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ブックワームは書架へ潜る  作者: くれは
第二章 書架街
7/105

7 チョコレート

 帰り道、ソフィーはパン屋で焼きたてのクロワッサンを四つとくるみの入ったパンを一斤の半分だけ買った。雑貨屋ではマグカップを一つ。食料品店では牛乳を一瓶と卵を二つ、それから板チョコレートを一枚。

 セティには初めて見るものが多くて、目を見開いていろんなものに見入っていた。買い物が終わって店を出るときにも名残惜しそうに店内を振り返っていたし、店を出た後ももっと見たかったと唇を尖らせていた。

 ソフィーはチョコレートを一欠片折り取って、そんなセティの口の前に持っていった。


「はい、セティ、口開けて」

「なんだよ、なんのつも……」


 不機嫌そうに口ごたえするセティの口に、ソフィーは容赦なくチョコレートの欠片を放り込んだ。

 セティは目を見開いて、それから何度か瞬きをした。

 硬いと思ったチョコレートは、舌の上で柔らかくなって、べたべたとした。それが嫌な感じじゃなく、甘さと不思議な香りが口の中いっぱいに広がった。


「どう? チョコレートは美味しい?」

「美味しい……は、わからない。けど、気に入った」


 ソフィーは片手に買い物の荷物を抱えて、もう片手ですっかり大人しくなったセティと手を繋いだ。帰る場所、ソフィーが借りているアパートメントはもう少し上の層だった。

 この書架街(しょかがい)では、書架(ライブラリ)に近い下の層の方が人気がある。それで、下の層に行くほどアパートメントも高価なものが多い。

 ソフィーが借りている部屋はそういった高価な価格帯を避けたところにある。

 メインストリートに面した階段を登って、続く廊下の中の一つ。ドアを開ければ、ちょっとしたキッチン、シャワールームの扉。奥に続く目隠しの布をあげると、正面に窓。

 窓の下には一人用のベッド。手前にはテーブルと椅子が一脚。壁際には、クローゼットと引き出しと棚。身の回りのものと探索者(ブックワーム)の装備、それから(ブック)は、そこに全部収まってしまう。

 それで目一杯くらいの、狭い──けれど一人暮らしの探索者(ブックワーム)にはありがちな部屋だった。


「ごめんね、椅子が一脚しかなくて。とりあえず椅子に座っててくれる?」


 ソフィーが荷物をテーブルに置いて声をかければ、セティは大人しく椅子に座った。物珍しそうにきょろきょろと部屋の中を見回している。

 ソフィーは部屋の奥に行って窓を開く。外の空気が部屋の中に流れ込んでくる。そして窓からは、書架街の様子を眺めることができた。窓の外はもう夕方で、日差しが入ってこなくなった書架街には、もう明かりが灯りはじめている。

 この眺めは、ソフィーのお気に入りだった。メインストリートから外れた窓のない部屋ならもっと安く借りることもできたのだけれど、この眺めが気に入って、ソフィーは窓付きのこの部屋を選んだ。

 次にソフィーはクローゼットからあれこれ入っている箱を出してきてテーブルの脇に置くと、自分はそれに座ることにした。テーブルに対して高さが足りてないけれど、今は仕方ない。早めに椅子を買おう、とソフィーは考える。


「さてと、ごはんの前にやっちゃいたいことあるから、もうちょっと待っててくれる?」

「さっきのやつくれたら、待ってやる」

「さっきの?」

「あの……口の中でべたってなる」

「ああ、チョコレートね。じゃあ、はい、どうぞ」


 ソフィーがチョコレートを一欠片折り取ってセティに渡す。セティはそれを受け取って、小さく「ちょこれーと」と呟いてから口に入れた。その口元が、にんまりと嬉しそうな形になる。

 ソフィーはその様子に目を細めてから、道具袋(ポーチ)に手を入れる。オリヴィアに預かった三冊の傷ついた(ブック)をテーブルの上に並べる。

 それから、もう一冊(ブック)を取り出して、それを開く。


開け(オープン)紡ぎ手の蜘蛛ウィーバー・スパイダー


 (ブック)はぼうっと光り、その光の中で輪郭が曖昧になる。その光はテーブルの上に集まって、手のひらに乗る程度の大きさの蜘蛛の姿になった。

 蜘蛛は、ソフィーの意思の通りに動き出す。傷物の(ブック)の周囲をちょこまかと動き、糸を吐き出す。吐き出した糸で(ブック)をぐるぐる巻きにして、まるで繭のように糸の中に閉じ込めてしまう。


