50 森が動き出す
セティは紡ぎ手の蜘蛛たちと、それによって生み出された糸を消す。破れたシャツの袖も、引っ掻き傷ができていた足も、それを覆う靴下の穴も、すっかり綺麗に元通りになっていた。
「セティはやっぱり本なんだな」
リオンの言葉に、セティは不思議そうに首を傾けた。
「なんだ、今更」
「いや、あまりにお前が普通に人間みたいだからさ。本だって、時々忘れそうになるよ」
リオンは苦笑して、氷の椅子から立ち上がる。セティもつられて立ち上がった。よくわかってない顔で、首を傾けたままだったけれど。その足元で、氷華の兎も真似して首を傾けて人間たちを見上げていた。
ソフィーも立ち上がると、その場で伸びをした。その背中をぴょんと駆け上って、碧水の蛙が肩に飛び乗った。
本の攻撃を避けながら、この金属の森を進む。その緊張感はあるけれど、休憩前まで感じていた焦りはもうない。セティのチョコレートのおかげで、休息の時間のおかげで、ソフィーは自分の中の不安をうまく飼い慣らしていた。
「それじゃあ、引き続き進みましょうか。焦っても仕方ないものね」
最初に走るのは引き続きリオンだ。
ソフィーが碧水の蛙を使って水の塊を撃ち出す。棘がそれを攻撃している間に、リオンは次の木への目星をつける。
そしてもう一度、ソフィーが水の塊を放つ。リオンは足元に注意しながら森の中を駆ける。足元は相変わらず平坦でなく、木の根も草も苔も邪魔をする。
それでも、その中に道を見出して、リオンは走る。木の陰にぴったりと背中を預ける。飛んできた棘が、木の幹に当たって弾かれる。
リオンの次はセティだ。
「右側は草が多い。少し左に寄った方が走りやすい」
リオンのアドバイスに頷いて、セティはソフィーを見上げた。ソフィーは微笑んで、セティに頷くと手のひらに乗せた碧水の蛙を持ち上げる。
水の塊が放たれる。セティが駆け出す。水の塊が棘に貫かれて弾け飛ぶのはいつものこと。そしてリオンは、この間に次の木の目星をつけている。
(大丈夫、連携はうまくいってる。進んでいる)
セティの背中を見送ったソフィーは、木の幹にもたれて小さく息を吐く。次はソフィーとリオンの番だった。
碧水の蛙を肩に乗せて、声に出して数をカウントする。カウントが終わって、水の塊を放つ。
ソフィーとリオンがほとんど同時に走り出す。ソフィーはセティのところへ。リオンは次の木のところへ。
森は奥に向けて、なだらかに下り坂になっていた。走る勢いがつきすぎて、止まるときに意識しないと転びそうだった。
そうやって、何回繰り返しただろうか。
森の中を下ってゆくと、周囲の木々がまばらになっていった。身を隠せる場所が減ってゆく、ということでもあった。
それだけではない。草の背丈が徐々に大きくなっていた。金属の草は踏み越えも掻き分けもできない。多少の背丈なら飛び越えられても、限度がある。そうなると、草が生えている場所には、踏み入ることができない。移動できる範囲が限られてくる。
ふと振り返ると、たった今辿ってきた道に、背の高い草が生い茂っていた。
金属の、そよとも動きのなかった草が、ゆっくりとその背を伸ばしていた。苔むした地面から、新しい草が芽吹きはじめていた。
「成長してる……?」
「やばいな、このまま閉じ込められるかもしれない」
ゆっくりでも着実にと進んでいた三人だけれど、ここにきて急ぐことを強いられた。カウントの数を十から五に減らす。
多少の無茶を覚悟で、先に進む。退路は、もうない。あとは本の本体をなんとかするしかない状況だった。
緊張の連続に退路を絶たれて、またソフィーとリオンに疲労感が見えてきた。確実に本体に近づいてはいるはずなのに、なかなか先に進めない苛立ちが、焦りになってくる。
焦りは、小さな怪我を増やした。小さな怪我は集中力をそいで、さらにミスを呼び込む。木の枝で腕を切ったリオンが、袖をまくりあげて応急処置テープを貼る。
(いけない、このままじゃ。でももう、休憩してる余裕はないし)
ソフィーはちらりと振り返る。そこにはもう、草が生い茂っている。新しい草は、どんどん生えてきている。
「ちくしょう!」
先にいるリオンの声が響く。何があったのかと気が急いて、それでもカウントをしてから水の塊を放って、ソフィーは走る。
その先には、絡み合った蔦があった。張り出した木の枝から、びっしりと蔦がぶら下がって、進路を阻んでいた。それはまるで鉄格子のように見えた。
「これじゃ向こうに行けない!」
リオンが焦った声を出す。こうしている間にも、周囲の草はその勢いを増していた。
セティとソフィーとリオン、三人の周囲にじわじわと草は迫ってくる。そして進めそうな先には、蔦がそれを阻んでいる。頭上は木々の葉が厚く重なっていた。
三人はすっかり閉じ込められていた。
(立ち止まっている場合じゃないのに)
ソフィーは唇を噛んで、必死に周囲を観察する。どこかに、先に進む隙間がないかと視線をめぐらせる。頭を働かせる。
(大丈夫、きっと何か方法はある。こういうときに使える本か、セティの知識か……)
ソフィーは隣のセティを見下ろした。その視線に気づいて、セティがソフィーを見上げる。
「大丈夫だ。ソフィーは諦めてないだろ?」
セティの言葉に、ソフィーは微笑んで頷いた。
「ええ、諦めない。なんとかしてみせる」
そしてまた、鉄格子のような蔦のカーテンに目を向けた。




