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ブックワームは書架へ潜る  作者: くれは
第三章 碧水の蛙(アクアルーラー・フロッグ)
13/105

13 水の中へ

 セティの指先から無数に生まれ、舞い散る六角形の氷の結晶。その中に姿を現した氷の兎。

 氷華の兎ラパン・ドゥ・ジーヴルは、その透き通る体で水の上を走り回る。その足跡が凍って水面に残る。

 水面に残った氷はすぐに割れ、水はうねって兎を捕まえようとするが、跳ねて逃げ回る兎はいっときも止まることはなく、水から逃げ回っている。

 レオンは言葉もなくその様子を見ていたが、はっとしたようにセティの姿を見る。セティは自信たっぷりの表情で、舞い散る結晶の中にいた。


「それで……ここからどうするんだ?」


 レオンの言葉は、少しかすれていた。

 セティは挑戦的な瞳でレオンを見上げる。その黒い瞳には、氷の結晶がきらきらと映り込んでいた。


(ブック)の本体は水の中にいるんだろう? 水の中に潜って、本体を捕まえてきてやる」

「水の中に?」

「何をするつもりなの?」


 セティはソフィーに向かってにやりと笑ってみせた。


「まあ、見てろ」


 セティはそのまま、なんでもないかのように水面に手を触れた。その指先から水が凍ってゆく。その氷を割るように、水が伸び上がる。

 セティの腕に水が絡みついて、セティの体を水の中に引きずりこんだ。水しぶきが立ち上がり、氷のかけらが宙を舞う。


「セティ!」


 ソフィーが後を追おうとするのを、リオンが腕を掴んで止めた。

 水しぶきが落ち着いたとき、セティの姿はそこになかった。氷華の兎ラパン・ドゥ・ジーヴルは変わらずに水面を凍らせながら駆け回っていた。


「リオン! 離して! セティを助けなきゃ!」

「ソフィー、落ち着け。氷華の兎フロストブルーム・ラビットはまだ動いている! あのガキの意思がまだあれを動かしてるんだ!」


 珍しく取り乱すソフィーに、リオンは語気を強くする。ソフィーは泣きそうな顔でリオンを振り向いた。


「でも!」

「あのガキが(ブック)だっていうなら、俺ら人間とは違うんだろ。水の中でも平気なのかもしれない。だとしたら俺らは、あいつが言った通り、本体を捕まえてくるのを待つだけだ」


 リオンに顔を覗き込まれて、ソフィーはようやく、少し冷静さを取り戻した。


(そうだ、リオンの言う通り。氷華の兎フロストブルーム・ラビットが動いている間はセティは無事。きっと大丈夫)


 ソフィーは目を閉じて、一回深呼吸をする。次に目を開いたときには、もういつも通りだった。


「ごめんなさい、みっともないとこ見せて。あなたの言う通り、わたしたちはセティを待ちましょう」


 それは、覚悟を決めた探索者(ブックワーム)の顔だった。

 リオンはその顔を見て、ようやくソフィーの腕を離した。


「ソフィーのそういう切り替え早いとこ、好きだな。やっぱり俺と組んでよ」


 いつものように軽く言うリオンの瞳は、いつものように真剣だ。ソフィーはちょっと眉を寄せて唇の端をあげて、小さく首を振った。


「ごめんね、やっぱり組むつもりはないの。でもリオンのこと、信頼はしてる」

「その答えはずるいな」


 ソフィーは曖昧に微笑んで、それ以上は何も言わなかった。話はおしまいというように、水際に立って水面を見つめる。

 リオンは仕方ないと言いたげに苦笑して、同じように兎が跳ね回っている水面を見た。


   ◆


 水中に引きずりこまれたセティは、水の中で周囲を見回した。水面が光を映してきらきらと輝いている。セティの周囲には微細な泡が立ち上って白くなっていたが、その向こうはどこまでも、水だった。

 動くものは泡だけ。水しかない。けれど、確かにいるはずなのだ、自分を水の中に引きずりこんだ(ブック)が。

 引っ張られたときに相手の体を掴んだ。掴んだはずだ。その手応えはあったのに、そのまま水のように手の中から逃げられてしまった。

 セティの体に絡みつくように、水は重い。水の中で、セティは思うように動けない。

 水の中をゆっくりと沈みながら、セティは掌に氷の塊を作ってそれを撃ち出す。反動で、セティは頭から沈んでゆく。水の中を切り進む氷の塊は、だけれど何にも当たらない。


(どこに行った?)


 周囲を見回そうとしたその顔に、何かが絡みつく。まるで顔の周囲の水が膜を持ったかのように、それはセティの顔を捕まえて、水の底へと引っ張ろうとする。

 白い泡が、その何かの存在を水の中で伝えていた。


(そこか!)


 セティは自分の頭の後ろに手をやって、その体を掴む。確かに柔らかなものを掴んだ手応えはあった。なのに、次の瞬間には、その手応えが手の中から消えて、水を掴むだけになってしまった。


(またか!)


 苛立ちとともにセティは振り向いたが、そのときにはもう、なんの姿も見えない。そしてまた、セティの喉元に水が絡みつく。

 手を振り回したり、体を捻ったりしてみても、それはセティから離れることはなかった。それでも掴めば、またするりと逃げてゆく。


(ああ! もう! どうすれば良いんだ!)


 そうしている間にも、セティの体は確実に、沈んでいた。薄暗い水の中を、ゆっくりと、底に向かっている。この(テリトリー)に底があるかはわからないが。

 セティは(ブック)だから呼吸は必要ない。とはいえ、ここは(ブック)(テリトリー)だ。このまま沈み続けていても良いことはないだろう。

 それに──と、セティは水に引きずり込まれたときのことを思い出す。

 ソフィーが心配そうにセティを呼んでいた。自分は(ブック)だし、特別だし、このくらい平気なのに。ソフィーは自分のことを信じていないのだろうか。

 自分でも意外なことに、セティはそれでも悪い気分ではなかった。心配されるというのは、嬉しいことなのかもしれない。それは初めて知ったことだった。


(そうだ、ソフィーは心配してるんだ。早く戻らないと)


 そう思ったら、少しだけ冷静になった。

 セティは沈みながら、水面を見上げて、考える。水面はさっきよりも遠く、でも光を映してゆらりと揺れていた。

 また、水がセティの顔に絡みつく。慌てて捕まえようとしても、また同じことになるだろう。だからセティは、されるままになっていた。


(何か……あるはずだ。できるはずなんだ)


 絡みつく水が、セティを深く、深く沈めてゆく。セティはそのまま体の力を抜いて、遠ざかる水面を眺めていた。

 諦めたわけじゃない。ただじっくりと、反撃の方法を考えていた。




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