19 試行錯誤
大きな鷲が、翼を広げてまっすぐに舞い降りてくる。セティめがけて、風を切る音を立てながら、まるで落ちてくるような勢いだった。
セティが手をあげると、氷色の兎がぴょんと跳ねた。
「氷華の兎! 炎の蝶!」
舞い降りてきた大鷲の鉤爪が氷華の兎の氷にぶつかったその瞬間、炎の蝶の羽ばたく炎が大鷲を包もうとする。
大鷲は大きく羽ばたいて炎の蝶の炎を払い、距離をとり、そのまま頭上高く舞い上がっていった。
目論見が外れたセティは不機嫌さをそのまま表情に出して「うう」とうめいた。
「氷で動きを止めて炎で退路をふさぐ。いけると思ったんだけど……足りないか」
ソフィーは溜息をついて、すぐに頭を切り替える。他の手段を考えなければいけない。
「巣の中だからな。向こうが有利なのは仕方ない」
リオンは手をかざして頭上を見上げた。空高く、羽を広げた影が見える。
「もっと確実に足止めできる方法を考えないと駄目か」
ソフィーは手持ちの本を思い返す。少し考えてから、道具袋に手を入れて、一冊の本を取り出した。
「開け、紡ぎ手の蜘蛛」
ソフィーの手のひらの上で本が形を変えて、一匹の小さな蜘蛛に姿を変える。
「蜘蛛……糸でなんとかするつもりか?」
蜘蛛の糸一本で何ができると言いたげなリオンに、ソフィーは微笑んだ。
「そう。でも、わたしじゃなくて、セティがね」
「俺?」
頭上を警戒していたセティが、きょとんとした顔でソフィーを見上げる。セティの肩に乗っていた氷華の兎も、セティの真似をして透き通った瞳でソフィーを見上げた。
ソフィーはセティに向かって頷く。
「そう。わたしじゃ蜘蛛一匹、糸を一本出すのがやっとだけど、セティならもっとたくさんの蜘蛛と糸を出せるんじゃないかと思って」
「それは……できる。俺ならきっと」
「じゃあ、この本はあなたにあげる、セティ。これで、あの鷲を捕まえましょう」
セティはソフィーの手のひらの上の蜘蛛をじっと見た。
さっきは水の中で、この蜘蛛の糸がセティのところまで届いた。それはとても心強くセティを支え、その糸を辿って、セティは水の中から水面に出ることができた。
それだけじゃない。ソフィーは紡ぎ手の蜘蛛を使って本を修復していた。そのとき、ソフィーは楽しそうにしていた。
修復をする時間が好きだと、ソフィーは言っていた。
(もしかしたらこの本は、ソフィーの大事なものかもしれない……)
その本を、自分が食べてしまっても良いのだろうか。迷って、セティはソフィーを見上げる。
セティを見つめるソフィーは、顎を引いてまっすぐにセティを見つめていた。静かに微笑んですらいた。
「少しでも可能性があるなら、わたしはそれを選ぶ。だから、受け取って、セティ」
ソフィーの瞳はしっかりとセティを見据え、揺るがない覚悟を浮かべていた。だからセティも覚悟を決めて、真面目な顔で顎を引いた。
「わかった」
手を差し出せば、ソフィーの手のひらからセティの手のひらに、蜘蛛がぴょんと跳び移ってきた。
こうやっている間にも、あの大鷲が襲ってくるかもしれない。迷っている暇は、もうない。
「お前の知識、食らってやる。俺の一頁になれ」
セティの手の上の紡ぎ手の蜘蛛がぼうっと光って、輪郭が曖昧になる。セティは手を持ち上げて、その光を飲み込んだ。
白い喉が動いて、セティの体にその知識が入り込む。その証のように、セティの輪郭がぼんやりと光る。
紡ぎ手の蜘蛛の知識は、セティのものになった。
ソフィーは時間が惜しいとばかりに話しはじめる。
「蜘蛛の糸をたくさん出して、こう、ネット状にしたら捕まえられないかと思ったんだけど」
ソフィーが自分の両手の指を組み合わせてみせる。セティはちらりとそれを見て頷くと、両手を持ち上げた。
「紡ぎ手の蜘蛛」
セティの指先から、たくさんの小さな蜘蛛が現れる。めいめいに糸を吐き出して、縦に横にと動き回る。
細かく編み込まれた糸が、網になる。
「こんな感じか?」
「そう! これで次に本がきたら……」
ソフィーの言葉が終わらないうちに、突風が吹き抜けて、蜘蛛の糸で編まれた網は煽られて飛ばされていった。
慌てて、セティは頭上に氷を生み出す。その氷に鉤爪がぶつかり、砕ける。
砕け落ちる氷を前に、ソフィーは額に手を当てて溜息をついた。
「……失敗、だな」
苦笑したリオンが、慰めるようにソフィーの肩を軽く叩く。その言葉に反応して、セティがリオンを睨みつける視線で振り返った。
「勝手に失敗にするな」
ぐい、と顎をあげて、セティは頭上の大鷲の影を睨み上げる。その視線はまだ、諦めていなかった。
「今のでやり方はわかった。次は捕まえてみせる」
「できるの?」
「やってみせる。氷華の兎で足止めして紡ぎ手の蜘蛛で動きを止める」
ソフィーは口元に手を当てて少しだけ考えてから、わかったと頷いた。
セティはソフィーとリオンを順番に見た。
「俺が動きを止めたら、お前たちがなんとかするんだろ? やってもらわないと困る」
生意気なセティの声に、リオンはにやりと笑う。
「そうだな。そこからは探索者の仕事だ」
「氷の位置を低く、できるだけぎりぎりまで引きつけてちょうだい。できる?」
セティはふん、と鼻で笑ってみせた。
「そのくらい、どうってことない。そっちこそ、失敗するなよ」
自信に満ちた顔で、セティは空を見上げて本を待ち構える。
ソフィーもリオンも、セティの側で身構える。いつでも手を伸ばせるように。
一瞬、風が止まる。ざわざわと聞こえていた草の揺れる音が止まり、しん、と静寂が周囲を包む。
「来る!」
鋭く叫ぶセティの声と、突風が吹き抜けるのは同時だった。
そして、大きな影がすぐ頭上に迫っていた。