78 小さな隙間の中で
大ムカデの顎が迫ってくる。がりりっと音がして、隙間の入り口が削れる。細かな石の破片が飛び散った。そしてその音は低い天井に反響して周囲に響き渡る。
空気は湿気を含んでじっとりと冷たく重い。
顔を庇っていた腕を降ろして、ソフィーは息を吐いた。指先は道具袋の中を探っているが、打開策はなかなか思いつかないでいる。
「この状況、どうしよう……」
大ムカデの顎が、隙間の向こうで遠ざかってゆく。けれど狙いはこちらに向いたまま。迂闊にこの隙間から出れば、あっという間に食いつかれるだろう。
リオンも道具袋の中を探る。その目は油断なく大ムカデの動きを捉えていた。
「疾風の大鷲なら、多分有利に相手できると思うんだよな」
「そうかもね、でも……」
疾風の大鷲は大きい。ソフィーとリオンの二人が隠れてやっとの、この狭い隙間で開いても身動きが取れなくなるだけだ。隙間の外ですら、岩の天井は低い。その力を存分に発揮できるようには思えない。
もちろん、それはリオンもわかっていた。
「もうちょっと広い場所に移動できれば、疾風の大鷲を開ける。そうしたら、あの大ムカデもなんとかできる」
「どのみち、ずっとここにいるわけにもいかないものね。セティも探さなくちゃいけないし。移動するのは賛成。ただ……」
「まあ、どうやってここから無事に出るか、って問題はあるけどな」
ソフィーとリオンは顔を見合わせる。リオンが小さく肩をすくめ、ソフィーは仕方ないというように苦笑した。
そんな小さな笑みでも、張り詰めていた緊張の糸がわずかにゆるむ。そのゆるみは、リオンとソフィーの間に落ち着きを生み出した。
「なんにせよまずは状況の把握、かな。できることは限られているけど」
ソフィーは道具袋から一冊の本を取り出す。
「開け、羅針盤の金糸雀」
ソフィーの手のひらの上で開いた金糸雀は、隙間の外の大ムカデの方を向いて大きな声で鳴き始めた。その鳴き声は、天井の低い洞窟内で、ひどく反響して広がった。
その音に刺激されたのか、大ムカデが腹を波うたせてまた隙間に突進してきた。がっと鈍い音がして、入り口が削れる。
ソフィーは片腕をあげてその破片から顔を守る。金糸雀が乗っているもう片手を庇うように体の陰に入れる。
「大丈夫、そいつのことはわかってる。他に……別の場所にも本の反応はない?」
ソフィーの意志を受け取って命令に従う本だというのに、ソフィーはまるで宥めるように金糸雀に語りかけた。
金糸雀はしばらく興奮したように大ムカデに向かって鳴き続けたけれど、ソフィーが何度か語りかけるうちに静かになってきた。
そうしてゆっくりと手のひらの上で体を回転させて、あちらこちらに嘴を向ける。
そのうちに、大ムカデとは別の方向に向かって鳴き始めた。鳴き声の大きさからして、そこまで遠くはない。
「大ムカデとは別に本がある。セティかも」
ソフィーは手早く「閉じろ」と命令して羅針盤の金糸雀を閉じる。それを道具袋にしまいながら、リオンを見上げた。
リオンは頷いて、自分も一冊の本を取り出した。
「開け、斥候の蝙蝠」
本はぼんやり光ると、リオンの頭上でコウモリの姿になった。
薄い膜のような羽根をはばたかせて飛ぶ姿は、大ムカデの前ではいかにも弱そうで心許ない。それでも、リオンには目的があった。
「こいつで、少し周囲の様子を探る。何もわからないよりはマシだろう」
隙間の外では、相変わらず獲物を待ち構えるように大ムカデがうごめいている。入り口付近を波打ちながら行ったり来たりしていた。
その隙をついて、リオンは斥候の蝙蝠を隙間の外に放つ。蝙蝠の羽ばたきに大ムカデが反応する。
すぐさま近寄ってきて大きな顎で蝙蝠を捕まえようと迫ったが、蝙蝠の方が一足早く天井まで飛び上がって逃げた。
そしてそのまま、大ムカデから離れて飛んでゆく。進むのは、さっきまで羅針盤の金糸雀が鳴いていた方向だ。
斥候の蝙蝠を取り逃した大ムカデは、天井付近まで体を伸ばして蝙蝠を追いかけようとした。その足がざわざわと動いているのが隙間から見えて、ソフィーもリオンもその大きさに改めてゾッとする。
蝙蝠は大ムカデから逃げ、羽ばたく。大ムカデは岩壁に張り付いて天井まで登って行ったが、すでに蝙蝠はだいぶ先まで飛んでいた。
大ムカデは体を八の字に曲げて、思い出したようにまたソフィーとリオンが隠れている隙間の前に戻ってきた。隙間からその触覚が入り込んできて、ぴんと動く。リオンはそれを刺激しないように、一歩退がった。
大ムカデから逃れた蝙蝠は低い天井すれすれを飛んでゆく。じめっとして暗い洞窟の中、小さな隙間はあちこちにあるようだった。
けれど今ソフィーとリオンに必要なのは、空だった。天井のない、開けた場所。
蝙蝠が飛んでゆく先に、光があった。蝙蝠はその光に向かって飛んでゆく。小さかった光がだんだん大きくなる。そして、光の中に飛び出た。
地面には苔やシダ植物が生えている。シダ植物はまるで木のように大きい。そして、そんな大きな植物が上空を覆っていた。
植物越しの空は、高い。
役目を果たした斥候の蝙蝠は、また低い天井の洞窟の中に戻ってゆく。所有者であるリオンのところへ。




