57 トワジエムの知識は
ソフィーが呆然と見守る中、大鷲は不死鳥に向けて落ちるように真っ直ぐ飛んでゆく。そしてその背中から、リオンが跳んだ。
そのままリオンは不死鳥の燃える体に飛びついた。
「リオン!?」
ソフィーの叫び声はリオンまで届いていないのかもしれない。リオンの姿は不死鳥の燃え盛る羽に埋もれて見えなくなり、かと思えばすぐに落ちてきた。
落ちるリオンを大鷲が風を使って背中に受け止める。
不死鳥はぐるぐると飛び回り、燃える長い尾羽が鞭のように大鷲を襲う。大鷲はそれを避けて、そしてソフィーとセティの元に舞い降りてきた。
セティが分厚い氷の壁を作って、大鷲を振り向く。そこから降りてきたのは、確かにリオンだった。
「リオン! 大丈夫なの!?」
ソフィーはリオンに駆け寄って、無事を確かめるようにその両腕を掴んだ。傷も、火傷の一つもない姿だった。
セティもリオンに駆け寄って、その姿を見上げた。リオンはいつも通りの明るい笑みで、ウィンクまでしてみせた。
「ああ。さすがに死ぬかと思ったけど……死なずに済んだよ」
ソフィーはリオンの存在を感じ取って、その腕を解放した。
リオンは解放された手で、セティの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。セティは唇を尖らせたけど、いつもみたいに手を払ったりすることはなかった。泣きそうな顔でうつむいた。
それでもまだ、ソフィーは信じられない気持ちで、ぼんやりとリオンを見上げていた。
「心配したんだから。もう……駄目かと」
「悪いな。でも、おかげでわかったことがある」
リオンは目つきを鋭くして、真面目な表情になった。ソフィーもセティも、表情を引き締めてリオンを見上げる。
「俺は確かに噴火口に落ちた。駄目だと思って、死んだと思った瞬間だけは覚えている。でも、その後のことは覚えてない。
気づいたら噴火口の中で目を覚ました。周囲は溶岩……体が死ぬほどの熱さを感じているのに、俺は確かに生きている。そう気づいたら、熱さは気にならなくなった」
「どういうこと?」
ソフィーが眉を寄せる。
「本当に熱いわけじゃないんだ。溶岩も、勝手に熱いような気がしてるだけで、そう見えてるだけで、実際は熱くない」
話しながら、リオンは近くの溶岩流に足を突っ込んでみせた。ソフィーが息を呑んで、リオンはわずかに顔を歪めた。
その足をすぐに持ち上げる。そこには、ブーツもズボンも何事もないリオンの足があった。
「な? 熱い気がしてるだけなんだ」
「どういうことだ?」
セティが、意味がわからないというように唇を尖らせた。ソフィーは口元に手を当てて考える。
「つまり……この溶岩の光景は、そう感じるだけの幻ってこと?」
「多分な」
ソフィーの呟きに、リオンはにやりと笑う。
「じゃあ、あの不死鳥はなんなんだ?」
セティが宙で羽ばたく|劫火の不死鳥《フェニクス・デュ・フー・ドゥ・アポカリプス》を指さす。リオンはそちらにちらりと目を向けて、すぐにセティに視線を戻して頷いた。
「あれも、同じだった。近づけば熱い。熱い気がする。でも、実際に触っても何も起こらない。所有者になろうとしても、反応しない。弾かれすらしなかった」
「ということは、あの本自体が幻みたいなものってこと?」
ソフィーは信じられないように不死鳥を振り向いた。今だって、セティが作った氷の壁がその熱気で削られている。
向こうにいるクレムとジェイバーだって、あんなに赤い顔をしている。
その隣でセティが「そうか」と声をあげた。
「氷華の兎の氷が溶けるのは、俺が熱いと思っているから……俺が溶けると思っているから、俺の意思で溶けてるんだ」
「そういうことだろうな、多分」
リオンはまた、セティの髪の毛をぐしゃぐしゃと乱した。今度こそセティはその手を払い除けた。そんなやり取りにリオンは笑い、セティもつられて少し笑みをこぼした。
そのとき、状況にそぐわないトワジエムの笑い声が巣の中に響いた。
「あーあ、バレちゃった」
高い場所で涼しげに立っていたトワジエムが、溶岩も足場も何も気にすることなく歩いて降りてくる。
「でも、思ったよりも早く気づいたね、うん」
そして、周囲の熱気が嘘のように引いてゆく。
「不死鳥なんて、僕持ってないんだ。前に一度見たことはあるけどね。だから、嘘だよ、全部」
溶岩が流れ落ちる光景も、燃え盛る不死鳥も、一瞬で消えた。後に残ったのは、がらんとしたどうってことない石積みの部屋。
さっきまでの熱気を思うと、薄ら寒く感じるくらいだった。
「全部嘘なのにあんなに必死になって……面白かったよ。氷も水も大変だったよね。お疲れ様」
その部屋の中で、トワジエムが笑っていた。その後ろには、クレムとジェイバーが身を寄せ合っている。熱気が収まって、少し楽になったようだった。
それでも、安心には程遠い。ジェイバーは涙でぐちゃぐちゃの顔をして、クレムも今にも泣き出しそうだった。
「嘘ってどういうことなの……?」
ソフィーの呟きに、トワジエムは笑いながら応える。
「僕の知識は虚構なんだ。普通の本は刻まれた知識に従うだけ。でも僕は嘘がつけるんだよ。僕の嘘、まるで本物みたいだったでしょ? それが僕の知識、虚構なんだ」
セティは小さく「虚構」と呟いた。
ソフィーはトワジエムの後ろのクレムとジェイバーを見てから、トワジエムを睨む。
「その子たちに毒を飲ませたというのも嘘なの?」
トワジエムは笑うのをやめなかった。
「それはどうだったかなあ。僕は嘘がつけるけど、嘘しか言えないわけじゃない。どれが嘘でどれが本当かはわからないんだよね。それは人間も同じでしょう?」
自分たちのことが話されていると知って、ジェイバーはまた泣き出した。クレムの目にも涙がじわっと滲む。その様子を見て、ソフィーは唇を噛んだ。
「それからね」
トワジエムは楽しそうに一冊の本を取り出した。それを宙に放り投げる。
「開け、毒霧の海月」
本は宙で光を放ち、その姿を一匹のクラゲに変えた。自分の周囲に霧をまとい、ふわり、と宙を漂う。
「僕はこんなこともできるんだ」
そのクラゲが、分裂をした。二匹になる。それがさらに分裂する。さらに、さらに増える。気づけば、クラゲは部屋いっぱいになっていた。
クラゲたちがまとう霧のせいで、視界が悪い。その中で、トワジエムの声が響く。
「この海月たちも虚構だ。でも、虚構だって人間を傷つけることはできるんだよ」
部屋の奥、霧の向こうから、クレムとジェイバーの悲鳴が聞こえた。
第九章 劫火の不死鳥(フェニクス・デュ・フー・ドゥ・アポカリプス) おわり




