33 オリヴィアの店で
シジエムの写しを倒して書架から戻って翌日。
ソフィーは何冊かの本と一緒にオリヴィアの店を訪れた。店内は相変わらず、すっきりと手入れされていて居心地の良い空間だった。
「いらっしゃい、ソフィー。今日は何?」
カウンターの向こう、いつものように明るい声でオリヴィアはソフィーを迎え入れる。いつもと変わらない様子に、ソフィーはほっと微笑んだ。
「この間の本、修復できたから持ってきたよ」
「わ、ありがとう! 確認するね!」
ソフィーが三冊の本をカウンターに置くと、オリヴィアはさっそく状態の確認を始めた。
手持ち無沙汰に、ソフィーは髪をかきあげる。
「そういえば、今日は一人なの?」
本から顔をあげずに、オリヴィアが問いかける。ソフィーは不意をつかれたようにオリヴィアを見た。
「え?」
「ほら、セティくんだっけ。あの子、今日は一緒じゃないの?」
「ああ……」
なんて答えようかと、ソフィーはわずかに戸惑って、それから何事もなかったかのように微笑んだ。
「ちょっとね。今日は留守番」
「聞かれたくないんだろうけど、本当にどういう関係? 気になっちゃうなあ」
「わかってて聞かないでよ」
あはは、とオリヴィアは笑うと、顔をあげた。
「ありがとう。傷がちゃんと修復されてるし、すっかり綺麗。クレジットはいつもみたいに振り込みで良い?」
「それでお願い」
「で、さっそくまた傷物があるんだけど、ちょっと見てくれない?」
オリヴィアの言葉に、ソフィーは頷きかけて、小さく「あ」と声を漏らした。
紡ぎ手の蜘蛛はセティが食べてしまった。傷の修復をするなら、セティに頼まないといけない。
セティはまだ閉じたままだ。引き受けてしまっても大丈夫だろうか。
「何? 何か問題でもあった?」
ソフィーは慌てて首を振る。
「ううん、なんでもない。傷物、見せてみて」
ソフィーはオリヴィアから傷物の本を受け取って眺める。
(セティはきっとまた開く。開いたら頼んでみよう。きっと大丈夫だから)
渋々だろうか、それともチョコレートのためなら張り切ってやってくれるだろうか。「俺ならこんなのどうってことない」なんて言うかもしれない。
そんなことを考えて、ソフィーはくすりと笑う。
「うん、修復できると思う。預かるね」
「いつもありがとう。紡ぎ手の蜘蛛、何かあったら買い取るからね! いつでも!」
オリヴィアの言葉はいつものものなのに、ソフィーはそれにもうまく返すことができなかった。本はセティが食べてしまった。オリヴィアにはもう、売ることはできない。
ソフィーの微妙な間を感じたのか、オリヴィアは不思議そうな顔で大きな目を瞬かせた。
慌ててソフィーは微笑みを返す。
「紡ぎ手の蜘蛛は手放せないかな」
「まあ、そうだよねえ。気が変わったらいつでも教えてよ」
オリヴィアがいつも通りに返してくれることにほっとして、ソフィーは小さく肩をすくめてみせた。
「気が変わることはないと思うけどね」
「そりゃそうだ」
あはは、とオリヴィアは笑う。
「さてと、他に用事は? 何か買い取りとかする?」
小さい体をカウンターの上に乗り出して、オリヴィアはソフィーの顔を覗き込んだ。
不意にソフィーは、オリヴィアになら話しても良いんじゃないか、と考えてしまった。セティという特別な本のこと。シジエムという本に襲われたこと。
(オリヴィアのことは信用してる……でも)
セティという特別な本の存在を語ることで、何かに巻き込んでしまうような、そんな予感があった。
少しためらってから、ソフィーは別のことを口にした。
「オリヴィアは、写しって聞いたことある?」
「写し? それはまあ……話に聞くだけなら。あれでしょ? 元になる本の知識を再現して本を造る知識があるって」
ソフィーが持ち出した突然の話題に、オリヴィアは少し戸惑いながらも言葉を返した。
「そう、その写し」
「どうして突然?」
「あ、ううん、深い意味はないんだけど。修復の知識に何か繋がりがありそうだなって思いついたものだから」
ソフィーの言い訳に、オリヴィアは小動物のように首を傾けたけど、いぶかしむような表情は見せなかった。代わりに、眉を寄せて渋い顔をする。
「修復と写しか……どうかなあ。はっきりしてない知識だっていうのは確かに共通点だけど……。
写しに関しては、写しだろうっていう本があって、それでそういう知識があるんじゃないかって言われてる段階だからね。その知識をアンブロワーズが本に残してるかもはっきりしてないし。
手がかりにするには難しいかもね」
ソフィーは苦笑して、小さく首を振った。
「そうだよね。何か手がかりになったらって思ったけど、考えたら無茶苦茶だった。変なこと言ってごめんね」
「ううん。その辺の研究が進んで何か情報が入ったら、ソフィーにも教えるね」
「ありがとう」
オリヴィアはソフィーの顔を下から覗き込んで、笑顔を見せる。周囲がぱっと明るくなるような、そんな笑顔だった。
「少なくともさ、ソフィーは紡ぎ手の蜘蛛の所有者なわけでしょ。その時点で、修復の知識が本になってるのは確かなんだから。きっと、もっと深い修復の知識だって、いつか見つかるよ。
そうじゃなくてももしかしたら、この先もっと研究が進んで、いろんな知識が再現できるようになるかもしれないし」
オリヴィアの精一杯の慰めに、ソフィーも笑顔を返した。
「うん、ありがとう。とりあえずは、こつこつと書架に潜ってくことにする」
「頑張ってね。良い本があれば、また買い取るよ!」
小さい体で目一杯手を振るオリヴィアに見送られて、ソフィーは店を後にした。




