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ブックワームは書架へ潜る  作者: くれは
第四章 疾風の大鷲(ゲール・イーグル)
23/105

23 グリモワール

 セティの長い睫毛が持ち上がって、まぶたが開かれた。その様子を、ソフィーは上から覗き込む。


「おはよう。調子はどう?」


 ソフィーの声は大きくはなかったけれど、静かな部屋の中ではよく響いた。

 セティはしばらくの間、ソフィーの顔を見上げてぼんやりしていた。けれど、自分がソフィーの脚に頭を預けて寝転んでいると思い出して、慌てて飛び起きた。


「も、もう大丈夫だ! 全然なんてことない!」

「あーあ、羨ましいね、膝枕」


 リオンのからかうような声に、セティは怒った顔で頬を赤く染める。ソフィーはリオンを小さく睨んだ。


「リオンはそうやってすぐにからかわないで」

「はいはい」


 リオンは肩をすくめて、応急処置テープ(パッチ)だらけの腕をぼろぼろになった上着(ジャケット)の袖に通した。

 ソフィーは小さく溜息をついて、立ち上がる。


「さて、今日はもう終わりにしましょうか」

「そうだな。収穫もあったことだし」


 リオンも立ち上がると、上着(ジャケット)の裾を引っ張る。セティは何度か瞬きをしてから、慌てて立ち上がった。


「俺ならまだ全然平気だ! もっと進んでも」


 ソフィーが腰をかがめてセティの顔を覗き込む。


「駄目。こんなところで休息(スリープ)するなんて、本当は結構無茶をしたんでしょ」

「それに、余力があるうちに戻る方が良い。帰り道にだって何があるかわからないからな。引き際を見極めるのは、探索者(ブックワーム)として大事なことだ」


 リオンにも言われてもまだ、セティは納得いかないような顔をしていた。それでも、しばらく考え込んでから、渋々といった様子ではあったけれど、頷いた。


「わかった。二人がそう言うなら、俺もそれで良い」


 素直なセティの言葉にソフィーが微笑んだときだった。

 不意に、空っぽだった部屋が変わった。一瞬のことだった。


「え、何……?」

(テリトリー)? (ブック)がいるのか!?」


 ソフィーとリオンは目を見開いて周囲を見回す。部屋の様子が一変していた。

 白と黒のタイルが交互に敷き詰められた床。優美な曲線を描く木彫りのテーブルと、揃いのチェアー。

 グレーのストライプの壁。鳥かごのような形の小さな窓には黒いレースのカーテンが揺れていて、その向こうには夜空が見えた。

 よく磨かれた艶のある木の棚。そこに並べられているのは、繊細なガラスの置き物たちだった。脚を大きく上げてバランスをとるプリマドンナ。チェロを弾く男性。花束を抱える少女。手を取り合って踊る男女。

 そんな様々な姿が、乱雑に、けれど触れれば壊れそうな佇まいできらきらと、造られた表情で並んでいる。そんな置き物たちに、ソフィーは見られているような気分になって、一人ぞっとする。

 セティはぽかんと周囲を見回していた。

 その部屋は、生活感はないけれど、まるで誰か人間の部屋のような空間だった。(ブック)(テリトリー)と呼ぶには不自然で、それがソフィーとリオンには不気味だった。

 そして、ふふふ、と少女の笑い声が部屋の中に響いた。


「誰!?」


 ソフィーが警戒した声をあげる。

 気づけばテーブルの脇に、いつの間にか少女が立っていた。セティと同じくらいの──わずかにセティよりも高い背丈。金色のふわりと膨らんだ髪を頭の両脇で二つに結び、白いレースと黒いリボンで飾っている。

