8. 事故の正体
その夜、俺たちはコルトスの宿を拠点に、それぞれの情報を持ち寄った。
軍は遠征の際、多くの一般兵を野営に、将官を宿に泊めるが、コルトスほどの大都市であれば決まった宿がある。それを避ければ、野宿するより軍に見つかりづらい。
まずは、最もこういう調査に慣れていそうなケイロンから話を聞いた。俺が軍に属していた頃も、もしかすると影に紛れて追われていたのかと思うとゾッとしない。
「ケイロンは、軍を直接追ったんだったな」
「ああ。大当たりだ。奴らの狙いも、明日からの動きも分かった」
「本当か?」
「変に嘘つかねぇって」
流石というべきか、見るからに隠密行動に優れた格好のケイロンは、決定的な情報を持ち込んでくれた。優秀な密偵も、味方であればこれほど心強いものはない。
軍の目標は、事前の予測と同じものだった。
「やはり、目的は鉱山だった。鉱山を再開させ、宝珠の採掘を推し進めるつもりらしい」
「そうだろうな。で、明日からの動きというのは?」
「早速軍を動かすつもりのようだ。コルトスに派遣したほとんどの戦力を鉱山に入れようとしてる」
「戦力?」
人員ではなく、戦力。戦力とは、単に軍に所属する兵士の事を表すのではなく、武器や兵站を含めた戦闘機能の事だ。訪れる火の気配に、心なしか体が熱る。
「噂は本当だった……と、軍は認識してる」
「噂って、軍に化け物が出るっていう話だよね? 私も、その話は聞いたよ」
「コレーも?」
特に調査を任せなかったコレーが、何故か情報を持ち帰っていた。聖者を騙ることができる彼女とはいえ、ケイロンを上回る情報が得られたとは考えられないが……
「うん。不可視の攻撃を仕掛けてくる謎の生命体が鉱山に住み着いてるから、それを倒しに行くんだって」
「不可視の攻撃だと? そうなのか、ケイロン」
「……いや、そこまでは分からなかったな。確かな情報なのか?」
「聖者の子から聞いた。印も見せてもらったから、間違いないよ。名前は、アルテミス、だったかな」
「は?」
「え?」
意外な名前だった。ケイロンも俺と声を揃えて驚いた。
アルテミス……オリンポスの一員で、俺の、“元”仲間だ。来ているのか、この街に。
「軍で魔導師をしてるって言ってたけど、二人とも、知り合い?」
「あ、ああ。コレー、愚者だとバレなくてよかったな。あいつ、軍で最強の魔導師って呼ばれてるぐらいだぞ」
「ええ!? あの歳で? 私より下だよね?」
「そうだな。小さい頃から、軍に入るよう親に言われて育ったらしい」
アルテミスの事を話すと、コレーは憐れむような表情を見せた。
従軍することと、教会で修験することは、聖者になる一番の近道だから、子供をそう教育する家庭は少なくない。だが、特別発育の優れない女子を軍属にするのには、やはり同情を誘うものだ。
ケイロンが難しい顔でコレーに尋ねた。
「今、アルテミスがどこにいるか分かるか」
「えっと、深夜には鉱山を攻めるって言ってたから、もしかしたらそこにいるかも……」
「なんだと!?」
「おい!」
「行くの?」
ケイロンはコレーの話を最後まで聞く事なく、窓を開いて外へ飛び出そうとした。窓の縁に足をかけ、振り返って俺に言った。
「お前たちはついて来なくていい。あと、ハイドラ! お前はアルテミスには会うな! いいか!?」
「……分かってる。俺も、会いたくはない」
「行ってくる」
俺の返事を聞き、ケイロンは夜の街へ消えていった。昼頃に覚えた衝動は、今は落ち着いている。できる限り、アルテミスのことは考えないようにしなければ……。
しかし、今夜には攻撃を仕掛けるとは、軍は焦っているのか。それとも、すでに攻撃の準備は済ませていて、あとは王都の戦力を待つだけだったか。
