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ブックワームは書架へ潜る  作者: くれは
第十四章 破壊顎の大百足(ミリパット・モルシュール・ブリズーズ)
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82 お気に入りの道具袋(ポーチ)

 ソフィーの目の前にいるセティは、確かに道具袋(ポーチ)を持っていなかった。セティがひとりで買い物に行って、自分で選んで買ってきた道具袋(ポーチ)。誇らしげに持っていたものを。

 セティはソフィーの指摘に、呆然と自分の腰を見る。


道具袋(ポーチ)……は……」


 構えていた槍がだらりと落ちる。片手で何もない腰を触って、道具袋(ポーチ)の感触がないことを確かめる。

 まるで道具袋(ポーチ)がないことに初めて気づいたかのように、セティは呆然としていた。


(このセティは何かおかしい!)


 ソフィーは勢い込んで、セティに向かって一歩踏み出す。鞭閃の舌長蜥蜴ウィップラッシュ・カメレオンの舌をいつでも伸ばせるように警戒しながら。


「あなたが自分で買った、お気に入りの道具袋(ポーチ)だったでしょ? それをどこに置いてきたの?」

「それ、は……道具袋(ポーチ)は……」


 セティの手から、槍が落ちる。からんと音を立てた後、槍はぼんやりと光を放って消えた。

 その隙に、ソフィーはセティの正面に立つ。セティを見下ろす。


「あなたが選んで買ったお気に入りの道具袋(ポーチ)、覚えてないわけがないでしょ?」

「お、覚えてる! 覚えてるに決まってる! だって、それは経験で、経験は知識だから……」


 ソフィーはそっと、セティの両肩に手を置いた。セティの顔を覗き込む。セティは怯えた表情で、ソフィーを見上げた。


「中には、あなたが大好きなチョコレートが入っていた。ナッツ入りのチョコレートも、自分で買いにいったもの。それで、わたしたちに分けてくれた、そうでしょ?」

「そうだ。俺が買ってきたんだ。それも俺の経験で知識だ。だから、当然知ってる」

「じゃあ、どうしてあなたは今、チョコレートが入った道具袋(ポーチ)を持ってないの?」


 ソフィーは目の前のセティに鋭い視線を向ける。もう逃がさないとばかりに、言葉に力を込める。

 セティは泣きそうな顔をして、落ち着かなく視線を動かした。ひどく混乱して、取り乱しているようだった。


「それは……道具袋(ポーチ)を買ったのは知識だけど、道具袋(ポーチ)そのものは知識じゃないから……」

道具袋(ポーチ)は知識じゃない……?」


 ソフィーは眉を寄せてセティの言葉を繰り返す。その声に、セティははっとしたように目を見開いて、ソフィーを両手で突き飛ばした。


「うるさいっ!」


 ソフィーはよろけて、地面に膝をついてセティを見上げた。セティは頬を赤くしてひどく怒った顔でソフィーを睨んでいた。


道具袋(ポーチ)なんか必要ない! 俺の知識は完璧なんだ!」


 セティのその表情はどこか不安そうで、泣きそうにも見えた。

 激しく声を荒げるセティとは対照的に、ソフィーは静かに首を振った。ソフィーはすでに、目の前のセティが本物のセティではないと確信していた。少なくとも、ソフィーの知っているセティではない。


「いいえ。セティはよく『最強』とは言うけど、自分の知識が完璧だなんて言わない。だって、セティは知識を得て成長している途中なんだから」

「うるさい! うるさい! うるさい! 俺がセティエム・グリモワールだ!」


 セティが手を振り上げる。ソフィーは鞭閃の舌長蜥蜴ウィップラッシュ・カメレオンの舌で、その腕を絡め取った。引っ張られて、セティがバランスを崩す。

 その場でたたらを踏んだセティを、立ち上がったソフィーが見下ろす。


「いいえ! あなたはセティじゃない! 本物のセティはどこ!?」


 セティではないと言われて、セティの姿をした何者かは悔しげに歯を食いしばってソフィーを睨みあげた。その目に涙が滲む。

 ソフィーはその涙に狼狽えることもなく、舌長蜥蜴(カメレオン)の舌でセティの手を捕まえていた。


「それでも! 俺の知識は本物だ! 炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラム!」


 炎の翅が生まれる。小さな炎は次々に生まれて無数の蝶になって周囲に羽ばたく。


碧水の蛙アクアルーラー・フロッグ!」


 ソフィーの頭の上で透き通った蛙が跳ねて、ソフィーの周囲を水の壁が覆う。


写し(コピー)だからって馬鹿にするな!」


 セティは拘束されていない方の手を持ち上げる。その指先に無数の炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラムが集まってゆく。


写し(コピー)……! セティの写し(コピー)!?」


 その単語(ワード)で、ソフィーの頭の中の違和感が全て繋がった。

 目の前にいるセティそっくりの少年は、写し(コピー)──セティの知識を写しとった(ブック)なのだ。だからセティが知っていることは全て知っている。

 けれど、道具袋(ポーチ)は知識ではないから、写しとれなかった。だから持っていない。


「つまり、セティの姿で油断を誘って所有者(わたし)を狙ったのね! グリモワールの仕業なの!?」


 セティエム・グリモワール・写し(コピー)の頭上には、大量の炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラムが集まって、一匹の大きな蝶になっていた。ゆらり、と翅の炎が揺れる。


「うるさい! 俺はセティエム・グリモワールだ! もう黙れ!」


 写し(コピー)は泣いていた。泣きながら怒っていた。そして、持ち上げていた手をソフィーに向かって振り下ろす。

 その手の動きに合わせて、大きな炎の蝶パピヨン・ドゥ・フラムがソフィーに向かってゆく。


碧水の蛙アクアルーラー・フロッグ!」


 ソフィーは水の塊を出して、蝶の行く手を阻んだ。大量の水が水蒸気となって、視界を覆う。炎と水はお互いの熱と冷たさを交換しあって、小さくなってゆく。

 その隙に、写し(コピー)舌長蜥蜴(カメレオン)の舌を振り解いた。そして、ソフィーに背を向けて走り出す。


「待ちなさい!」

開け(オープン)破壊顎の大百足ミリパット・モルシュール・ブリズーズ!」


 写し(コピー)はソフィーに向かって(ブック)を投げつけた。その題名(タイトル)に聞き覚えがあって、ソフィーは慌ててあとずさる。

 投げられた(ブック)はぼんやりと光ったかと思うと、みるみる大きくなる。そして、今リオンが立ち向かっているのと同じ、大ムカデの姿になった。

 その向こうで、写し(コピー)は外の光が見える方に走り去ってゆく。


(追いかけないと……でも!)


 ソフィーは目の前の大ムカデを見上げ、それから背後をちらりと振り返る。

 そこではリオンが、もう一匹の大ムカデを相手に戦っている。


(リオンを置いてはいけない……)


 一匹だけでも苦戦しているというのに、二匹もリオンひとりに任せて自分だけ写し(コピー)を追いかける判断は、ソフィーにはできなかった。

 ソフィーは唇を噛んで大ムカデを見上げた。ムカデの顎が、ぎちぎちと鳴る。


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