 黒いワンピースは、襟や袖口、膨らんだスカートの裾に白いレースがあしらわれている。白い顔は人形のように整っていて、ガラスのような青い瞳がセティを見つめている。

 綺麗なその顔立ちは、どこかセティに似ていた。


「やっと見つけた、セティエム」


 少女はそう言うと、淡く桜色に色づいた唇でにっこりと笑った。


「セティ、知ってるの?」


 ソフィーは少女から視線を外さないまま聞いた。セティは眉を寄せて首を振る。


「知らない。俺は、こいつなんか知らない」


 少女はセティの拒絶にもさして表情を変えず、微笑んだままだった。


「そう。あなたは一番年下で、造られてすぐに閉じられたから、何も知らないのよね」


 芝居がかった仕草で、少女は自身の胸元に手を当てた。


「わたしはシジエム・グリモワール、アンブロワーズが造ったグリモワールシリーズの六番目」


 次には胸に当てた手を、セティに向かって差し伸べる。その仕草はやっぱり、どこか芝居がかっていた。


「あなたはセティエム・グリモワール。七番目。最後のグリモワール。

 つまり、わたしはあなたのお姉さんってことよ。よろしくね」


 ふふふっと笑い声をこぼして、少女は首を傾けた。まるで人間のように喋り、笑う。けれどその表情はどこか造り物めいて見える。

 セティを見たときは人型の(ブック)なんて信じられないと思っていたリオンも、その少女は確かに人とは違う、きっと(ブック)なのだと、感じていた。


「なんの用だ!? 何しに来たんだ!?」


 セティは不安を警戒に変えて、噛みつきそうな顔でシジエムと名乗った少女を見ていた。対するシジエムは穏やかに目を細めてセティエムを見つめている。


「あなたを迎えに来たのよ、セティエム。一緒にお兄様やお姉様のところに行きましょう」


 少女は右セティに向かってその白い指先を差し伸べたまま、そう言った。セティは拒否するように首を振って、一歩退がる。


「いやだ」

「どうして? グリモワールシリーズは特別な(ブック)なのよ。もちろん、あなたも。あなたのことはわたしたちが一番良くわかっているし、兄弟は揃っているべきだと思わない?」


 シジエムは首を傾けた。セティエムは小さく「きょうだい」と呟いた。


「そう。可愛いわたしたちの弟。特別な七番目。真っ白なまま生まれた特別なグリモワール。その白い頁を汚さないまま、書庫(ライブラリ)の奥で暮らしましょう」


 セティは目を見開いてシジエムを見る。ゆったりと微笑んでいるシジエムを、睨む。


「違う! アンブロワーズのじいさんは、俺に知識を集めろって言った! 頁を埋めろって言った! 俺は頁を汚してるんじゃない! 頁を埋めて、俺は成長するんだ!」


 セティの言葉に、シジエムははじめて表情を変えた。悲しそうに眉を寄せて、セティを見つめ、それからソフィーとリオンを順番に見る。


「それで、人間なんかに使われているの?」

「ソフィーに使われてるわけじゃない! 俺が一緒にいてやってるんだ!」

「その結果、頁を汚しているの?」

「汚れてない! これは俺の知識だ! こうやって知識を集めて、俺はいつか大魔道書になるんだ!」

(わたしたち)は、造られたときのままが一番綺麗なのよ」


 会話にならないことを感じたのか、シジエムは悲しそうに溜息をついた。気づけば、セティに差し伸べたその手のひらの上に、一冊の(ブック)が乗っている。


「まあ、どのみち所有者(オーナー)の人間は邪魔だものね。そこの人間たちを殺して、あなたを連れてゆくことにするわ」


 そして、シジエムの「開け(オープン)」という声が響く。手のひらの上の(ブック)が、ぼんやりと光を纏う。


爆炎の赤竜ドラゴン・ルージュ・ド・エクスプロジオン


 シジエムの手のひらの上で、(ブック)の輪郭が曖昧になる。

 それとともに、(テリトリー)の様子も変わってゆく。きっちりと四角い輪郭をしていた部屋は、でこぼことした岩肌になる。あちこちに苔むした様子まで見えた。

 天井は見上げるほどになり、周囲はすっかり洞窟の中の開けた空間になっていた。そして、その巨大な空間に姿を現したのは、赤い鱗の(ドラゴン)だった。




   第四章 疾風の大鷲(ゲール・イーグル) おわり


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