「それは、何をしてるんだ?」


 セティが興味深そうに蜘蛛が動き回る姿を見ている。

 ソフィーは買い物袋から中身を取り出しながら、それに応える。


(ブック)の修理」

「修理?」

「そう。紡ぎ手の蜘蛛ウィーバー・スパイダーは、小さい傷なら修理できるの。だから、こうして修理を請け負って……お小遣い稼ぎをしてるんだ」

「お小遣い?」

「修理して、オリヴィアのところに持っていけば、いくらかお金がもらえる。そのお金で、こうやってパンが買える。チョコレートもね」


 セティは「ふうん」と頷いた。


「チョコレートを食べるのには、お金が必要ってことか」

「そういうこと。そのために、こうやって(ブック)を修理したり、捕まえて売ったり」


 その言葉に、セティははっとしたように顔をあげてソフィーを見た。


「お前、まさか、俺のことも売るつもりか?」


 ソフィーを見上げるセティの表情は、妙に必死だった。ソフィーは、牛乳瓶をテーブルに置いて、考えるように手を止める。


「あなたは特別な(ブック)だから、もし売ることになったら、きっと大騒ぎになるでしょうね。とんでもない値段がつくだろうし……それこそ、チョコレートなんかいくつだって買えるくらいに」

「やっぱり、俺を売るつもりなんだな?」


 セティが不安そうな顔になったのを見て、ソフィーは安心させるように微笑んだ。


「わたしはあなたを売るつもりはないから、安心して。だってあなたは特別なんでしょ。手放すなんてもったいないもの」


 その言葉をどう受け取ったのか、セティは唇を曲げてソフィーを睨みあげた。


「そ、そうだぞ。俺は特別なんだからな。俺を売るなんて、とんでもないことなんだぞ」

「わかってる。それに、何よりあなたに所有者(オーナー)だって認めてもらわないといけないし」

「わかってるんなら、良い。所有者(オーナー)だって認めたわけじゃないけど、今は一緒にいてやっても良い。また、チョコレートくれるなら」


 ソフィーはふふっと笑って、新しいマグカップも取り出した。


「チョコレートも良いけど、ごはんにしましょう。パンと牛乳も美味しいから」


 皿は二枚。それぞれにクロワッサンを二つずつ。マグカップも二つ。両方に牛乳。

 セティの前に、クロワッサンが二つ置かれた皿が一枚と、牛乳が入ったマグカップが一つ置かれた。


「どうぞ。食べてみて」


 言いながら、ソフィーは自分でもクロワッサンを一口噛みちぎる。セティはそれをじっと見てから、真似してクロワッサンを噛んだ。

 さっくりとした歯応えは、チョコレートとは全然違った。しかも、噛んでみたらふんわりと柔らかい。良い香りが口の中いっぱいに広がって、それからほんのりと甘い。

 一口目を飲み込んで、また一口。


「どう?」


 ソフィーの問いかけに、セティは顔をあげずに応えた。


「チョコレートとは違う」

「それはまあ、違う食べ物だからね。気に入らない?」


 セティはまた一口かじって、噛んで、飲み込んで、それから小さく首を振った。


「チョコレートとは違うけど、これも嫌じゃない。気に入った」

「なら良かった。食べながら牛乳を飲むと、もっと美味しいから」


 ソフィーがマグカップを指さすと、セティは食べかけのクロワッサンを皿に置いて、マグカップを両手で抱えるように持ち上げた。

 じっと中の白い液体を眺めて、そっと、猫が舐めとるようにちょっとだけ、口につける。とろりとした液体は、不思議な匂いだったけど、クロワッサンの味と混ざると、不思議と甘く感じた。それにクロワッサンで乾いた口の中が、潤う気がした。

 それから今度はもう少したくさん口に含んだ。こくん、と白い喉が動く。カップを置いて、クロワッサンを手にとってまた一口食べる。

 牛乳の匂いが、クロワッサンの甘い香りをより強く感じさせるような気がした。飲み込んで、ふうっと息を吐く。


「うん、気に入った」


 深く、セティは頷いた。唇の端にはクロワッサンの生地のかけらが貼り付いている。そして、クロワッサンのかけらごと、唇の端が嬉しそうに持ち上がった。

 セティの無邪気な笑顔に、ソフィーも嬉しそうに微笑んだ。




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