76 ナッツ入りのチョコレート
罠がなさそうなことと、他の本が遠いことを確認して、空っぽの部屋で休憩することにした。
セティは機嫌良く、自分の道具袋からチョコレートを出してソフィーとリオンにも渡した。
「ありがとう」
「俺にもくれるのか。ありがとうな」
ソフィーとリオンにお礼を言われて、セティはますます機嫌良くなった。ふふんと顎をあげる。
「俺が買ってきたチョコレートだからな。ナッツ入りだぞ。特別に分けてやる。うまいし、甘くて疲れが取れるんだ」
ソフィーはくすりと笑って、そのナッツ入りのチョコレートを口に入れた。
チョコレートの独特なかおりと、甘さが脳みそを刺激するようだった。ナッツの歯応えも、噛み締めるたびに疲労が弾けて消えてゆくような気がする。
「怪我なしで本を手に入れられたのは、ラッキーだったな」
言ってから、リオンはチョコレートを口に放り込んで、奥歯で噛み砕いた。小気味良いナッツの歯応えを感じてから、両手を上にして体を伸ばす。
「そうね。あの草むらを焼き払うようなことにもならずに済んだし」
ソフィーは口の中でチョコレートの味を転がしながら、体の力を抜いた。緊張感が続いてこわばっていた体が、ゆっくりとほぐれてゆく。
その視線の先では、セティがチョコレートを口に入れて、にんまりと笑っていた。リオンは床に手をついて足を投げ出し、体を休めている。
そんなときだった。
セティのちょうど背後に、扉が現れた。気づいた時には、もう扉は開かれていた。セティが立ち上がって振り向いた時には、扉から半身を出した金髪の──セティよりも少し年上に見える少年が手を伸ばし、セティの腕を掴んでいた。
「うわっ!?」
咄嗟のことに、セティはバランスを崩して扉の中に引っ張り込まれる。
「セティ!?」
ソフィーもリオンも立ち上がる。
今度は扉の中から、本が放られた。
「開け、破壊顎の大百足」
声とともに、宙に放られた本が光る。その光はたちまち大きくなってゆく。それとともに周囲の景色も書き換わる。
構わずに、ソフィーは扉に向かって走った。閉まる扉に向かって、目一杯手を伸ばす。
「セティ!」
「ソフィー!」
扉の内側からは、同じようにセティが手を伸ばしていた。その目の前で扉が閉まる。
「危ない、ソフィー!」
リオンがソフィーの体を抱えて床に倒れ込む。つい今し方ソフィーの胴体があった空間を、大きな顎ががちりと挟み込んで切断した。
それは、大きなムカデだった。その顎に挟まれたら人間の胴体など真っ二つになるだろう。そのくらい大きなムカデだ。
ぎちぎちと無数の足の関節が動く音がする。
ソフィーはそれも目に入っていないのか、リオンの体の下でもがいた。閉まった扉に目を向ける。扉は現れた時と同じように、突然に消えてしまった。
セティの姿はもうない。
「セティ……」
「落ち着け、ソフィー! 今は自分の身を守るんだ!」
リオンはもがくソフィーの体を抱いたまま、地面を転がる。ムカデの顎が迫るのを避けて、見つけた岩の隙間にソフィーを突き飛ばし、自分も潜り込んだ。
その入り口に、ムカデの顎ががちりと音を立ててぶつかる。岩がえぐれるほどの勢いだった。それでも、咄嗟に避難したこの場所は、大きなムカデが入ってくるほどの広さはないらしい。
リオンは自分たちの無事に安堵の息を吐いて、わずかな隙間から外を伺う。
地面は苔むした岩場になっていた。天井はごつごつとした岩で塞がれていて低い。暗く、じめじめと湿った空気だった。
隙間の外にはまだ大ムカデがうごめいているが、ひとまずの安全を得て、リオンはソフィーを振り返る。
ソフィーは顔色を悪くして口元を覆っていたが、やがて視線をあげてリオンを見た。
「ありがとう、リオン」
リオンはどうってことない、とでも言うように肩をすくめてみせた。
「無事で良かったよ」
「でも、セティが……」
ソフィーの眉が心配そうに寄せられる。リオンは唇を噛んで目を伏せた。そのまま、今すべきことを考える。
消えたセティ、自分たちの状況、大ムカデ、一瞬見えた金髪の少年の顔、それらを頭の中で整理して、覚悟をした顔でソフィーを見た。
「セティは扉の向こうだ。扉は消えた。でも、あの大ムカデは開かれた本だ。であれば、所有者はそう遠くには行ってない。
だったら、探し出せる。そうだろう?」
リオンの表情に、ソフィーも唇を引き結ぶ。そして、しっかりと頷いた。
「そう、そうね。所有者のところに行けば、セティもそこにいるかもしれない……」
「そしてそのためには、あの大ムカデをなんとかしなけりゃならない。それもわかってるな?」
ソフィーはリオンの背後に目を向けた。わずかな隙間から、こちらの様子を伺っている大ムカデの体の一部が見える。たくさんの足がうごめき、波打つように体が動く。
恐怖はもちろんあった。セティが消えた不安もある。
けれどそれ以上に、セティを見つけたい気持ちがあった。多くの本と対峙してきた探索者としての、矜持もあった。
ソフィーは顔をあげると、リオンに向かって微笑んでみせた。
「ええ。なんとかしてやりましょう。本相手の危険は覚悟の上、探索者だもの」
ソフィーの覚悟を受け止めて、リオンはにっと笑う。
「じゃあ、やることは決まりだな」
リオンが振り返って外の様子を伺う。ソフィーは改めてその姿を見上げた。
「本当にありがとう、リオン。あなたがいてくれて、良かった」
「まあ、な、俺は役に立つ男だろう?」
冗談めいた口調で、リオンがウィンクする。それに笑顔を返せるくらいの余裕が、ソフィーにも戻っていた。
そしてソフィーも外の様子を伺う。打開策を考えながら、道具袋の中を探りはじめた。




