎をぎちぎちと鳴らして、リオンめがけて突っ込んでくる。
リオンは走ってそれを避ける。避けた先に、もう一匹の顎が迫ってくる。とにかく走って逃げる。リオンの足音は洞窟の中を反響して響きわたる。心臓がどくどくと脈打って、呼吸が激しくなる。
次々と迫る顎から逃げながら、柱状の岩の陰に走り込む。わずかに足を止めて呼吸を整える。
落ち着いて作戦を考える間もなく、大ムカデが岩にぶつかってきた。その体当たりに岩ががらがらと崩れ落ち、リオンはまた走り出した。
(なんとか出口まで、出口まで行けば……!)
走るリオンの後を二匹の大ムカデが大きな体を波打たせて追いかける。ぎちぎちと鳴る顎の音が、リオンの背中に迫る。
ぎりぎりのところで、リオンは岩の隙間に入り込んだ。大ムカデが隙間の入り口にぶつかって、硬い顎で岩が削れる。
リオンは呼吸を整えようと足を止めたが、その隙間は大ムカデが入り込めるほどの大きさがあったらしい。平べったい体が、隙間を縫って追いかけてきた。長い触覚が、狭い隙間の中を暴れている。
「ちくしょう!」
リオンは隙間の中を走る。後ろから大きな顎が迫る。
と、隙間の出口からもう一匹の大ムカデが入り込んできた。平べったい体を縦にして、壁を伝ってリオンに向かってくる。顎が大きく開いていた。
「こんなところで、くたばってやるもんか!」
悩んでいる暇はなかった。リオンは体をかがめると、正面からやってくる大ムカデの体の下に潜り込んだ。
道具袋からナイフを出して、リオンの体を絡め取ろうとする大ムカデの足を切り落としながら進む。リオンの頭の上で、足を切り落とされた大ムカデが大きくもがいた。切り落とされた足は、地面に落ちてなおびくびくと動いていた。
リオンの腕に足が引っかかって、傷を作る。それでもリオンはとにかく進み続けた。隙間を抜け出して、暴れる大ムカデの尻尾を蹴って引き剥がす。
その大ムカデの下から、もう一匹の大ムカデがリオンを追いかけてきていた。
(休ませてはもらえないらしい)
ひゅうと、リオンは息を吸った。そしてまた走り出す。足を止めれば大きな顎で胴体が真っ二つになるだろう。
とにかく、見える光に向かって、リオンは足を動かした。酸素の足りない頭で、次のその先まで考える。
(疾風の大鷲を開いて、大ムカデをなんとかして、それからソフィーを追いかけて、セティを……)
がちがちっと顎の鳴る音がすぐ背後から聞こえて、リオンは危機感だけで横に跳んだ。その足元を大ムカデの顎がえぐる。その横腹に鋼刺の山荒の棘を撃ち込んで、リオンはまた走る。
リオンがちらりと見た限り、足を何本か失ったもう一匹の方も、速度をゆるめながらリオンを追いかけてきているようだった。
(大丈夫だ、もうすぐ出口!)
リオンの肌は汗でじっとりと濡れていた。背中は上着にまで汗のシミができている。額からも流れ落ちる汗をそのままに、リオンは走った。
走りながら、肩の山荒に後ろを向かせる。そして、背後に迫る大ムカデの気配に向かって棘を撃ち出した。
(当たらなくても良い。少しでも余裕ができればそれで良い)
そう思ってのことだったけれど、山荒は思いの外働いてくれた。棘は大ムカデの眼をかすめて、大ムカデは動きを止めるとうるさそうに頭を振った。
その様子を振り返ることもなく、リオンは走った。太ももの筋肉が膨らんで、リオンの体を前へと動かす。
差し込む光が大きくなってくる。洞窟のひんやりと湿った空気とは少し違った、少し温度の高い空気の流れを感じる。
「外に出たら、俺の勝ちだ!」
リオンは走りながら、道具袋の中を探る。もういつでも疾風の大鷲を開けるように。
背後に迫る大ムカデに、また見ないまま棘を放つ。今度の棘は硬い頭に弾かれた。それでも、一瞬だけ大ムカデの動きが止まる。
今のリオンにはその一瞬でじゅうぶんだった。