どちらにせよ、今できるのはケイロンの報告を待つことだけだ。
開かれた窓から侵入した海風がカーテンを揺らし、少し肌寒い。すぐに閉めたいが、ケイロンや矢文等の指令を円滑に受け入れるために開いておく必要がある。
宿の給仕が運んできた夜食のピザを口にしながら、備え付けのブランケットを椅子に座るコレーの肩にかけた。どうやらノックの後一秒と待たずに給仕が入室する宿のようなので、礼装は念のため隠しておく。
コレーは「ありがとう」と笑いかけ、摘んだブランケットの両端を前で交差させて包まった。痛々しかった傷は全てきれいに消え去っており、その笑顔は青少年のように爽やかでありながらも美しかった。
体が暖かくなったのか、コレーは大きく口を開けてあくびをした。
「くぁ……」
「部屋に戻るか?」
「ううん。まだ大丈夫。正直よく分かってないけど、戦況によってはすぐに動かないといけないでしょ?」
「……ああ。だが、無理はするなよ」
「うん」
コレーは察しがいい。それでいて、世の道理から外れた俺に協力してくれる。命を救ったから? それとも、俺について来ないとどうしようもないからか。
紅茶を熱そうにちびちびと飲むコレーは、眠気覚ましの雑談を持ちかけてきた。
「ねえ、ハイドラ。不可視の攻撃って、魔法かな?」
「目に見えない魔法か。聞いたことも見たこともないな」
「そっか。そんな攻撃をしてくる化け物に勝てるのかな」
「アルテミスがいれば、勝てなくても負けることはないだろうが」
存外、血生臭い話だった。
不可視の攻撃、というものは、王国が保有するあらゆる戦史に登場しない。戦史に存在しない戦いもあるが、その一端を担ってきた教会の魔導書にもその魔法は記されていなかった。
「事故、というのが気になる。実は、当時鉱夫だった男から話を聞けたんだが……」
「どんな事故だったの?」
「……分からなかった、らしい」
「え? 事故の現場にいなかったとか?」
「いや、事故に居合わせた人だ」
廃墟の地下で、髭の男はもてる限りの情報を示してくれた。
*
岩壁に囲われた暗い地下室は、まさしく坑道のようだった。戦場に立ち続けた兵士が平和に慣れず戦場に戻りたがる話を聞くが、彼もその類だろうか。
このような狭い場所で起こった事故だ、情報の不透明さは、生存者の少なさによるものだと推測できた。
「何の前触れもなかった……。その日は普段通り、岩壁をツルハシで掘り進めていた。そしたらいきなり、坑道の奥の奴が自分の首を絞めながら倒れたんだ」
男は首を絞める動きをした。悲壮な表情、それが倒れた鉱夫仲間の顔か、それを見た男の顔かは推し量るほかない。
「坑道の奥から、何かの気配がした。『やべえ』って思って、すぐに逃げた。隣で一緒に台車に土砂を積む作業をしてたマーフィって奴と、とにかく出口に向かって走ったんだ。俺たちより奥にいた奴らは、みんな倒れちまった」
「お前とマーフィが、ぎりぎり生き残ったのか」
「いいや、マーフィは……まだ、坑道で、俺を……待ってる」
「…………」
「親友だった。毎日のように酒場で肩組んで歌ってた」
男は天井を見上げた。何かを思い出す際のよくある仕草だ。同時に、目から液体を溢さない効果もある。辛い過去だろうが、彼が王国に不信を抱いているのなら、なおさら話してもらわなければならない。
「で? その気配は」
「気配は、まずは臭いだった。腐った獣みたいなくっせぇ臭いだった。それが、奥から迫ってきてた。あとは、風だな。臭いのする風……化け物の呼吸だって、直感だが、とにかくそう思った。脱出できた連中も、みんな口を揃えて地中に潜む化け物だって言った」
「それが、化け物の噂、だな」
合点がいった。ケイロンの言っていた噂は、この男たちが世に流した、あくまでも憶測に過ぎない不確かなものだった。
