79 脱出
「斥候の蝙蝠が戻ってきてる。空があったみたいだ」
リオンは隙間の外を飛ぶ斥候の蝙蝠の様子に神経を尖らせていた。
所有者の意志と命令で知識を扱う本。斥候の蝙蝠の知識は、周囲の様子を調べて所有者に伝えることだ。
蝙蝠はまだ隙間の中までは戻ってきていない。それでもある程度の近さになったことで、蝙蝠の得た周囲の情報がリオンに届く。
「さっき羅針盤の金糸雀が鳴いた方角に進めば良い。あのムカデをかわしながら、な」
リオンが狭い隙間の中、その天井の凹凸を睨み上げるようにして話す。その岩壁の向こうでは斥候の蝙蝠が大ムカデを警戒しながら飛んでいる。
ソフィーは頷いて、道具袋から二冊の本を出した。
「なんとか、隙を作ってみる」
「何か思いついたか?」
「うまくいくか、わからないけどね」
ソフィーは少し微笑んでから真面目な顔をした。そして手のひらの上の本を見る。
「開け、星灯の蛍、音迷の跳鳴虫」
二冊の本はソフィーの言葉に反応してぼんやりと光る。
一つの光はふわりと飛び上がると、淡く明滅しながらソフィーの周囲を飛び回る。周囲を照らすにはじゅうぶんな、けれどどこか頼りない光だった。
よくよく見れば、その光は小さな虫が放っているのがわかる。
もう一つの光はソフィーの手のひらの上で、小さな虫の姿になった。シュッとした姿に、大きな後脚をしている。その姿になった途端、手のひらの上からぴょんと跳ねて、ソフィーの肩に飛び移った。
二冊の本を従えて、ソフィーはリオンを見上げた。
「音迷の跳鳴虫で、ムカデの注意をそらしてみる。その隙にここを出ましょう」
「この光は?」
リオンはソフィーの周囲をふわふわと飛んでいる星灯の蛍の光を見て、目を細めた。
「ムカデなら光を嫌うから……気休め程度だけどね。できる限りは備えておこうと思って」
あの大きなムカデが、星灯の蛍が放つ程度の光を避けるとはソフィーも思っていなかった。獲物を前に興奮していたら尚更だろう。
(それでも、少し隙を作る程度ならできるかもしれない)
ソフィーは唇を引き結んでリオンを見上げた。リオンもそれに応えてソフィーを見ると、準備はできたと頷いた。
「じゃあ、始めるよ」
「いつでもどうぞ」
リオンが隙間の入り口に立って外の様子を伺う。ソフィーもいつでも走り出せるようにわずかに膝を曲げた。
隙間の外で波打っている大ムカデは、変わらず隙間の中に狙いを定めているようだった。
ソフィーの肩の上で、音迷の跳鳴虫が翅を震わせる。それに合わせてりりりり、と音が響く。
けれどその音は、跳鳴虫からは聞こえてこなかった。隙間の外、大ムカデの後ろから響いている。そして、低い天井に反響して、あちらこちらから重なって聞こえてきた。
ソフィーの狙い通り、大ムカデは音を気にして体を曲げた。大ムカデの顔が後ろを向く。
「今だ」
リオンが走り出した。続いてソフィーも。
隙間を出て、大ムカデとは反対方向、羅針盤の金糸雀が鳴いた方向、そして斥候の蝙蝠が見つけた光の方向へ。
走る二人の足元を星灯の蛍が照らしていた。
少し遅れて、大ムカデは獲物が動いたことに気づいたようだった。体をくねらせて、リオンとソフィーを追いかけてくる。ぎちぎちと顎の鳴る音がソフィーとリオンに迫ってきていた。
音迷の跳鳴虫がまた翅を震わせる。大ムカデのすぐ真後ろからりりりり、と鳴き声がする。大ムカデは後ろを確かめるようにその場でぐるりと輪になった。
また、りりりり、と響く。たった一匹の音が、あちこちに反響して、幾重も重なって聞こえた。
大ムカデは音が鳴るたびに警戒するように体を曲げた。その隙に、ソフィーとリオンは走る。岩肌の地面はでこぼこと走りにくい。それでも、二人は走った。
やがて、進む先にわずかな光が見えた。
(あの先にきっと空がある!)
希望に足を早めようとしたそのとき、その光の方から走ってくる人影が見えた。リオンとソフィーは警戒して足を止めた。
ソフィーは音迷の跳鳴虫の鳴き声で大ムカデの気をそらす。大ムカデは音に惑わされて後ろを向く。だからといってずっと立ち止まっているわけにはいかない。
目を細めて、ソフィーは近づいてくる人影を見た。このまま走るべきかどうか、迷いながら。
人影は、黒っぽく見えた。少年くらいの背丈に華奢な手足。大きな槍を持っている。見えてくるその姿に、ソフィーは思わず声を漏らした。
「セティ!」
確かにセティだった。セティの真っ黒の瞳はソフィーの姿を確かに捉えた。そして、そのまま走って近づいてくる。
「良かった! 無事だったのね!?」
ソフィーも駆け出した。セティに向かって。あと何歩かで届く、その時だった。
セティは手に持っていた槍をソフィーに向かって突き出した。
咄嗟に、ソフィーは横に飛んでそれをかわす。ソフィーの肩から音迷の跳鳴虫がぴょんと跳んで逃げる。
「セティ!?」
ソフィーは転がりながら、セティを見上げた。セティの視線は、冷たくソフィーの姿を捉えていた。
そこから少し離れて、リオンが大ムカデの顎から逃げていた。




