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ブックワームは書架へ潜る  作者: くれは
第三章 碧水の蛙(アクアルーラー・フロッグ)
12/105

12 氷華の兎(フロストブルーム・ラビット)

 狭い廊下はずっと続いていた。時折曲がり角はあるが、分かれ道はない。

 だからただ道なりに、影狩の猟犬シャドウハント・ハウンドの足跡を辿って、三人は進んだ。

 その先で遭遇したのが、水たまりだった。もちろん、ここは書架(ライブラリ)の中、ただの水たまりではない、それはなんらかの(ブック)(テリトリー)だった。

 狭い廊下を塞ぐように、唐突に水が溜まっている。廊下に高低差があるようには見えないのに、その水たまりは深く水をたたえていた。覗き込んでも暗く揺れる水の動きが見えるばかりで、底が見えない。

 リオンが道具袋(ポーチ)につけていた細長い棒を手にして、手首をねじるようにした。棒がリオンの身長と同じくらいの長さになる。その棒を、リオンは水たまりの中に差し込んだ。

 差し込んだ棒が、まるで何かに掴まれたように引っ張られる。その力に耐えきれず、リオンは棒を手放した。

 リオンの身長と同じくらいの長さの棒は、そのまま水の中に取り込まれて消えていった。リオンの背の高さですら、水の中に立って頭が出ないほどの深さがある、ということだ。


「相当深い上に、引っ張り込まれる」


 リオンの言葉に、ソフィーはどうしようかと足元を見る。ざわりと、波が寄せるように、水際が足元に寄ってきていた。


「退がって!」


 自身も後ずさりながらのソフィーの声に、リオンは一歩退がる。ぼんやり立っていたセティはソフィーに腕を掴まれて引っ張られる。セティはたたらを踏むように後ろに退がった。


