103 シロップべたべたのパンケーキ
あれから数日、ソフィーは書架に潜ろうとしなかった。
「リオンの足が治ったらね。生活費にもまだ余裕はあるし。しばらくゆっくりしてましょう」
そんなふうに言うソフィーは、時折棚の壊れた本をぼんやりと眺めている。ソフィーが大切にしている光の蝶、それからサンキエムとセティの写しも並んでいる。
ソフィーのその様子は、セティにとって気に入らないものだった。
書架に潜らないのが仕方のないことだというのはわかる。
リオンが破壊顎の大百足に挟まれた足はひどい状態だったらしい。その治療が必要だというのは、セティにだって理解できた。
けれど、それだけじゃないように、セティには見えていた。
ソフィーは、壊れてしまったサンキエムやセティの写しのことを気にしているのだ。
(サンキエムはひどいやつだったのに。写しだって……ここに本物がいるのに。ソフィーはいつまでそんな奴らに構ってるんだ)
それでも生活は穏やかに進んだ。いつもみたいにパンや牛乳を買ってきて食べて、あとはのんびりと過ごす。時々店に出かけて食べたりもした。
そんな中でソフィーが急に思い立って、パンケーキを焼いて食べることになった。一緒に買い物に行って、粉と卵と牛乳を混ぜて焼いた。セティはソフィーが元気になったのだと思って喜んだ。
テーブルに向かい合って、甘いシロップをたっぷりかける。シロップをたっぷり吸い込んだパンケーキは美味しくて、セティは気分が良くなった。
「これ、気に入った」
「良かった」
そう言って微笑んだソフィーはやっぱりどこか上の空だった。パンケーキを頬張って咀嚼するセティから不意に視線を動かして、棚に向ける。その先には壊れた本がある。
セティは少しだけ眉を寄せた。ソフィーの視線を自分に向けたくて、声を出す。
「これ、また作って食べたい」
「そうね、そうしましょう」
上の空のまま、ソフィーは頷く。視線は目の前のセティを捉えていない。
セティはパンケーキをまた一切れ頬張った。けれどさっきまで甘くて美味しいパンケーキだったのに、なんだか今はべたべたとするばかりでどうってことないように感じられてしまった。
(ソフィーの心が、どこかに飛んで行っちゃったみたいだ)
セティは気に入らない。けれど、どうして良いかわからない。わからないまま過ごして、気に入らないという気持ちだけがセティの中に積み重なっていた。
そしてその気持ちはセティの心を重くした。
(俺なんかいてもいなくても構わないみたいじゃないか)
シロップでべたべたになったパンケーキを食べ終えて、セティはフォークを皿に置く。ソフィーはぼんやりとしていて、その皿にはまだパンケーキが半分以上も残っている。
(気に入らない!)
セティは両手で立ち上がる勢いで、両手をテーブルに叩きつけた。ソフィーが目を丸くしてセティを見る。
久しぶりに、セティはソフィーと目を合わせた気がした。なんだか泣きそうな気分になって、でも泣くのは嫌だった。だから唇をぎゅっと曲げて、怒った顔をする。
ソフィーに言いたいことがいっぱいあったはずなのに、今になると何も出てこない。ようやく口を開いて出てきたのは、こんな言葉だった。
「ソフィーに俺は必要ないんだ!」
「セティ……?」
それは、セティが本当に言いたかったこととは違っていた。けれど、不思議そうな顔をするソフィーが、気に入らなかった。何もかもが気に入らなかった。
だから言葉を続けてしまった。
「ソフィーはそうやって、ずっとサンキエムや写しのことを見てたら良い!」
「え……」
セティの言葉に、ソフィーは傷ついた顔をした。その表情にセティは胸の奥がちくりと痛んだけれど、もう止まれなかった。
「俺のこといらないなら、もう出てく!」
「待って、セティ!」
ソフィーが立ち上がってセティを止めようとする。それを振り返ることもなく、セティはソフィーの家を出ていった。
書架街の|すり鉢の穴に面した通り《メインストリート》を走りながら、セティの気分はちっとも収まらなかった。
本当にしたかったことは、こんなことじゃなかった気がしていた。それでも、セティは自分でも、自分がどうしたいのかわかっていなかった。
ソフィーが悲しそうに壊れた本を扱う手つきを思い出す。上の空でぼんやりと壊れた本を眺める、その表情。時折つく溜息。痛みを堪えるような表情。
ソフィーのそんな様子を思い出すと悲しくなる。それでも泣くのは嫌で、だから今も歯を食いしばって走っていた。