37 仕事の対価
大きなすり鉢状の穴、その側面を削って作られた書架街。オリヴィアの本屋は、ソフィーの部屋から少し下にある。
その穴に面した通りから奥に向かって削られた通路に入る。魔術を研究して再現された灯りが、道を照らしていた。
セティ以外にもちらほらと人通りが見える。オリヴィアの店はそんな先にあった。
相変わらず看板も何もなく、扉にかかった「開店中」と書かれた札が、かろうじてそこが何かの店だと主張していた。
セティは腰に手を当てて胸を張って、ドアと対峙する。
(どうってことない。一人でも問題ないじゃないか)
満足げに一人頷いてから、セティはドアに手をかけた。扉を開くと、かろんと柔らかなドアチャイムの音が響く。
「はーい、いらっしゃいませ! あ、セティくん……と、ソフィーは?」
店の奥からオリヴィアが出てきて、大きな丸い緑の瞳でセティを見る。オリヴィアはあまり背が高くない──といってもセティよりは高いけど、それでも向き合っても威圧感が少ないから、セティも落ち着いて話すことができる。
「今日は一人で来た」
「え、大丈夫なの? ソフィーはこのこと知ってるの?」
「ソフィーに頼まれたんだ」
セティはちょっと自慢げに顎をあげると、カウンターに近づいて、ポケットから本を出した。
一冊、二冊、三冊。
「おつかいってこと?」
くりくりとした目でオリヴィアが首を傾ける。セティはむっと唇を尖らせた。
「子供扱いするな。ソフィーに使われてるわけじゃない。単に俺一人で来ただけだ」
睨み上げられて、オリヴィアは何度か瞬きをしてから明るく笑った。
「そっかそっか、わかったよ。じゃあ、これ預かるね。ソフィーに修復を頼んでた傷物だよね、これ」
セティはまだ訝しげにオリヴィアを見上げていたけれど、それでもこくりと頷いた。
「そうだ」
「確認するね」
オリヴィアは一冊一冊手にとって、顔に近づけて状態を確認する。四角い本をくるりと回して全体を、それから一面一面じっくりと。
「うん、ちゃんと修復できてる。いつもありがとう……って、ソフィーに伝えておいて」
オリヴィアの言葉に、セティはまたこくりと頷いた。
今オリヴィアが持っている本を修復したのは、セティだった。紡ぎ手の蜘蛛はセティが食べてしまった。
だから本の修復もセティがしないといけない。
ソフィーには「修復したお金でチョコレートを買うから」と言われて、修復を請け負った。だから、オリヴィアのお礼は本来はセティが受け取るものだった。
もちろん、オリヴィアには秘密だけれど。
それでもセティは悪い気がしなくて、なんだか少しくすぐったいような気分になっていた。
「支払いはいつもみたいに振り込みで大丈夫かな」
「あ、いや、直接くれ。このあと、買い物があるから」
セティの言葉にオリヴィアは快く頷いて、支払いを用意する。書架街のお金は結晶だ。本とはまた違う石の結晶、それに魔術を施して貨幣として価値を持たせたもの。
あるいは、複雑な魔術で組み上げられたシステムによるクレジット管理。カードでのクレジット管理は人気があるが、使えない店もある。
「買い物かあ、なるほどね。何を買うの?」
「え、別に……なんで聞くんだ?」
「ただの世間話。言いたくないなら言わなくても構わないよ」
「言いたくないっていうか、別に……」
戸惑うセティにも、オリヴィアは笑顔だった。カウンター越しにクレジットを渡す。
「はい、修復三つ分、クレジットで一万八千」
「ん」
セティが受け取ったのは十八個の結晶だ。セティは手のひらにそれを受け取ると、無造作にポケットに突っ込んだ。
実際にお金を自分の手で受け取るのは嬉しいことだった。この後の買い物のことを考えて、セティはにんまりと笑う。
セティの表情を見て、オリヴィアも顔をほころばせた。
(あんまり話してくれないけど、可愛いところもあるよね)
ふふっと笑って、それから思い出したようにカウンターの上に身体を乗り出した。
「あ、そうだ。また傷物があるから、時間あるときに来てってソフィーに伝えてくれる?」
セティはポケットの上から結晶の感触を確かめていたけれど、オリヴィアの言葉に顔をあげた。
「それ、俺が見る」
「え?」
オリヴィアが丸い目をさらに丸くする。セティは真面目な顔をしていた。
セティにとっては、自分が修復するものだった。だから、修復するかどうかは自分で見てわかる。そう思って言い出したことだ。
その事情がわからないオリヴィアは戸惑って、けれどすぐに笑顔に戻って頷いた。
傷物の本のやりとりだ、重大なものじゃない。何かあっても次にソフィーと直接やりとりすればなんとかなるだろう。だったら、今はこのやる気に満ちた少年に任せても良さそうだ。
「わかった、じゃあ今出すね」
オリヴィアは台に乗って、棚の上の方から傷物の本をいくつか取り出した。
「これなんだけど、どうかな」
いつもソフィーにやってるように、オリヴィアは振る舞ってみせた。それは、セティを気分良くさせるものだった。
カウンターに置かれた四冊の傷物を順番に見て、セティは二冊を手にした。
「こっちは修復できる。そっちは傷が深いから駄目だ」
「わかった。じゃあ、修復できたら持ってきてってソフィーに伝えてね」
「任せておけ」
セティは二冊の傷物の本を結晶を入れたのとは反対のポケットに入れる。ポケットの膨らみが嬉しくて、またにんまりと笑った。
「さてと、わたしの方の用事は以上。君の用事は?」
「俺ももう用事はない」
「じゃあ、商売は終わりだ。またおいで、待ってるから。ソフィーにもよろしく」
こくり、と頷いてセティはオリヴィアの店を後にした。その表情はやっぱり満足そうに笑っている。
オリヴィアは大きく手を振って、その後ろ姿を見送った。かろん、とドアチャイムの音が響く。




