11 影狩の猟犬(シャドウハント・ハウンド)
書架の中に入れば、石積みの壁の部屋があった。魔術の明かりが灯っていて、部屋の中は明るい。その部屋から出ている通路は四つ。
相変わらず乾いて清潔そうなのは、書架の魔術が行き届いている証だ。
いつもと大きく変わったところはない、とソフィーは判断する。であれば、やることはいつもと一緒だ。道具袋の中に手を入れる。
リオンも早速一冊の本を取り出していた。
「開け、影狩の猟犬」
リオンの声とともに、手のひらの本が目覚める。模様に光が走り、ぼんやりと全体が光って輪郭が曖昧になる。その光はリオンの足元に集まって、すらりと細身で黒い毛並みの大型犬になった。
影狩の猟犬は早速、石が並ぶ床を嗅ぎ回る。
「罠に対して鼻が効くんだ、便利だろ」
リオンはセティに対して自慢げに言う。セティは犬の姿を見て、唇を尖らせた。
「便利なのはお前じゃなくて本だろ。お前が偉そうにするな」
「この本を手に入れたのは、俺の実力なんだよ」
「ふん」
セティの生意気な顔に、リオンは悪態をつきたくなった。けれど、ソフィーがじっとりとした視線を二人に向けていることに気づいて、リオンは諦めて口を閉ざした。
「開け、羅針盤の金糸雀」
今度はソフィーが本を開く。開かれた羅針盤の金糸雀は、ソフィーの周囲を飛び回って、歌い始める。
しばらくその歌声を確認して、ソフィーは手のひらを差し出した。
「閉じろ」
鳥の輪郭が曖昧に光って、その光がソフィーの手のひらの上に集まる。そして、光が消えたときには、それは四角い石の姿に戻っていた。
「もう閉じるのか?」
「ずっと音を出しておくと、危ないことがあるから」
ソフィーの説明に、セティはちょっと首を傾けた。危ない、ということがよくわかっていない顔だった。
リオンはそのやりとりを訝しげに見ていた。何か言いたくなって口を開きかけたが、結局は何も言わずに、通路の一つに視線を向けた。
「ともかくこっちの方だな。進むぞ」
先頭は影狩の猟犬とリオン。その後にソフィーが続いて、セティは最後だった。
最初のうちは石積みの廊下も、いくつかの分かれ道があった。分かれ道のたびにソフィーが羅針盤の金糸雀で進行方向を確かめて、進む。
そうやって進むうちに、分かれ道に出会わなくなった。時折曲がり角はある。ちょっとした罠もあったが、影狩の猟犬が見つけだして避けることができた。
そんな明かりはあるが光量の少ない薄暗い廊下を、ただ進んでいた。
セティは先を進むリオンとソフィーの後ろを手持ち無沙汰についてゆくだけだった。それがなんだか、セティには気に入らなかった。
「やっぱり便利ね、影狩の猟犬。書架の中じゃ、普段は罠に神経尖らせるから」
「だろ? 俺と組むのも悪くないと思うよ」
「それはまた別の話」
ソフィーがリオンの本を頼りにしている様子なのも、なんだか気に入らない。
(俺だって……俺の方が、役に立つのに)
セティはむすっと唇を曲げて二人の後をついてゆく。前を行く二人は、セティのそんな様子に気づいていない。そのこともまた、セティの苛立ちを濃くした。
やがて、影狩の猟犬が足を止めた。分かれ道はない、ただまっすぐに進むしかない、狭い廊下だ。
影狩の猟犬は足元にすんすんと鼻を近づけて、それからリオンを見上げた。
「罠があるな。避けて通れそうか?」
リオンはしゃがむと、影狩の猟犬の毛並みを撫でながら同じ目線で侵攻方向を睨む。影狩の猟犬がその頬に鼻先をくっつける。まるで会話をするように。
ここまでずっと一本道だった。罠を避けて別の廊下を通るなら、だいぶ戻らないといけない。
このままさっさと進めば良いのに、とセティは苛立ちとともに思った。
「避けて進めるみたいだな、影狩の猟犬の後についていけば大丈夫だ」
ぽんぽんと、リオンは影狩の猟犬の頭を撫でて、それから立ち上がった。
「わかった」
ソフィーはほっとしたような顔で頷いた。さっきからソフィーは、リオンとその犬ばかり見ていて、後ろからついてくるセティを気にする様子がない。セティは気に入らないも苛立ちも通り越して、腹が立ってきた。
(なんださっきから俺のことは放っておいて罠の話ばっかり。そんなのどうってことないのに。さっさと進めば良いのに)
そして、もう待つのが嫌になった。
セティはソフィーの脇を通って、リオンとその犬の脇も通り抜けて、その罠があるという廊下に踏み込んだ。
「炎の蝶」
セティの目の前に炎の翅が揺らめく。その羽ばたきが、飛んできた矢の勢いを殺し、足元に落とす。矢には炎が移り、廊下の上で燃えていた。
「セティ!?」
ソフィーが声をあげたときには、もう全部終わっていた。セティは自慢げな顔で振り向いてみせる。
「罠なんかどうってことないじゃないか」
けれど、ソフィーはセティを褒めることも賞賛することもなく、怒り出した。
「なんてことするの!」
セティはきょとんとソフィーを見上げる。
「どうしてだ? 先に進みたいんだろ? どんな罠でも俺なら大丈夫……」
「大丈夫なわけないじゃない! 今回はたまたま対処できたから良いけど、そうじゃない罠だったら大変なことになってたかもしれないのよ!?」
ソフィーの怒りはセティを心配してのことだけれど、セティにはうまく伝わっていない。セティはただ、ソフィーに認めてもらえなかった、と感じただけだった。
「俺なら……大丈夫なのに」
「大丈夫じゃないこともあるかもしれないの! 書架は危険なんだから」
セティはふてくされた顔で、うつむいた。その様子に、ソフィーも自分が声を荒げていたことに気づく。小さく溜息をついて、ソフィーはセティの顔を覗き込む。
「とにかく、無事で良かった」
セティは気まずいまま、ふいと横を向いた。
「心配なんかされなくたって、俺は平気だ」
二人のやりとりに、リオンは小さく肩をすくめた。
「探索者とも呼べないガキじゃないか」
「こ、子供扱いするな!」
「言い合いはやめて」
また口喧嘩になりそうなセティとリオンをソフィーの声が止める。
「先に進みましょう。今はとにかく影狩の猟犬の進む通りに。罠で疲弊したくないから。
セティも大人しくついてきてちょうだい」
釘を刺されて、セティはむすっとしたまま、それでもしぶしぶ頷いた。
「ソフィーはなんだってこんな物知らずのガキと一緒にいるんだ」
「リオンも煽るようなことをいちいち言わないで」
セティが反応するより先に、ソフィーがリオンを叱る。その様子に、セティはちょっとだけ気分が良くなった。
「お前もソフィーに怒られてるじゃないか」
「中身が違うだろ、ガキと一緒にするなよ」
また言い合いになりそうな二人に、ソフィーは特大の溜息をついた。
「わたしから見たらどっちもそんなに変わらないけど?」
ソフィーの言葉に、セティは不服そうな顔をして、リオンは「えぇ〜」と情けない声をあげた。