81 違和感
「開け! 鋼刺の山荒!」
リオンが本を開くと、ぼんやり光ったそれはヤマアラシの姿になってリオンの肩に乗った。その体の上に、棘が生まれる。
大ムカデが身体を伸ばしてリオンに迫る。それをぎりぎりステップでかわして、すぐ横から鋼刺の山荒の鋼鉄の棘を撃つ。
棘は大ムカデの身体の側面、ちょうど最初の脚と次の脚の間に刺さった。ぎちぎちと顎を鳴らして、大ムカデが身体をくねらせる。長い胴体が跳ねるように動いて、もがいている。
(効いてる! これなら……!)
リオンは暴れてのたくっている大ムカデから距離をとる。ちらりと視線をやれば、ソフィーとセティは碧水の蛙と炎の蝶を開いて戦っているようだった。
(なんでだ、セティ!)
ソフィーの元に駆け出そうとしたとき、のたくっていた大ムカデが頭をあげた。ざわりざわりと足が動いて、頭をリオンに向ける。真っ直ぐに、リオンを狙っているようだった。
リオンは小さく舌打ちした。
(今はこっちを抑えないと)
リオンの肩に乗った鋼刺の山荒、その体の上に次の棘が準備できている。リオンは大ムカデと向き合った。
大ムカデがリオンに向かってくる。
「鋼刺の山荒!」
その大きく開いた顎に、リオンは棘を撃ち込んだ。
ぎちぎちぎちぎち、と顎が鳴る。大ムカデは大きくのけぞった。その隙にリオンは大ムカデの正面から逃れる。
(ソフィー! セティ!)
祈るような気持ちで、視線を二人に向ける。二人はまだ戦いあっている。
(なんでだ! なんでなんだ、セティ!!)
唇を噛んで、リオンはまた大ムカデに視線を戻した。今はこっちだと無理矢理に頭を切り替える。
音迷の跳鳴虫の鳴き声が響く。大ムカデは音に惑わされているのか、身を捩ってはあちこちに頭を向けている。
リオンは右腕を持ち上げて、大ムカデの頭を指さす。鋼刺の山荒が肩から腕に移動して、リオンが指さす方に棘の狙いを定める。
そして、棘を撃ち放った。
◆
何度目か、ソフィーは鞭閃の舌長蜥蜴の舌でセティの槍を絡めて、動きを封じた。
「セティ! お願い、やめて! わたしはあなたと戦いたくない! 話がしたい!」
「うるさい、無理だ! 俺はグリモワールだから本を守るんだ! 人間を倒さなくちゃいけないんだ! 炎の蝶!」
炎の翅を持った蝶が舌長蜥蜴の舌を焼こうとする。それでソフィーは舌長蜥蜴の舌を引っ込めて槍を解放する。
これももう、何度目のやり取りだろうか。
セティは眉を寄せて苦しそうにソフィーを睨んでいる。その表情は、ソフィーにはどこか悲しそうに見えた。
だからソフィーは、これはセティの本意じゃないのだ、と思っていた。あるいはそう思いたかっただけかもしれない。
それでも、セティと戦う以外の道があるはずだと信じて、ソフィーはセティに語りかけていた。
「セティ! 話を聞いて!」
「うるさいうるさいうるさい!」
まるで癇癪を起こしたように、セティが槍を振り回す。ソフィーはそれをかわし、かわしきれない時には碧水の蛙の水の塊で威力をそいで、なんとかセティに向かい合っていた。
「所有者だって認めてくれたじゃない! わたし、あなたに認めてもらえて嬉しかった!」
「俺にはもう所有者はいらないんだ!」
セティが突き出した槍、その穂先をソフィーは避け損なった。上着の生地が破れ、腕が裂ける。
ソフィーは奥歯を噛み締めて声を殺した。腕の傷はさほど深くはない。それでも、鋭い痛みがソフィーの集中を妨げた。
「セティ……」
ソフィーの声にセティはもう何も応えず、ただ槍を突きつけた。ソフィーの瞳に涙が滲む。
「どうしても、セティは人間を──探索者を倒すって言うの?」
「そうだ。それが俺が作られた理由だからだ」
セティの声はソフィーを拒絶するように冷たい。
ソフィーはセティとのことを思い返す。
一緒にいた時間はそう長くない。それでも、セティはソフィーにとってもう、かけがえのない存在になっていた。
生意気だけど素直なところもあって、子供扱いすると怒るけど、子供らしい可愛さもあった。初めて書架の外に出たときは不安そうな顔をして手を握ってきた。それだって、最近はひとりで出歩けるまでになった。
初めて食べるチョコレートを気に入って、食べる経験も知識になるんだって言っていた。
(さっきだって、チョコレートをくれたのに)
自分で買ってきたチョコレートだって誇らしげに言っていた。その表情を思い出す。
チョコレートをしまっている黒い道具袋だって、自分で買いに行って、気に入ったものを選んできたのだ。
(あのときの自慢げな表情……)
そのとき、ふと、ソフィーの脳裏に違和感がよぎる。何かがおかしい。目の前のセティは何かが違う。
(わたしが、このセティを認めたくないだけ? ううん、違う……!)
ソフィーは目の前のセティを観察する。セティは構えた槍を突き出してくる。ソフィーは舌長蜥蜴の舌と碧水の蛙の水でその軌道をそらし、腰を落として穂先を避ける。
その間も、ソフィーはセティを見るのをやめなかった。
真っ黒い綺麗な髪も、真っ黒い瞳も、やっぱりセティのものだ。今は厳しい表情をしている顔立ちだって。
でもソフィーは自分の勘を信じた。薙ぎ払われる槍を水の塊で押し返す。
セティが着ている白いシャツ、サスペンダーで止められた黒い半ズボンの裾からは白い膝小僧が見えている。
そして、その腰にあるはずのものがない。気づいた瞬間、ソフィーは叫んだ。
「セティ、あなた道具袋はどうしたの!?」
「……え?」
セティは動きを止めた。大きく目を見開いてソフィーを見て、それから呆然と自分の腰を──道具袋があるはずの場所を見た。




