83 深淵の暗狼(ル・ソンブル・ドゥ・ラビーム)
サンキエムが開いたセティの写し。
セティは写しを追いかけようとしてサンキエムに止められた。正確にはサンキエムが開いた深淵の暗狼が生み出した濃い暗闇によって阻まれた。
「炎の蝶!」
暗闇の中、炎の翅がはらはらと飛び回る。セティは白輝の一角獣の槍を構えて、どこから攻撃がくるか警戒して構える。
とろりと濃い闇から、暗狼が飛び出してくる。炎の蝶の明かりに、暗狼の牙がぎらりと輝いた。
そこをめがけて、セティは槍を突き出す。空中で、暗狼は体をひねって穂先をかわした。四つ足が着地する、すぐさまセティに飛びかかってくる。
セティは突き出した槍を大きく薙いだ。長い柄が暗狼の体に当たり、その体が闇の中に飛んでいった。
「俺の写しを使って何をするつもりだ!」
セティは闇の向こうにいるはずのサンキエムに叫ぶ。あはは、と笑い声が返ってきた。
「面白いことだよ」
闇の中、サンキエムの声が響く。
答えになってない返答に、セティは暗闇を睨んだ。
「面白いことってなんだ!?」
「お前と全く同じ姿の写しに、お前の所有者がどんな反応するのか、楽しみだよね」
サンキエムはまた笑った。セティは奥歯を噛んだ。自分の姿をした写しは、ソフィーを狙っているのだ。
ソフィーはもしかしたら、写しの姿を見てセティ本人だと思うかもしれない。そうしたらどうなるだろうか。ソフィーは写しにやられてしまうかもしれない。
(とにかく、この暗闇をなんとかするんだ)
セティは槍を握ったまま考える。
(それでこの暗闇が消えたら、サンキエムを殴ってやる!)
セティは神経を研ぎ澄ませる。きっとまた、暗闇に紛れた暗狼がどこからか飛びかかってくるはずだ。
暗狼を倒して、サンキエムを殴って、そうしたら──。
(ソフィーを助けに行く!)
セティは決意を瞳にみなぎらせて、槍を構え直した。炎の蝶を複数生み出して、自分の周囲の闇を払う。
そのまま深淵の暗狼を焼き殺さんばかりの視線で、周囲を伺っていた。
闇の中は静かだ。わずかな物音も大きく響いて聞こえる。セティは耳をすませて神経を周囲に張り巡らせる。
深淵の暗狼は周囲に暗闇を生み出し、それに紛れて静かに動くが、全く音を立てないわけではない。
(そうだ、俺はできる、次で仕留める……!)
そして、小さな足音が耳に届く。
セティは反射だけで槍を突き出した。炎の蝶も集めて、逃げられないように周囲を囲む。
手応えは、あった。
がっぐるる、と唸り声がして、闇が晴れてゆく。たくさんの炎の翅に囲まれ、槍に喉を突き刺された黒い狼の姿が、見えた。
インクのような黒い液体がこぼれ落ちている。セティが槍を振り払うと、暗狼の姿はぼんやりと光って、本に戻った。
ヒビが入ってぼろぼろになった本が、地面に落ちて転がる。
「あーあ、壊れちゃった」
サンキエムは晴れた暗闇の向こうで、何がおかしいのか笑っていた。
「次はお前だ!」
セティは炎の蝶でサンキエムを囲む。槍を構えてサンキエムに突っ込んでゆく。
「開け、氷華の兎」
サンキエムは慌てる様子もなく、新たな本を開いた。本がぼんやりと光って透き通る氷の兎が姿を見せた。
その瞬間、サンキエムの周囲に氷の壁が出来上がる。氷の壁は炎の蝶を取り込んで凍らせようとするかのように厚みを増やす。
セティはサンキエムを囲んでいた炎の蝶を退がらせたが、自分はそのまま真っ直ぐに突っ込んでいくのをやめなかった。
その目の前にも分厚い氷の壁ができる。その壁に、セティは槍を突き立てた。
がつがつっと氷が削れる音がして、氷の壁に穴が開く。槍の穂先は氷の壁を貫いて、けれどサンキエムの顔の手前で勢いを失って止まってしまった。
氷の壁にヒビが入って、がらがらと崩れてゆく。その向こうで、サンキエムが目を細めて槍の穂先を眺めていた。
「残念だったね」
セティはもう一歩踏み込んで、槍を突き出す。けれど一度止まったせいで勢いが足りなかった。
サンキエムは氷華の兎の首根っこを掴んで振り回した。サンキエムのすぐ目の前に氷の塊ができる。槍の穂先は氷に突き刺さった。それを横目に見ながら、サンキエムは体をねじって槍を回避した。
「今度はこっちからいくよ! ほら! ほら!」
サンキエムが掴んでいる氷の兎を乱暴に振り回す。兎は体を大きく揺らしながらも、的確に氷を生み出していた。
でこぼことした地面を氷が伝って広がってゆく。セティは氷に捕まらないようにと後ろに跳ねて逃げる。
サンキエムはまた兎を乱暴に振り回した。氷はみしみしと音を立てながら広がってゆく。地面から冷気が立ち上る。
セティは今度は横に跳ねて氷から逃げた。サンキエムとの距離が離れてゆく。炎の蝶で反撃する隙を伺うが、サンキエムの周りには再び氷の壁が出来上がり、炎を拒んでいた。
氷華の兎を振り回しながら楽しそうに笑うサンキエムを、セティは睨みつけた。




