54 解毒の方法は
トワジエムが|劫火の不死鳥《フェニクス・デュ・フー・ドゥ・アポカリプス》の本を開いて、周囲の景色は一瞬にしてその巣へと変化した。
地面から立ち昇る熱気。地面はごつごつと黒ずんだ岩肌になり、奥に向かって緩やかに傾斜していた。足元にふつふつと真っ赤に煮えたぎる溶岩が流れてきている。それを辿って傾斜を上に見てゆけば、その溶岩が湧き出す穴があった。
その穴からは、溶岩が溢れ出してくる。それが熱を保ったまま流れ落ちてきているのだ。いく筋も、その流れはできていた。
ふと、吹き出した溶岩が空中で塊になった。宙でぐるりと渦を巻くように動く中から、大きな翼が生まれ出る。
溶岩は燃える炎の翼となって羽ばたいた。長く煌めく尾羽も、燃え盛る炎だった。
クレムとジェイバーは流れ落ちる溶岩に囲まれて、逃げ場を失っていた。狭い中で身を寄せ合って、二人でただ震えていた。
暑さに吹き出す汗を拭って、ソフィーは高い位置に立っているトワジエムを見上げた。
「解毒は!? 解毒はどうなってるの!?」
トワジエムは高い青空を背景に、噴き上がる熱気の中でも涼しい顔をしていた。
「これが解毒の方法だよ。|劫火の不死鳥《フェニクス・デュ・フー・ドゥ・アポカリプス》が持つ知識は人間の治癒だ」
不死鳥の羽ばたきで、熱風が吹き荒ぶ。トワジエムの長い銀の髪が大きく広がって、炎の色を移してきらきらと輝いた。
「うまく所有者になれると良いね。せいぜい頑張ってよ」
穏やかに美しく、トワジエムは微笑んでいた。
流れ落ちてくる溶岩が、地面の出っ張りで分かれ、そのままセティの立っている場所に向かってきていた。
「氷華の兎」
セティの肩で冷たく輝く兎がぴょんと跳ねる。そしてセティの前の地面に氷が広がる。溶岩は氷を解かし、けれど同時にその冷たさに黒く固まった。セティは氷を使って溶岩の流れを自分たちからそらしてゆく。
解け出した氷は蒸気となって、視界を覆った。
不死鳥は、優雅に羽ばたいた。尾羽が、まるで本物の燃え盛る炎のように、赤から橙へ、黄色へ、そして青へと色を揺らがせていた。その羽ばたきは熱風になって、熱い蒸気をセティとソフィー、リオンに叩きつけた。
ソフィーが道具袋から本を取り出す。
「開け、碧水の蛙!」
ソフィーの頭上で透き通った蛙が跳ねる。そして自分たちの頭上で水をばら撒いた。冷たい水が、ソフィーとセティ、リオンに降り注ぐ。
ソフィーはもう一度水の塊を作って、それをクレムとジェイバーのところへ飛ばした。二人の頭上で水の塊は弾け、二人の体を熱からわずかに守る。
リオンは顔の汗と水を手のひらで拭って、自分も本を取り出した。
「開け、鋼刺の山荒!」
ヤマアラシの姿になった本を、リオンは手首に乗せた。ハリネズミを乗せた手を不死鳥の方に向け、人差し指を突きつけ、狙いを定める。
山荒の上に金属が浮かび、それは棘になり、リオンが狙う不死鳥へと放たれた。
その棘は確かに不死鳥に届いたかに見えた。けれど、なんのダメージも与えられなかったのか、不死鳥は優雅に羽ばたき続けている。ただ、何か飛んできたことはわかったのか、顔をリオンの方に向けた。
山荒はリオンの腕を伝って、肩に乗った。その体の棘は、今はリオンを傷つけることはない。
「駄目か」
「不死鳥が持ってるなんらかの知識の影響かしら。それとも、単に高温すぎるだけかもしれないけど」
「なんにせよ、厄介だな。どうするか」
ソフィーは頬に張り付いた髪の毛をかきあげ、リオンは喘ぐように息を吐き出した。ひどい熱気に、思考まで奪われているようだった。
「俺が氷でやってみる!」
そう言ったときには、セティは右手をあげて不死鳥に狙いをつけていた。肩の上で兎が跳ねて、その手の前に氷の塊が作られる。
「いけ!」
声とともに、氷の塊が放たれる。その塊は不死鳥に近づくにつれみるみる小さくなってゆき、その羽ばたきで、ふっと蒸発して消えてしまった。
不死鳥は、今度はセティの方に顔を向ける。
セティは唇を噛んだ。
「鋼刺の山荒の針を氷で包んでみて。うまくいくかはわからないけど」
「わかった、試してみよう」
リオンがまた右手をあげて不死鳥に狙いを定める。山荒はリオンの手首に移動して、また体の上に金属を生み出して棘を用意した。
その棘が出来上がる寸前、セティが氷華の兎の氷で棘を覆う。
そして、氷で覆われた棘が放たれた。
不死鳥に近づくにつれ、氷が蒸発して小さくなってゆく。けれど今回は確かに、その中にあった金属の棘が、不死鳥の体の中に潜っていった。
不死鳥はちょっと毛繕いでもするかのように、その嘴で棘が当たった場所を何回かつっついた。それだけだった。
あとは何事もなかったかのように、優雅に羽ばたいていた。
「そんな……」
「これでも駄目なのかよ」
ソフィーは呆然として、リオンは舌打ちする。攻撃してもなんの手応えもないというのは、ひどく消耗するものだった。絶望しかける心を意地で引っ張り上げて、ソフィーもリオンも立っていた。
「どうすれば良いんだ」
セティは自分の力では歯が立たないことが、悔しかった。それだけじゃない。向こうではクレムとジェイバーが怯えて震えている。ジェイバーは相変わらず泣いているし、クレムだってもう泣き出しそうだ。
助けなければ。なんとかしなければ。気持ちだけは先走るけど、そのための行動が思いつかない。セティは歯を食いしばる。
不死鳥の羽ばたきが、熱風となって吹きつけてくる。その熱は、間違いなくソフィーとリオンの体力を奪っていた。
ソフィーは碧水の蛙で水を生み出して、また冷たい水を浴びた。髪の毛から、顎から、指先から、水が落ちる。落ちた水は地面の上で、じゅ、と音を立てて蒸散した。
水が滴るままに、リオンは覚悟した表情で顔をあげた。
「俺が直接行く」
リオンは道具袋から疾風の大鷲の本を出して、握りしめた。




