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第4話 知らない顔の男*

「お嬢様、お帰りなさいませ。旦那様がお待ちです」

「分かったわ。すぐに準備して向かうとお伝えして」


 ヴィオラは部屋に戻りアマリアの手を借りて手早く室内着に着替えると、早足で父の書斎に向かった。


 ヴィオラは招待状をルキウスに渡せたことを報告し、デビュタントを機にルキウスに自分との婚約を申し出てくれないかと頼むつもりだった。


「お父様」

「……久し振りだな」


 疲れている様子の父に婚約の話は後日にしようかとヴィオラは思った。こんなに疲れた様子を隠さない父をヴィオラは初めて見た。


「お父様、大丈夫ですか? 体調が悪ければお休みになられてはいかがですか?」

「……大丈夫だ。まだ……色々やることがあるから……」


 そう言う父の違和感にヴィオラは気づいた。いつもなら必ず父はヴィオラを見て、優しい目をして話をしてくれるのに今は目をそらしている。


「お父様、何があったのですか?」


 ヴィオラの言葉に父は体を強張らせる。何かあった、それもよくないことが起きたとヴィオラは直感した。


「お父様」


 そう言って詰め寄ったヴィオラは父の腕に抱きしめられ。普段も自分を抱きしめるときは優しい腕だが今日の父の腕はいつも以上に、まるで壊れ物でも扱うように触れるように抱きしめている。


「お前とノビリス殿下の婚約が決まった。デビュタントのときに発表する」


 ヴィオラは耳を疑った。


 家の中でヴィオラはルキウスへの好意を隠していなかった。デビュタントのドレスをルキウスの瞳の色に合わせてクリーム色にすると言ったときに二人とも反対しなかったし、この十年を振り返れば寂しそうな顔はされるかもしれないが婚約話を進めてくれるとヴィオラは思っていた。


「なんで……」


 ヴィオラが搾り出せた声は理由を問うものだった。


「殿下の瞳の色に合わせてドレスは淡いブルーに変えなさい。話は以上だ」


 理由になっていない言葉にヴィオラの目から涙が零れる。零れる涙は止まらないし唇も震えるが、それ以上問い詰めるどころか「嫌だ」も言えない。思ったより自分は貴族令嬢なのだとヴィオラは他人事のように感じた。



「私はまだ仕事があるから」


 そう言って部屋を出ていく父の背を見送り、一人になった部屋でヴィオラは閉まった扉をぼんやりと見つめていた。



 ***



 部屋に小さく響いたノックの音にヴィオラが顔を上げると満月に光る空が見えて、朦朧とした頭で今が夜だと理解した。


 ノビリスとの婚約話を聞いてどのくらいの時が経ったかヴィオラにはもう分からない。デビュタントの夜会の準備はもう最終段階、ヴィオラの手を借りなくても自動的に進んでいる。唯一のアクシデントと言えるドレスの件も公爵家にきたシャドウモーン侯爵家御用達の仕立て屋に「全てお任せ」で片付いた。


 あの日以来ヴィオラは部屋の外に出ていない。デビュタント前なので婚約の話は公になっていないが相手が王子だからその話は広まっているらしく、ヴィオラの身の安全のためだと説明を受けたがヴィオラは信じていなかった。


 ヴィオラが逃げないようにするため。そのため協力者になり得そうな者、侍女は真っ先にアマリアから他の者に代えられた。



 喉の渇きに気づきヴィオラは水差しを探したが見当たらなかった。部屋の外にいる者に頼むかと思って扉を開けたらそこには誰もいなかった。


 今しかない。ヴィオラがそう思うが早いか、ヴィオラは部屋の中に取って返しクローゼットから全身を覆う外套を出す。外出着に着替える時間が惜しかった。


 夜明け前だから人は疎。息をひそめて使用人が少なさそうな通路を選んで進み、勝手口から外に出る。防犯用の庭の灯りに照らされ窓ガラスに映る自分の姿にヴィオラは苦笑する。


 いつもルキウスに会うときは服装や髪形に気を使った。最後になるかもしれない今の姿は洗いざらしのワンピースにボサボサの髪でみっともない。顔も化粧気がない上に泣き腫らしていて実にみっともない。


 転移ゲートの前で一息吐く。


 逃げようなどと思っていない。ただ、ただのヴィオラでルキウス会える今のうちに伝えたいことがヴィオラにはあった。


「セレンディア宮」


 いつもは心躍る音がヴィオラの胸を絞めつけた。




「当然だけれど……静かね」


 ローズウッド公爵邸でさえ動いている人は少ない時間帯。使用人が少ないセレンディア宮なら尚更かと思いながらヴィオラは庭を進む。ルキウスはいまも変わらず王妃や王妃派から命を狙われているため使用人は最低限に、買収などを警戒して不定期に入れ替えている。


