36 ひとりきりのお出かけ
ソフィーの手からセティの手へ、三冊の本が受け渡される。
本──手のひらに収まるほどの大きさの四角い石。その表面には様々な文字や文様が刻まれ、その内側にはそれぞれに固有の魔術の知識が込められている。
「これをオリヴィアの店に持っていって、支払いは振り込みじゃなくて直接欲しいって伝えてね。そうしたらお金がもらえるから」
ソフィーの説明に、セティは大人しく頷いた。
「わかった」
古代の魔術の知識が込められた本は貴重で、高額でやりとりされる。それだけではなく、その知識には危険なものも多い。本来なら子供が扱うものではない。
(オリヴィアは驚いちゃうだろうな)
ソフィーは十歳程度に見えるセティの姿を見下ろして、仕方ないか、と苦笑した。
セティが自分で買い物に行きたいと言い出したのだ。どうやら欲しいものがあるらしい。その眼差しは真剣だった。
一緒に行くことも、お金だけ渡すこともできたのだけれど、ソフィーはこうやっておつかいを頼むことにした。
きっとそれも、セティの経験になるのだろうから。
「受け取ったお金で買い物して良いけど、パンと牛乳も買ってきて。今日の夜と明日の朝の分」
「パンと牛乳だな。任せておけ」
自信たっぷりに胸を張ってから、セティはふと、心配顔でソフィーを見上げた。ソフィーは首を傾ける。
「ん? 何?」
「あ、いや……その、チョコレートも買って良いか?」
ソフィーはふふっと笑った。
「良いよ」
その言葉に、セティの顔がぱっと明るくなる。それから嬉しそうににんまりと笑った。
「わかった。じゃあ、チョコレートも買ってくる」
「あまり買いすぎないようにね。パンと牛乳は忘れないように」
ソフィーの呆れたような声に、セティは唇を尖らせた。
「子供扱いしてるだろ。ちゃんとわかってる、大丈夫だ。俺に任せておけ」
「はいはい、期待してる」
ふふっと笑うソフィーに、セティはまだ少し不満そうな表情を見せていたけど、すぐに気を取り直して、受け取った本を半ズボンのポケットに入れた。
ポケットに入れるには、本は少し大きい。不恰好にポケットが膨らんだ。
「それから」
セティは腰をかがめてセティに目線を合わせると、真面目な表情を見せた。セティはきょとんと首を傾ける。
「なんだ?」
「大事なこと。あなたが本だってことは、他の人にバレないようにね」
「なんだそんなこと。ちゃんとわかってる」
セティは自慢げに顎を持ち上げたが、ソフィーの話は終わらなかった。
「それから、街なかで本を開くのは探索者のマナー違反」
「マナー違反」
飲み込めない言葉を繰り返すセティに、ソフィーは頷いてみせた。
「そう。本の中には危険なものだってあるでしょう?」
「でも、だけど……本の知識は、傷つけようと思わなければ危ないことなんかないだろ。炎の蝶だって、燃やそうと思わなければ何も燃やさない」
「そうね。でも、燃やすつもりがあるかどうかは、他の人からはわからないから。突然現れた炎に、冷静でいられる人は多くない。そして、パニックになった人が何をするかはわからない。
だから、びっくりさせないように、本は開かないようにするのが所有者のマナー」
セティは何度か瞬きをした。ソフィーに言われた言葉を頭の中で繰り返して、ゆっくりと考える。
「なんだかよくわからないけど……でも、本を開かないのはわかった。俺も、知識を使わないようにする」
「わかってくれて嬉しい。あなた自身が本だから、セティの場合はちょっと特殊だけどね。でも、そう、外では知識を使わないようにね。それから、あなたが本だってことは」
「バレないように、だろ。そんなに何度も言わなくても大丈夫だ。任せておけ。
だいたい書架に潜るわけじゃないし、ちょっと買い物に行くだけなんだ、知識が必要になることなんてないだろ。ソフィーと一緒に行ったときだって、そうだったじゃないか」
ソフィーはかがめていた腰を戻して、苦笑してセティを見下ろした。
「そうね。心配しすぎか」
「そうだぞ。安心して待ってろ。ちゃんと買い物して帰ってくるから」
セティは腰に手を当てて、胸を張って堂々とソフィーを見上げた。自信と期待に満ち溢れて、楽しそうな笑顔になっている。
その表情に、ソフィーは余計に心配が募る。
「本当に気をつけてね。オリヴィアの店はわかりにくい場所にあるけど、道は本当に覚えてる?」
「大丈夫だ、二人で何度も行ってるだろ。一人でも行ける」
「パン屋も食料品も、ちゃんとお店に行ける?」
「オリヴィアの店よりも簡単だ」
「買い物って何を買うつもりなの? やっぱりわたしも一緒に行った方が……」
「くどい!」
セティはぴんと伸ばした人差し指をソフィーに向かって突きつけた。
「一人で大丈夫ったら大丈夫だ! オリヴィアの店も、買い物も、パンも牛乳も、チョコレートだって全部ちゃんとできるから! ソフィーは黙って待ってろ!」
ソフィーは小さく溜息をついて、覚悟を決めた。
「じゃあ、行ってらっしゃい。気をつけてね」
「ふん、見てろよ。完璧にこなしてくるからな」
ソフィーが開いたドアから、セティは快活に書架街に飛び出してゆく。階段を降りて、メインストリートへ。
見上げれば、部屋の窓を開いたソフィーがセティに向かって手を振った。ソフィーの濃い茶色の髪が、書架街の奥に届き始めた陽射しを受けて輝いている。
なんだかまだ心配されているようで、セティは少し唇を尖らせた。その表情に、ソフィーが微笑む。
そんなソフィーの姿を見て、セティがほっとしたのも事実だった。けれど手を振り返すのは恥ずかしくて、セティはふんと視線を逸らして、なんでもないかのように歩き出した。
まるで駆け出したいのを我慢しているかのような早足だった。
ソフィーは窓から、セティが遠ざかってゆくその姿をしばらく眺めていた。




