第6話 すれ違う夜*
「これで二人の結婚は認められました」
高位神官の朗々とした宣言に被さる様に拍手が響き、祭壇の前で微笑み合うノビリスとヴィオラに次々と祝いの言葉がかけられる。
「私はこれで失礼します」
王族として異父弟の結婚式に出席したものの王妃派の視線は痛い。それを理由にルキウスは席を立つ。後ろからずっとローズウッド公爵の視線を感じていたがルキウスは気づかないことにした。
「ヴィーが義妹になった、か。笑えないなあ」
セレンディア宮の四阿で乾いた笑い声をあげたルキウスは礼服のジャケットの内側に忍ばせておいた携帯用ボトルを取り出す。下町の酒場が「手っ取り早く酔っぱらいたいならこれ」と勧めてきた強いだけで味は考慮しなかった酒を喉に流し込む。
「まっず」
カッと焼けるような熱さが喉を下り、その刺激のせいだと目尻のの涙を拭った。
「ルキ」
「……妹の結婚式を兄貴が抜けてきたら駄目だろ」
「異母弟の結婚式を抜けてきたお前に言われたくないな。それ、俺にもくれ」
そう言ってマクシムに携帯ボトルを奪われたがルキウスは直ぐに奪い返した。酒が惜しいわけではない。マクシムはまだ怪我が癒えていないと聞いているからだ。
「うっかり落馬したらしいな……無茶をし過ぎだ」
ルキウスの言葉にマクシムは胸に手を当てて顔を顰める。どうやら痛み止めが切れてきたらしいと察したルキウスは近くに控えていた侍女シニスに合図を送る。
「首飾りのこと、ありがとな」
ルキウスの言葉にマクシムは首を横に振る。
「あれくらいしか俺にできることはないから」
ルキウスは今日ヴィオラの首元で輝いていた青い石の首飾りを思い出す。「花嫁が青いものを身につけると幸せになれる」という伝説になぞらえてルキウスが誂えたそれはマクシムの手を借りてヴィオラのもとに届いたのだった。
「お前に渡したいものがあるんだ」
「俺に?」
余計な世話かもしれないけれどと前置かれて差し出されたのはビロードで出来た手のひらサイズの立方体の箱。ルキウスの口が引きつる。
「いくらヴィーに似ているといってもこれは……」
「安心しろ、俺は女が好きだ。とりあえず受け取って開けてみてくれ」
渋々を隠さず受け取った箱を開けると中に入っていたのはルキウスが想像する指輪ではなく懐中時計だった。
「いま何時だ?」
マクシムの問いに首を傾げながら懐中時計の蓋を開けたルキウスは目を見開く。文字盤に映るのはヴィオラの姿絵、蓋の内側を見るとあの青い首飾りをつけたヴィオラが昔の笑顔を浮かべていた。
「うちのお抱え絵師に作らせた。作り物だがあれよりはいいと思ってな」
今日ルキウスが見たヴィオラは美しかったがその微笑みは人形のようだった。
「ルキ、出征すると聞いた。本気か?」
「隣国との国境戦は『誰かさん』の思惑で泥沼化。戦場となった土地では民が大勢亡くなり、生き延びた者たちも逃げ場所がなく流民となっている。誰かが陣頭指揮をとらなければいけない、だから行く」
「お前でなくてもいいはずだ。そもそも『誰かさん』が最も死んでほしいと思っているのはお前だ。頼むよ、もうこれ以上お前を……」
「確かに俺が行くことで奴らを分散させることも目的としてはある。でもそれだけじゃないんだ。少し、距離をとりたい。覚悟していたことだったけれど……思った以上につらい」
本意ではなかったとはいえ彼女の手を振り払ったのは自分で、振り払ったその手で彼女を異母弟のほうに押したのも自分だとルキウスにも分かっている。全て自分で決めたことだと自分を納得させようとするのに、今日のような日は心の嫌だという叫びをルキウスは抑えられなかった。
夫となり我が物顔で彼女の腰に触れる異母弟に掴みかかりたくなる。政略的なものでも友好な関係を築こうとすることは何も悪くないのに、自分ではない男に微笑みかける彼女が憎らしくなる。
「……ルキ、死ぬなよ」
「お前もな……」
***
「いま、何と?」
