68 取り戻した日常
翌日、セティはまたひとりで出かけることにした。
クレムの店で買った黒い道具袋には、オリヴィアの本屋に渡す修復済みの本が入っている。それから、チョコレートを何粒か。
はじめてのことでもないのに、ソフィーはまだ不安そうにしていた。
「オリヴィアの店に行って、それからクレムの店とパン屋とデイジーの店に行くだけだ。この前だってひとりで大丈夫だっただろう」
セティが唇を尖らせても、ソフィーはまだ心配そうにしていた。
「それはわかってる、わかってるんだけど……」
「とにかく、行ってくるからな」
ソフィーは諦めたように息を吐くと、笑顔で──でもまだ少し心配そうな色を浮かべて、セティを送り出した。
セティの方は、もうすっかり慣れたものだった。最初は不安だった人混みだって、今はもうどうってことない。
書架街を降りていって、メインストリートから路地に入る。その先にはオリヴィアの本屋がある。その場所にも迷わずに行ける。
扉を開けば、かろんといつものドアチャイムの音が出迎える。奥から出てきたオリヴィアが、セティの顔を見て笑顔になった。
「いらっしゃい! 今日もお使い?」
うっすらと子供扱いされることは納得いかなかったけど、修復済みの本を渡せば、オリヴィアはいつも通りに仕事をした。
代金は結晶で。この結晶で、今日の買い物をする予定だ。
ついでに、修復が必要な傷物の本も預かって、受け取った全部を道具袋に入れる。
「おや、その道具袋買ったの? かっこいいね」
オリヴィアは小さな体でカウンターに乗り出して、セティの腰元を覗き込んだ。お気に入りの道具袋を褒められて、セティは得意げな顔になる。
「そうだろう。黒くてかっこいいのが気に入って買ったんだ」
「うんうん、そうしてると一人前の探索者みたいだ」
笑顔のオリヴィアに悪気はない。セティはよっぽど「俺はもう一人前の探索者だ」と言おうかと思ったけど、その話をすると自分の正体──本であることまで話してしまいそうな気がして、何か言うのはやめた。
だから、オリヴィアの前ではセティは、ソフィーのお使いでやってくる子供のままだった。
気に入らない。気に入らないけど、仕方ない。セティにだって、そのくらいの分別はあるのだ。
「じゃあ、また修復が終わったら本を持ってくるから」
「待ってるからね」
オリヴィアが目一杯手を振って、セティを見送る。かろん、とドアチャイムの音にも見送られる。
オリヴィアの本屋を出てメインストリートに戻ると、セティは書架街をもう少し下に降りる。次の目当てはクレムの父親の店だった。
(確かこの辺り)
記憶を頼りに辿り着いた先に、ちゃんとその店はあった。入り口の小さなディスプレイには、記憶していた通りに探索者向けの上着と道具袋が飾られていた。
そっと扉を開ける。店の中はしんとしていた。声を出そうかどうか迷っているうちに、奥から店主であるクレムの父親が出てくる。
「はい、いらっしゃい……ああ、あんたはクレムの。今日はクレムに用か?」
クレムを呼ぼうとするのか、店の奥に顔を向けかけた店主をセティは慌てて止めた。
「それもあるけど、その、この間買った道具袋のことで」
仕事の話だと知って、クレムの父親は職人の顔になってセティのところにやってきた。
「何か問題があったか?」
「問題はない。とっても使いやすいし、かっこいいし、気に入ってる。そうじゃなくて、ここの糸のところが切れて、糸が出てきちゃったんだ。これ、修理できるか?」
セティは腰につけていた道具袋を外して、クレムの父親は目を細めてセティが示したところを見る。そこからは確かに、装飾の糸が切れて、ほつれた糸が飛び出していた。
「ああ、これか。これならすぐだ。少し預かって今から修理して良いかい? その間、クレムと話でもしててくれ」
クレムの父親はセティから道具袋を預かると、今度こそ店の奥に向かってクレムを呼んだ。
それから、代わりの布袋をセティに渡して道具袋の中身を全部その中に入れる。道具袋の修理の間、それを使っていて良いらしい。
奥から出てきたクレムは、セティの顔を見てそばかす顔をぱっと笑顔にした。
「クレム、この子の道具袋を修理する間、その辺で話でもしててくれ。遠くには行くなよ」
「わかった! セティ、行こうぜ!」
元気よく店を出るクレムを、セティは追いかける。
クレムは言われた通り、遠くに行くつもりはないみたいだった。店のディスプレイの前に座り込む。セティも隣に座って、二人で顔を見合わせた。
クレムが嬉しそうに笑っていて、セティもなんだか無性にほっとした。クレムを助けることができて良かった、と改めて思ったのだった。