「セティも、水に触らないように気をつけてね」


 三人の足元に向かって、じわじわと水際が迫ってくる。その動きはゆっくりではあったけれど、のんびりしていられるほどの状況には思えなかった。


「水に触ったら引っ張りこまれて、そのまま取り込まれる感じかしら」

「だろうな」

(ブック)の本体も水の中?」

「多分」


 少し考えてから、ソフィーは道具袋(ポーチ)から一冊の(ブック)を取り出す。


開け(オープン)氷華の兎フロストブルーム・ラビット


 (ブック)の光が、氷でできた透き通った兎の姿になる。ソフィーが氷華の兎フロストブルーム・ラビットを足元に放すと、兎は水際を飛び回って水際の水を凍らせた。

 じわじわと近寄ってくる水の動きは止まったが、その向こうには相変わらず、揺らめく暗い水面が広がっている。


「これで本体を誘い出せないかと思ったんだけど」


 ソフィーはしゃがみこんで、ひんやりとした兎の体を撫でる。氷華の兎フロストブルーム・ラビットが凍らせた水際の氷は、すでに揺れる水面の上で砕けはじめていた。

 氷が砕けて溶けてゆくのを見てから、ソフィーは脇に立っているセティを見上げた。セティはつまらなさそうに水たまりを見ていた。


「セティ、炎の蝶(フレイム・バタフライ)でこの水をなんとかできない?」


 頼られたのが嬉しいのか、セティは嬉しそうな顔になった。胸を張って自慢げにソフィーを見下ろした。


「俺の力が必要になったんだな? 良いぞ、俺がなんとかしてやる」

「本当にできるのか?」


 リオンが訝しげな声を出す。セティはちらとリオンをにらんだけど、すぐにふふんと顎を上げた。


「俺ならできるに決まってるだろ」

「……どうするつもりなの?」


 ソフィーはセティに視線を向けたまま立ち上がる。セティは、その足元の兎に向かって、指先を突きつけた。


「その兎を俺によこせ。そうしたら」

「待って、ちょっと待って」


 ソフィーはセティの腕を掴んで、その耳元に口を寄せた。


「ひょっとして食べるつもり?」


 それは小声だった。ソフィーはリオンの視線を気にして、ちらりと振り返る。リオンは目を細めてソフィーとセティを見ている。

 応えるセティは、声を潜めることもしない。


「だって、俺はそうしないと(ブック)の力を引き出せないからな」

「でもそれじゃ、リオンにあなたのことがばれちゃうじゃない」


 セティは気に入らない、というように眉を寄せた。その表情のままリオンを見る。そして、リオンに向かって指を突きつけた。


「おいお前、邪魔だからどっか行け!」

「はあ!? 大人しく待ってりゃ、なんだそりゃ」


 リオンは盛大に顔をしかめた。ソフィーは溜息をつく。


「あのね、リオン、申し訳ないんだけど」

「ここまできて、今更仲間外れとか言わないよな、ソフィー」


 不意に、リオンは真面目な顔になった。鮮やかな青い瞳で、ソフィーをじっと見下ろす。


「俺に何か隠したがってることはわかる。それが、そのガキに関係したことだってのも。

 それだけじゃない。さっき罠で飛んできた矢を防いだとき、そのガキは(ブック)を開かなかった。なのに、炎の蝶(フレイム・バタフライ)を使ってみせた。

 そのガキが普通じゃないってのは、もうわかってるよ」


 ソフィーは、じっとリオンを見返す。実のところ、もう隠すのは無理だと思っていた。一緒に書架(ライブラリ)に潜った時点で、隠し通せるはずがなかったのだ。それでも黙っているのはただ、どう話すべきか迷っていたからだった。

 小さく溜息をついてリオンの視線から逃れて、ソフィーはようやく口を開いた。


「秘密にしておいてくれる?」

「俺は口は固いよ」


 リオンはソフィーに向かってウィンクする。ソフィーはリオンのその様子にちょっとだけ微笑む。それから覚悟したように、鳶色の瞳でリオンを見上げた。


「あのね、セティは……(ブック)なの」

「……は?」


 リオンは、理解できないというように、目を見開いた。冗談にしても笑えない。それに、ソフィーは真剣な顔をしている。


「信じられないでしょうけど。わたしも最初は信じられなかった。でも、本当なの。

 おいで」


 ソフィーは足元の氷華の兎フロストブルーム・ラビットを抱き上げて、それをセティに向かって差し出した。


「セティ、どうぞ」

「秘密はもう良いのか?」

「リオンは信用できると思う」


 セティはソフィーを見上げて何度か瞬きをした。それからリオンを見て、自慢げににやりと笑った。


「俺の題名(タイトル)はセティエム・グリモワール。覚えておけよ、いずれ大魔道書になる(ブック)だ」

「グリモワール……(ブック)、本当にか?」


 リオンはまだ信じられないというように、ゆるりと首を振った。

 セティはそんなリオンの様子にもう構わずに、ソフィーが抱えている氷華の兎フロストブルーム・ラビットに触れた。


「お前の知識、食らってやる。俺の一頁になれ」


 氷華の兎フロストブルーム・ラビットはわずかにもがいたが、セティは気にする様子もなくその体を握った。

 氷でできた体が光って、その輪郭が曖昧になり、ぼうっとした光の塊になる。その光を、セティは口元に持っていって、飲み込んだ。こくり、と白い喉が動く。

 ぼうっとセティの体が光る。


「は。なんだ、今の」


 リオンの乾いた声に、ソフィーが振り返る。


「これが、セティが持っている知識なの。他の(ブック)を取り込んで、自分の知識にできる」

「そうだ! そして俺なら、(ブック)の知識を最大限活用できる! 見てろ! 氷華の兎ラパン・ドゥ・ジーヴル!」


 持ち上がったセティの指先から大粒の氷の結晶が生まれ、ひんやりとした空気をまとって、空間を舞った。

 その冷たい空気の中に氷色の兎が姿を現して、ぴょんと跳ねる。氷の結晶は魔術の灯りを映して、きらきらと輝いてセティの周囲を漂っていた。




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