王族の婚姻の儀は初夜の確認をもって終わりとなる。閨事のあとを確認されることは恥ずかしいが、かつてはベッドの脇で監視されていたと聞けばそれよりはマシとヴィオラは納得することにした。
エレスティア宮の侍女の手を借りてヴィオラは夜の準備を整えて夫婦の寝室にきたヴィオラだったが、夫となったノリビスの第一声に驚かされた。
「この結婚は形だけだ」
学生のときから付き合っている恋人がいること、この結婚は祖父と母が勝手に整えたもので自分は望んでなどいなかったなど一方的ともいえるノリビスの言葉をヴィオラは聞き続けた。
そんなヴィオラの頭の中に一人、式の間ずっと自分に嘲るような視線を向けていた令嬢が浮かぶ。
後ろのほうだったので男爵家か子爵家。ノリビスは決して認められない女性を恋人にしているのだとヴィオラは思った。
「殿下はその方を愛妾としてお迎えになるのですか?」
「彼女は素晴らしい女性だが男爵令嬢だ……それしかないだろう」
憎々し気に自分を睨むノビリスにヴィオラは溜め息を吐く。子爵家以下の恋人を妾としか迎え入れるしかできないようにしたのはヴィオラではないからだ。ルキウスの母を「子爵令嬢だから」と言う理由で王妃にすることを最も反対していたのがシャドウモーン侯爵。ノリビスは彼の孫、まさか孫の彼がその理論を覆すわけにはいかない。
「私の子を産むのは彼女だけだ。実質妻と変わらない」
大違いだと思ったが黙っていることにした。
ノビリスによると形だけヴィオラを正妃として娶り、その後その恋人を愛妾として迎え入れる。父王がやったのと同じこと。違うのは正妃であるヴィオラとは子を作るつもりはないということ。
「離縁をするつもりはない、安心しろ」
この安心しろを言葉通り受け取る気はヴィオラにはないが、現状を考えれば当分は離縁できないだろうとヴィオラは踏んでいる。婚約者になってから知ったが王妃は政務にはほぼノータッチ、ヴィオラが王子妃候補となるが早いか山のように王妃代理の仕事が舞い込んできた。
「何か言いたいことはないのか?」
「特には」
ヴィオラの回答にノビリスの眉が片方上がる。反論がないことを訝しく思っている様子にヴィオラはおかしくなる。反論されるようなことをしなければいいのに、と。
ノビリスの言葉は一方的なものだが、ヴィオラはやや呆れはするものの特に反対する気持ちはなかった。形だけの結婚に安堵する自分を胸の奥、あの夜砕けたルキウスへの恋心をしまった箱に押し戻す。
特に言いたいことがあるわけではないことは事実。子ができないことについては今後何か言われるだろうが、まだ十六歳という年齢から時間はあるとヴィオラは思っている。
ローズウッド公爵家は公爵自身がルキウス第一王子の後ろ盾になることで国王派の筆頭だったがヴィオラの結婚で中立派になった。ローズウッド公爵家を抑えるためのヴィオラを王妃派が排除するはずはない。さらにヴィオラ自身が女性王族の仕事を掌握しておけばよりヴィオラの身は安全だ。
「そうだった」
ノビリスは懐から小刀を出しヴィオラに渡す。
「敷布に血をつけろ」
「分かりました」
ヴィオラは小刀を手に取り指の先を切り肌の上に血を浮かせる。そして偽装を終えると、詠唱をして傷を治した。
「随分と聞き分けがいいな。何が狙いだ」
「特には……一言申し上げさせていただくならば、殿下同様に私もこの結婚を望んでなどいませんでした」
こちらが加害者で自分が被害者のような表現はやめてもらいたい。その意味を込めて一言を言い終えたヴィオラはソファに向かい横になる。
「まさか、寝るのか?」
「お互い言いたいことは言ったではありませんか」
今日一日で限界を超えた疲れに負けてヴィオラの瞼が降り始める。ギシッとベッドが軋む音がして、それがヴィオラにあの夜を思い出させたときバサッとヴィオラの体に毛布が投げつけられた。
「ありがとうございます」
「風邪をひかれたら厄介だからな」
ノビリスのそれは苦々しさを隠さない声だったが、思ったよりも優しい人なのかもしれないとヴィオラは思った。