102 壊れた本(ブック)たち
ソフィーが涙を拭って顔をあげる。サンキエムに乱された気持ちが、ようやく落ち着いてきた。
隣にはつまらなさそうな顔で膝を抱えているセティがいた。ソフィーが顔を覗き込むと、一瞬ほっとしたように笑顔を見せ、それからすぐに唇を尖らせてそっぽを向いた。
セティの反応に微笑んで、反対側にも目を向ける。ソフィーの様子を伺うように、リオンが首を傾けた。いつもと何も変わらない軽い調子で。何も言わないでくれるのが、ソフィーにはありがたかった。
「ありがとう、もう大丈夫」
ソフィーはリオンに頷きを返す。そして、ようやく立ち上がることができた。
空っぽの石積みの部屋に、無数の本が落ちている。そのほとんどが、割れたり砕けたり、修復が難しいほどに深く傷ついて壊れたものだった。
三人で丁寧に広い集める。粉々になって、もうどうにもならないものもあった。拾い集めることすらできない本の残骸を前に、ソフィーは小さく首を振った。諦めきれないけれど、諦めるしかない。
「もしかして、壊れた本は置いていけば、シジエムが再生の知識で修復するかしら」
割れた本を手のひらに乗せて、ソフィーは呟いた。
「どうだろうな。なんにせよ俺たちは探索者だ。壊れた本でも研究したいってやつはいて、そういうところで買い取ってもらえる。だったら拾って帰る。それで良いんじゃないか?」
「そう……そうね。わたしたちは探索者だから……」
リオンの言葉に一応は頷いて、ソフィーは割れた本を道具袋に入れた。
書架に潜って、本を手に入れ、使い、そして売る。それが探索者だ。
だから、壊れた本だってこうやって拾って帰る。それを買い取りたいという人がいるのだから。
ただそれだけのことだ。難しく考える必要はないのかもしれない。ソフィーは小さく息を吐いた。
「まあでも、サンキエムとセティの写しは、いくら壊れてたとしても売れないな。うっかりするとセティのことがバレるかもしれないし、問題が多すぎる」
リオンは自分が壊した破壊顎の大百足の本を拾い上げながら、ぼやくようにそう言った。
「……その二冊は、わたしが預かっていても構わない?」
「そりゃあ、構わないけど」
リオンが心配そうに目を細めてソフィーを見る。
自分の写しの本を拾っていたセティは、もっとあからさまにソフィーを睨んだ。
「こんなの持って帰ってどうするんだよ」
「別にどうもしないけど……」
ソフィーは困ったように首を傾けて、眉を寄せた。
「いつか、修復できるかもしれないでしょう?」
「写しなんか修復してどうするんだ。本物の俺がいるんだから、必要ないだろ」
気に入らない、という顔でセティがソフィーを見る。ソフィーはうつむいて、また足元の本を拾い上げた。
「それでも……たとえどんな本でも、壊れてるのは悲しいから」
セティはまだ何か言いたそうにしていたけれど、リオンがなだめるように肩を叩いた。「うるさい」とその手を払ってから、セティはしばらく写しの本を握りしめて考え込む。
ソフィーが拾った本を道具袋に入れて立ち上がるまで、セティは考え込んでいた。そして、ようやく決心したように顔をあげる。
立ち上がったソフィーの前に立つと、セティは唇を尖らせて握っていた本を差し出した。
「持ってたいなら持ってたら良い。でも、ソフィーには俺がいるんだからな!」
セティはソフィーを睨みあげる。ソフィーはぽかんと口を開いて、それから嬉しそうに目を細めた。セティの手から本を受け取る。
「そうね。最強のセティが一緒にいてくれるんだから……だから、わたしは大丈夫。ありがとう、セティ」
ソフィーに本を渡したセティは、ソフィーの微笑みに何を返せば良いのかわからなくて、視線をうろうろとさせた後に結局「ふん」とそっぽを向いてしまった。
ソフィーはふふっと声を出して笑った。そのせいでセティはますます唇を曲げてしまったけれど、それでもソフィーの心は随分と軽くなった。
そうやって拾い集めると、中には傷のほとんどない本もあった。たまたま傷つかないまま、サンキエムに使い捨てられたのだろう。捨てた本を意識しない、サンキエムの本への酷薄さが感じ取れるようだった。
壊れたもの、壊れてないもの、それからソフィーがこっそりと持って帰るサンキエムとセティの写し。それらを選別するときに、ソフィーはやっぱり少し悲しそうに壊れた本たちを優しく撫でた。
そうして三人は、ようやく書架を出たのだった。
第十六章 凍刃の二足翼竜(ウィヴェルヌ・フォルジェ・パル・レ・グラシエ) おわり