29 シジエムとの対決
疾風の大鷲から飛び降りてシジエムを狙った。
ソフィーもセティと一緒に鷲に乗り込んだのは、セティの所有者だからだ。本は所有者が近くにいる方が、その力を、知識を発揮できる。
セティは特別な本だけど、もしかしたらそういうところは他の本と変わらないかもしれない。それに賭けた。
寸前でシジエムには気づかれて避けられたが、セティもソフィーもまだ諦めていなかった。一角獣の槍を持ち上げて、さらにシジエムに突きつける。
シジエムは首を傾けてそれを避けたが、切っ先が白い頬に一筋の傷を作る。その傷から、インクのような黒い液体がつ、と流れ落ちる。
竜が大きく動いて、セティはバランスを崩して竜の背中を滑り落ちた。それをソフィーが支えて、背中の上で踏みとどまる。
シジエムはその二人を無表情に見下ろした。
片手を持ち上げて、頬の傷をそっと撫でる。ぼうっとした光が、その傷を包んで、次の瞬間には何事もなかったかのように傷は塞がっていた。
その手で乱れた髪の毛を掻きあげれば、ちぎれたリボンも元どおりになる。
「この程度の傷、再生があれば傷とも言えない。ねえ、再生を持ったわたしが負けることはないと思わない?」
セティは竜の背中の上で槍を構えなおす。その切っ先をシジエムに突きつける。
「なら、その知識が使えなくなるまで壊してやる」
ソフィーはセティの腕に自分の手を添えて、シジエムを睨みあげた。
「それにあなた、自分じゃ攻撃できないんでしょ? だからこうやって竜なんか連れてきて」
「じゃあ、あなたたちには何ができるの? セティエムだってもう限界でしょう?」
「まだ動ける!」
セティはシジエムに向かって跳ねた。シジエムを捉えようとする槍の切っ先を、けれどシジエムはふわりと避けた。竜の首に、槍が突き刺さる。
すぐにセティはそれを横に薙ぎ払う。シジエムはその場で跳んでそれを避ける。ふわりと、スカートが膨らむ。
「動きが鈍いわよ。かなり無理をしてるんじゃない?」
「うるさい!」
セティはまた槍をシジエムに向かって突き出す。シジエムはそれを難なくかわした。まるで踊っているかのように、金の髪が揺れる。
「碧水の蛙」
ソフィーの声とともに、シジエムに向かって鋭い針のようなものが飛んでゆく。それは、水で作られた小さな凶器だ。
シジエムはそれもかわしたが、黒いスカートの裾に小さな穴があいていた。
「あら」
シジエムはスカートの裾を払う。その手が触れると、その穴も何事もなかったかのように塞がっていた。
「セティ、援護するから! 攻撃を続けて!」
「命令するな! そんなのわかってる!」
ソフィーの碧水の蛙が作り出す小さな鋭い水の針。セティが突き出す一角獣の槍。
シジエムは竜の肩の上で、踊るようにそれらを回避する。
多少の傷を受けることを気にする様子もない。その白い肌も、黒い服も、金の髪も、傷つけたと思ってもその端からシジエムは再生してゆく。
ふふふ、とシジエムは笑う。
「もう諦めたら? どれだけやっても無駄。それに、向こうの人間だって、そろそろ限界じゃない?」
金の髪をなびかせながら、シジエムは白い指先を竜の向こうに向ける。
そこには、竜の攻撃を避けながら飛び回る大鷲の姿があった。その背中にはリオンが乗り込んでいる。
セティがその指先につられて視線を向けようとするのを、ソフィーの声がさえぎった。
「セティ、見ちゃ駄目! こっちに集中して!」
はっとしたように、セティは一角獣の槍を構えなおす。その視線はシジエムをしっかりと捉えていた。
「あら、仲間のことは心配じゃないの? 人間て随分と薄情なのね。ああ、ほら、もうすぐ落ちそう。今度こそ死んじゃうかも」
シジエムの言葉を止めるように、ソフィーが水の針を飛ばす。そのタイミングでセティも槍を突き出す。シジエムの袖が引き裂かれて、黒い液体を飛ばす。
「リオンなら大丈夫! わたしたちは探索者だもの! このくらいで負けやしない!」
ソフィーは攻撃を緩めずに、シジエムの体を狙ってゆく。ソフィーの攻撃はシジエムにたいした傷を作れない。だからシジエムは油断しているのだ。当たっても構わないとすら思っている。
その傷は確かにすぐに再生されてしまうけれど、でも、それでも、その積み重ねがどこかでシジエムを打ち崩せると、ソフィーは信じていた。信じて、攻撃するしかできなかった。
そのソフィーの攻撃の合間に、セティは槍を突き出して、薙ぎ払って、竜の肩の上でシジエムを追い詰めてゆく。
足場は狭い。大きな槍を避け続けるのは無理がある。だからきっと、この攻撃は届く。セティはそう信じて、槍を操り続けた。
シジエムは追い詰められているというのに、笑みを崩さなかった。破れた服も、乱れた髪も、傷ついた肌も、全て自らの知識で再生をして、くるくると踊り続ける。
ソフィーが飛ばした水の針で、また頬に傷がつく。黒い液体が白い頬から顎に流れ落ちる。シジエムの手が持ち上がって頬の傷に触れたその瞬間、セティは大きく踏み込んだ。
槍の穂先がシジエムの体に迫る。
(捉えた!)
けれど、槍はシジエムの体に届かなかった。届く直前に、槍は光になって消えてしまった。セティの体も、ぼうっと光を放っている。
「え……?」
セティは空っぽになった自分の手を見る。その手の輪郭が光になって、消えてゆく。限界だった。セティが、閉じられてゆく。
曖昧になった輪郭は、小さく集まって四角い本の姿に変わる。
「セティ!」
ソフィーの声に、セティは振り向くこともできなかった。