概ね噂や作り話というのは、神話に登場する神の威光が所持する馬や船、黄金の数で表されるように、考案者の想像の域を脱しない。愚者や虚骸、御伽噺の怪物のように、自らの力が及ばない圧倒的な存在を、鉱夫は『化け物』と認識した、そうするしか能がなかったのだ。
「誰も化け物の姿は見てないんだよな」
「ああ。今となっちゃ、本当に化け物がいるかも分からねぇが。振り返る余裕もなかった。風に追いつかれて、やべえ臭いがして、それからは『息もしちゃだめだ』って、本能で感じてよ……」
「マーフィはどこで?」
「……事故が起こった坑道は、主坑道から枝分かれしたうちの一本だったんだがな、当然、化け物の臭いは主坑道まで迫ってた。他の枝には事故を知らねぇ奴が何十人といた、主坑道が飲まれれば、そいつらは死ぬ。マーフィは主坑道に出る前に、後ろを振り返って……化け物に立ち向かった。俺たちを先に逃してな」
男は悲しそうに、しかし勇敢な友を称えるように逃走劇を語った。
断ずるには早計かもしれない……が、マーフィきっと死んだのだろう。人の力で防げるはずもない。
喉に入り込み、人を殺す。気配は臭い、そして風、つまり目には見えなかったのだ。
そう、それこそが……
*
「──不可視の攻撃。コレー、正体がおおよそ分かった。それは……」
その時、窓から人が飛び込んできた。勢いよく入室した体は窓の縁に引っかかってくるんと宙で一回転し、それでも見事な受け身を階下に響かせた。
息を切らし焦っている、反面、どこか安心しているようにも見えた。
「ハァ……ハァ……」
「早いな、ケイロ……」
「負けた」
「は?」
「坑道に入った先鋒隊が為す術もなく倒れ、攻撃は中断。今は負傷者の治療と鉱山の注視に留まっている」
「負けた、というよりは、完敗を未然に防いだ、というところか」
「あのまま突撃してたら、壊滅だった。不可視の攻撃とやらは、フルアーマーでも防げないらしい」
ケイロンはそれだけ告げると、再び窓から飛び出そうとした。
「今日は寝ていいぞ。しばらくは、事態が動くことはなさそうだ」
「わかった」
黒い衣装が闇へ溶け込むのを見届けると、窓を閉めた。宝珠の街灯に照らされた夜と思えない喧騒が消え、カーテンも閉めるとようやく夜らしい空間になった。遮光幕の備わる常灯の宝珠が、部屋に唯一の灯りだ。
もっとも、これより暗い空間にいたせいで感覚はずれているが。
「本当に、不可視の攻撃が……。それで、その正体って?」
「確証はないが、おそらくあれは──」
フルアーマーをもすり抜ける、目に見えない敵。
「ガスだ。地中に埋まってた有毒な気体が、鉱山に溢れたんだ」
「が、ガス?」
ガス、という概念自体コレーにはないらしく、不思議そうに首をかしげられた。確かに科学者や教育を受けた貴族でもなければ、今目の前に気体というものが存在する事を認識すらしないのだろう。
そしてこれは、当時の鉱夫たちにも同じことが言える。
「空気に毒が混じってるってことだ。毒キノコを口で食べるように、そのガスがある場所で息をすると、死ぬ」
「死……」
「確証はないから、明日ケイロンと鉱山に行ってみるつもりだ。他にも確かめたいことがあるしな」
「だ、大丈夫なの? ハイドラが死んじゃったら……」
カップを持つ右手が重くなる。コレーの両手が、俺を引き留めるように腕を掴んでいた。別に今すぐ向かうわけではないのだが。
確かに愚者となったコレーにとって、俺は数少ない生命線の一つなのだろう。かといって、ここで軍の計画を阻害しなくては結局寿命を縮めることになりかねない。
「安心してくれ。それに、コレーにもやってほしいことがある」
「私に?」
「ああ。コレーの協力が必要だ」