17 部屋付きの本(ブック)
ソフィーとセティ、リオンは休憩を切り上げて、書架を奥へと向かう。
影狩の猟犬が罠を避けて歩く、その後に続く。今度はセティもおとなしく影狩の猟犬が先導する通りに進んだ。表情はしぶしぶではあったけれど。
石積みの壁がずっと続く単調な廊下で、罠に気を張りながら進むのは神経が削られる。セティの表情がだんだんとうんざりしたものになってきた。
「おい、さっきから本は全然いないし、罠ばっかりじゃないか」
リオンが足を止めて振り返る。影狩の猟犬も所有者に従って、振り向くとその場でおすわりの姿勢になった。賢そうな顔を傾けて、静かに所有者を見上げて指示を待つ。
「そうは言っても書架の中でどこに繋がるかは運だからな」
リオンは溜息をつきつつ、明るい金髪を掻き回した。ソフィーはなだめるようにセティに向かって微笑んでみせる。
「まあ、もう少し進んでみましょう? 羅針盤の金糸雀が奥に向かって鳴いたから本がいるのは間違いないし」
それでもセティは「うう」と不満げな声を漏らした。リオンが軽く笑い声をあげる。
「空振りじゃないってわかってるだけマシだよ今日は。二冊目と出会えるのだって運が良いんだぞ」
進むぞ、とリオンが足元の影狩の猟犬に声をかける。影狩の猟犬は静かに立ち上がって、尻尾を振って先に進み始めた。
「セティももうちょっと頑張って」
ソフィーは励ましたけれど、セティは頷くこともしない。
数歩先を行ったリオンが、思い出したように振り返る。
「それともお子様は、罠が怖くてもう家に帰りたくなったか?」
「子供扱いするな! 罠なんてどうってことない!」
「ちょっとセティ、そこの罠気をつけて! リオンもセティをからかわないで!」
リオンは明るく「悪い悪い」と全く悪びれない顔で言った。セティは噛みつきそうな顔で、その背中を追いかける。
ソフィーは溜息をついて、二人の後をついてゆく。
大きな扉の前に出たのは、そこからさらに罠のある角を三つ曲がった後のことだった。
ソフィーが羅針盤の金糸雀を開けば、黄金の鳥はひときわ高らかに美しく歌った。
「この中は巣ね」
「部屋付きか」
部屋を自分の巣にしている本を、探索者は「部屋付き」と呼んでいる。そうじゃない本よりも、危険なものが多い、というのが探索者の常識だった。
部屋付きの巣の中に入れば、巣の中でさまよい続けるか、攻撃的な本の獲物になるか。運が良ければ本を倒せるだろう。さらに運が良ければ部屋の本の所有者になれるかもしれない。
なんにせよ、その巣から簡単に出ることはできない。
巣だと気づかずにうっかりと入り込むかわいそうな探索者もいるし、もちろん、危険を承知で巣に踏み込む探索者だって少なくない。
その結果は、様々だ。
「中に本がいるんだろ? さっさと入れば良いじゃないか」
セティは腰に手を当てて、扉が開くのを待っている。
「中に本がいるからこそ、準備してから入るの」
ソフィーはセティを振り向いてから、高らかに歌う羅針盤の金糸雀を閉じた。
「準備? 何をするんだ?」
「こうやって不要な本を閉じたり、逆に本をいつでも開けるように確認したりとか、かな」
「いちいち開かないと使えないなんて、大変だな」
セティは自慢げな顔で「俺は開かなくても使えるけどな」と続けた。
「俺たちは本じゃないからな、仕方ないだろ」
影狩の猟犬が扉に鼻を近づけて、罠がないことを確認する。リオンはその頭を撫でてから閉じた。四角い本姿に戻った影狩の猟犬を道具袋にしまう。
それから、上着の合わせを一度開けて、もう一度しっかりと閉めなおした。リオンが着ているのも、探索者向けの防御機能がある上着だ。
「本当は入る前にもっと準備したいくらいだ。入らないとどんな本がいるかわからないから、覚悟を決めて入るだけしかできないけどな」
「そうね。あらかじめどんな本がいるのかわかってるなら、もうちょっと準備しようもあるんだけど」
リオンとソフィー、二人の探索者の言葉はセティにはぴんとこない。「覚悟」と小さく呟いただけだった。
「そうだ、覚悟。最終的にはそれで決まると思ってる、俺はな」
「そんなの、俺だって、覚悟くらいある」
むすっとした顔でリオンを見上げるセティ。リオンは苦笑して、その髪の毛をわしゃわしゃと掻き回した。
「子供扱いするな!」
セティの手がリオンの手を弾く。
「悪い悪い。子供扱いのつもりじゃなかったんだ。覚悟が決まってるなら、お前も立派な探索者だと思ったんだよ」
「なんだそれ。俺は本だ」
「でも本を集めるんだろ? だったら、俺たちと同じ探索者だ。つまり、俺やソフィーの仲間ってことだよ」
「仲間っていうより同業者だと思うけど?」
割って入ったソフィーの言葉に、リオンは軽く肩をすくめた。
「同じだろ?」
「違うと思う」
ソフィーの言葉は短く容赦なく、ぴしゃりとリオンを否定した。けれどリオンは気にする様子もなかった。
「俺は仲間だと思ってるよ。ソフィーも、お前もな」
セティは意味がわからないとでも言いたげに、眉を寄せた。
ソフィーは仕方ないとでも言いたげに頷いた。
「まあ、協力関係にあるってことは認める。今はね」
「今のところは、それで満足しておくよ」
リオンはソフィーに向かってウィンクしたけど、ソフィーは呆れたように小さく息を吐いただけだった。
「仲間……同業者……探索者……覚悟……」
ぶつぶつと呟いているセティの頭を、リオンの手がまたかき混ぜる。セティはその手を払うこともせずに考え込んでしまっている。
「難しく考えることはない。さっきも言ったけど、覚悟だよ。この巣の本を手に入れる、手に入れて書架を出るっていうな」
「覚悟ならある! 俺がいればどんな本がいたって大丈夫だ!」
睨むように、セティがリオンを見上げる。リオンはにやりとした笑みを返した。
「期待してるぜ」
三人は扉に向き直る。黙ってしまえば、通路は静かだ。その静寂の中、リオンが扉に手をかける。
ソフィーは自分の鼓動を落ち着かせるために、小さく深呼吸した。大丈夫、と心の中で自分に言い聞かせる。
セティは挑戦的に、開く扉を睨んでいた。
そうして、三人は部屋付きの巣の中に踏み込んだ。