 衝動的にここにきたが建物を出ると入るとではわけが違う。いつも出入りする正面ホールの扉は当然鍵がかかっているだろう。どうやって入るかヴィオラが悩んでいると、庭に光の筋が伸びていた。それを追うと勝手口が薄く開きっぱなしだった。


「不用心ね。ルキウス様に言って使用人の入れ替えを……」


 これはもう自分が気にすることではなくなる。その事実がヴィオラの喉を絞めつけた。



「いけない、クセでここに来てしまったわ」


 勝手口から忍び込んだくせに、辿り着いたのはここに来るたびに招かれていたリビングだった。明け方のこの時間にルキウスがいるわけがなく、この時間にいるだろう私室がある方角を見てヴィオラは躊躇した。ルキウスはこの宮に自由に出入りする許可をヴィオラに与えたが、彼の私室に入ることだけは許さなかったからだ。


 どうしようかとヴィオラが悩んでいるとルキウスの声が聞こえた。


 起きているのかもしれない。いや、侵入者を警戒している屋敷だ。自分が入り込んだことに誰かが気づいてルキウスに報告にいった可能性のほうが早い。何かあったと判断すればローズウッドの騎士たちが来る。そして父も。


「急がなくちゃ……」


 ヴィオラは廊下を早足で進み、入るなと言われたから滅多に来ることがなかった部屋の前に来て足を止めた。ルキウスの部屋の扉は開いていて、扉のすぐそばに女性の靴が落ちていた。


 どうしてこんなところに女性の靴が?


 止めたほうがいいと頭の中で響く声を無視して扉の前に立ち、視線を部屋の中に向ける。奥に向かって転々と、マント、ドレス、そしてドレスに絡まるように男性用のシャツが落ちていた。


 落ちている布の塊はどんどん小さくなり、奥にあるベッドに向かっていた。



「……嘘」


 小さなヴィオラの呟きは静かな部屋に響いた。ベッドが微かに揺れ、軋む音と共に体を起こしたルキウスの姿にヴィオラは息を呑む。腰周辺は絡まったシーツで隠れていたがルキウスが何も身につけていないのは一目瞭然だったし、ルキウスの体の向こうには金色の長い髪が見えた。


「ヴィー? どうしたんだ?」

「あ……」


 他人の閨の最中に紛れ込んだ気まずさ。それがルキウスであることのショック。


「約束なんてしていたか……いや、そもそももう昼なのか?」


 思考がぐちゃぐちゃで言葉が出ないヴィオラとは対照的に「夢中になっていて気づかなかった」と言うルキウスは平然としていた。自分に見られて気まずさもないその様子にヴィオラは鈍器でガツンと殴られた気分だった。


「誰……ですか?」


 無意識に口からそんな言葉が飛び出て、そんなことを聞いてどうするのかとヴィオラは自分を哂う。


「彼女? ……ヴィーももう直ぐデビュタントだからいいか。夜会で気が合ってなんとなくの流れでこうなっただけ。別に珍しいことじゃないよ」


「その女性と……結婚、するのですか?」


 ヴィオラの耳にルキウスの吹き出す音が聞こえ、続いた笑い声にゾッとする。


「やっぱり君はまだ子どもだな。箱入りのお嬢様じゃあ仕方がないか。世の中には俺みたいな男もいるってことを知っておいたほうがいいと思うけど、マクシムも公爵も過保護だから。さて、説明したところで……ヴィオラ嬢」


 突き放すような言葉にとっさにヴィオラは気まずさを忘れてルキウスを見ると、いままで一度も自分には向けられなかった『冷徹な第一王子』の目をしたルキウスと視線が絡まる。


「出ていってくれ」

「はい。不作法をお許しください」


 目の奥が痛み出したことに気づいたヴィオラは顔を伏せ、そのままルキウスに背中を向けて退室しようとしたが戸口を潜ったところで「そう言えば」とルキウスに声をかけられた。


「何か急ぎの用事があったのか?」


 平然とした表情で首を傾げるルキウスを動揺させてやりたい。そんな気持ちがヴィオラの中で沸き上がる。


「私と第二王子殿下との婚約が決まりました」

「ああ、そうなのか。あとで祝いの品を届けさせる」


 おめでとうと言うルキウスがヴィオラにはぼやけて見えた。

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