第8話 迫る烽火*
「騎士団長、時間をとってくれてありがとう。早速なのだけれど式典についていくつか確認させてもらいたいの」
時間がないため人を遣って返事を待つ間も惜しんだヴィオラは城内を動き回っていた。妃殿下に足を運ばせてしまったと恐縮する者たちには悪いと思ったがヴィオラはこちらの方が性に合っていた。
父と兄の練習をよく見ていたからか騎士の練習場の風景はローズウッド公爵邸を思い出し、ヴィオラは騎士団長が書類を確認している間は騎士たちの訓練を見るのが習慣になっていた。
出征日が近づくにつれて剣や槍にリボンをつけた騎士たちが増えてきた。ヴィオラの視線の先では金髪の騎士が色とりどりのリボンを何本もつけた槍を振り回していた。
「侍女たちも騒いでいるけれど騎士団の方々はとても人気者なのね」
「あの槍の騎士は伯爵家の次男です。技術もあり容姿も優れているので令嬢たちから大変人気があります」
ヴィオラの頭に部屋の引き出しにしまったままのお守りが浮かぶ。
ルキウスたちが戦場に赴くと聞いてヴィオラはお守りを四つ作った。幼馴染や妹分としてお守りを贈ることはおかしくないと言い訳をして。
――― あのリボンには「あなたの帰る家になりたい」という意味もあるのよ。
あなたの帰る家になりたい。それを聞いたときヴィオラはルキウスにリボンを贈れなくなった。
他の三人に贈ったのと同じ意味だと思うことはできた。しかしそれはまるで幼い頃から抱いていたルキウスへの恋心を全否定するようで忍びなく、それを認めて夫のいる自分がリボンを贈ることは不誠実だと思えた。
ノビリスとヴィオラの夫婦生活は上手くいっているとは言い難い。
ノビリスは「視察」と称してあちこちに恋人である男爵令嬢マリアンを連れ歩いている。いまは南にある享楽の国アラシャーランド、何の視察をしているのやらとヴィオラの口元に冷笑が浮かぶ。
そんなノビリスに対して自分だけが誠実である必要はないのではないかとヴィオラは思うが、不誠実には抵抗があるのだから性格上仕方がないとヴィオラは思っている。
*** side ルキウス
「殿下、どうかご無事で」
「ありがとうございます」
「殿下のために何かできればいいのに……何もできない無力な自分が情けないですわ」
「気持ちだけいただきますよ」
群がってくる令嬢たちに微笑みを向けながらもルキウスは空しい思いを抱えていた。彼女たちは「何かできればいい」と言うだけで何もしようとはしない。考えない。
出来ることがないわけではない。例えばいま彼女たちが着ているドレスを売ったお金を寄付してくれればそれで物資を買えて戦地に向かう者たちの生存率が少しでも上がる。
「さぞご不安だと思います。殿下の荒ぶる心を鎮めるため今夜は私と共に……」
「失礼、他に挨拶しなければいけない方々がいるので」
にこりと音が聞こえそうな笑顔を顔に貼り付けたままルキウスは令嬢たちの囲いから抜け出す。心配しつつも第一王子妃の座を虎視眈々と狙う彼女たちとの時間はルキウスにとって無駄でしかなかった。
この夜会の目的が戦場に行く兵士を労う為と称していなければルキウスも来やしなかった。
戦争は金がかかり、貴族からの寄付が多いほど戦場での指揮が楽になる。それが分かっているからルキウスは笑う。戦場に行く兵士を労うためと謳っているくせに将軍クラスしかいないこの場に嫌気がさしても。
夜会会場では軍服よりも煌びやかな夜会服を着た者が目立ち、机に並ぶ戦場では夢でしか見られない数々の料理は誰の手も付けられず冷めていく。翌朝の廃棄物となるのは明白だった。
「王妃派も必死ですね」
侍従兼護衛として傍にいるデクスの嫌気を隠さない囁きにルキウスは苦笑する。
戦争を止めるためにルキウスが出征すると反戦を掲げる国王派が発表してから、自分たちも兵士たちを応援していると言わんばかりに王妃派は集会や夜会を開いている。攻撃に転じようと主張する王妃派こそルキウスに並べる者を戦場に送るべきだという指摘には耳を塞いでいる。
ルキウスに並べる者。ルキウスと王太子の位を争っているノビリスを指している。
「ノビリスはどうしている?」
「人を送りアラシャーランドに滞在していた殿下を連れ戻したとまでは聞いていますが」
デクスの言葉に会場の騒めきが被さる。
「なんだ?」
「白い服のものが集まっているので、王妃派の重鎮の御登場でしょう」
太陽のようなエレスティア宮のイメージから王妃派は淡い色の服を着て、月のようなセレンディア宮のイメージから国王派は濃い色の服を着て夜会に参加するのが最近のこの国の社交界。
この夜会は王妃派の者が開いたはずだが、欠席が相次ぎ圧倒的に濃い色のほうが多い。白い夜会服を着た若者たちはどこか気まずそうで、付き合いか家柄かは分からないが気が進まなくてもこの場に来ざるをえなかった彼らを気の毒だとルキウスは同情した。
「ノビリス?」
パッと人垣が割れて目に入ったノビリスの姿にルキウスは驚き、咄嗟にノビリスがエスコートする女性を見る。
「彼女じゃない……あの女は誰だ?」
「ゴールドフォグ男爵家のマリアン嬢です」
なぜ知っているのかという目をデクスに向ければ、知らない人のほうが少ないですという目で返された。ヴィオラの夫婦生活を知りたくなくて極力彼らの噂を聞かないようにしていたことを認める。
「成程、彼女が例の愛人か」
「恋人ですよ。姫様が第二王子殿下との結婚を望んだため、泣く泣く愛妾にするしかない恋人です」
「馬鹿な筋書きを。それなら今回愛人をエスコートしているのは聖女は中立でいないとならないからか?」
「そんなところでしょうね」
それなら一人で参加しろとルキウスは思ったが、ノビリスがヴィオラをエスコートしていなければ別に構わないと思っている自分の狡さと無情さに呆れもした。夫の不実をヴィオラが悲しんでいるかもしれないのに。