24 竜(ドラゴン)との対峙
爆炎の赤竜──ずっと見上げていると首が痛くなるほどに大きな竜だった。灯りの足りない洞窟の中でも、その鱗は赤くぎらぎらと輝いている。
大きな口からは、鋭く尖った歯が並んでいるのが見えた。人間など、たった一噛みで上半身と下半身が別れ別れになるだろう。その隙間から、ちらちらと炎の息が漏れていた。
太い前脚の先にはこちらにも鋭い爪がある。軽く振り回されただけで、どれほどの被害になることだろう。
背中には立派な皮膜の羽があるが、この巨体が自由に飛び回るほどの空間は、この巣にはなかった。それだけは、ソフィーたちにとって幸いなことだった。
ソフィーは上空を飛び回る竜の姿を想像してしまい、小さく息を吐いた。これがさっきの草原のような場所であったら、どれだけ厄介だったか。
「竜とかマジかよ」
リオンは信じられないものを見るかのように、呆然とその姿を見上げる。
その巨体の肩に、シジエムと名乗った少女が座っていた。足をぶらぶらとさせて、造り物めいた綺麗な顔で退屈そうに地上を見下ろしている。
「さ、人間たちを殺してしまって」
シジエムの声に応えるように、ドラゴンがその喉を大きく伸ばした。ソフィーははっと声をあげる。
「セティ、氷を!」
そして自分は本を取り出す。
「開け、碧水の蛙!」
ソフィーの本は透き通る水になり、透き通った液体のまま蛙の姿になった。
一瞬遅れて、セティが手を持ち上げる。
「氷華の兎!」
氷色の兎がセティの足元で跳ね、氷の壁を作る。ソフィーはその内側にカーテンのように水の幕を作った。
リオンもさっとその内側に位置取る。
竜は持ち上げていた頭を下ろして、ソフィーたちの方に向けると、大きな口を開いた。隙間から漏れ出ていた炎の息が、塊となって吐き出される。
炎は氷の壁にぶつかり、氷を溶かした。内側にあった水の幕がその熱気を遮ったが、それでもその熱は、ソフィーたちの肌を撫でた。
リオンは周囲を見回したが、ちょうどよく身を隠せそうな場所はない。退がっても、ごつごつとした岩肌しかない。追い詰められるだけだった。
立ち込める水蒸気の向こうで、竜が今度は前脚を持ち上げた。なんてことないように、軽く持ち上げて下ろす、それだけの動作。
セティはまた氷の壁を作って、それを防ぐ。砕け散る氷のかけらが、周囲にきらきらと光を振りまいた。セティはそれでも構わずに、また氷で壁を作る。
すぐに竜の太い尻尾が振り回された。氷の壁がまた砕け散る。
「セティエム、どうしてそんな人間をかばうの? 放っておけば良いのに」
竜の肩から、不思議そうに首を傾けてシジエムが見下ろす。セティはそれを睨みあげた。
「理由なんかない! ソフィーやリオンが死ぬのは嫌だ!」
「何それ」
シジエムはつまらなさそうな顔で、竜の鱗を撫でた。
「それじゃあきっとセティエムのことも巻き込んじゃうけど、でも安心して。あなたが壊れてもちゃあんと再生してあげるから」
その言葉に、ソフィーが顔をあげる。
「再生……できるの?」
呟きのような言葉に返答はない。竜がまた顔を持ち上げる。それでソフィーははっと竜の方に意識を戻した。
透き通る水の蛙が地面を跳ねて、水のカーテンを作る。氷色の兎も周囲を跳ね回る。分厚い氷の壁が出来上がる。
吐き出された炎で氷は溶かされ、視界を覆うほどの水蒸気が立ち込める。ソフィーもリオンも、蒸し暑さににじんできた汗を拭う。
「今は竜をなんとかしなくちゃ」
ソフィーは自分に言い聞かせるように、そう口にした。
セティは今、竜の攻撃を防ぐだけで手一杯になっている。このままでは、いつかセティが疲労して、限界がくる。そしたら終わりだ。
炎をかわして近づいても、鉤爪に襲われる。長くて太い尻尾も厄介だ。何より、あの巨体に押しつぶされたらひとたまりもない。
「竜の所有者になれると思う?」
ソフィーの問いかけに、リオンは肩をすくめた。
「今はあいつが所有者だろ、きっと。だとしたら、まず無理だな」
リオンの答えは、ソフィーも想像していたものだった。だからすぐに頭を切り替える。
「リオンは、何か良い考えある?」
「そうだな……疾風の大鷲で気を逸らせたら、多少はセティの負担が楽になるかも? まあ、気休め程度だろうけど」
「ううん、そうね、それはお願い。その間に何か考えるから」
「了解」
そうやってやりとりしている間にも、竜は暴れているしセティは氷の壁を出し続けてそれを防いでいる。
リオンは道具袋から本を取り出す。
「開け、疾風の大鷲!」
リオンの掌の上の本が、ぼうっとした光を放つ。その光で四角い輪郭が曖昧になり、そして大きな翼が広がった。
人よりも大きな翼は、疾風を巻き起こし、風とともに上空へ飛び立つ。疾風の大鷲はかなり大きい本だが、それは人と比べての話で、目の前の爆炎の赤竜と比べれば、それでも小さい。
ともすれば、竜にとっては大鷲の羽など一口で噛みちぎってしまえるだろう。
それでも大鷲はリオンの意思で、果敢に竜の目前を飛ぶ。竜は邪魔そうに首を振ると、大鷲に向けて威嚇するように口を開いた。
吐き出された炎を、大鷲は風を起こして押し返した。その隙に高く飛んでゆく。竜は首を曲げて、その動きを追いかけた。
その様子を見て、ソフィーも一冊の本を取り出す。
「開け、白輝の一角獣」
ソフィーの本が形を変える。本の光は月が満ちるように輝きを増し、無数の光の帯となってソフィーの傍らに集まってゆく。
まず現れたのは、長く突き出た白銀の角だった。そこから銀のたてがみがなびく。真っ白い体はたくましく、しなやかな四つ足で地面に降り立った。
赤竜のぎらぎらとした赤い鱗の輝きに比べると、一角獣の姿は神々しいまでに清浄な、美しい白銀だった。それは、ソフィーのとっておきの本だ。
その名前の通りに輝く一角獣は銀の蹄で、地面を掻いた。その首を撫でて、ソフィーは竜を睨みあげた。




