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愚者ハイドラの復讐  作者: タタクラリ
二章 虚なる化け物
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5. 心を失った化け物

 東の空は次第に白んでゆく。後ろからも前からもあくびの音が聞こえ、俺もそれに続いた。

 しばらく馬を走らせていると、前方に街の灯りが見えた。王都に近い街だが、混乱が伝播している様子はない。そもそも伝令がまだの可能性もあるが。

 街の外れの木立に馬を繋ぐ。改めて馬の装備を見ると、鞍帯の隣のベルトに剣が下がっていた。ケイロンの私物だろうが、彼の乗っていた馬の帯にも同様の剣があった。


「これ、貰っていいか」

「ああ、好きにしろ。どうせ俺は使わねぇからな」


 安価な剣だ。得意な片刃刀ではなく両刃で、斬る物としては適切ではないが、様々な運用に耐えうる耐久性は優秀。丸腰と何かあるとでは大きく違うから、こんな物でもありがたい。

 馬を降りたのは、追手に気取られないよう秘密裏に街へ行くため。ケイロンの持ち合わせで、必要な物を買い揃えてくれるようだ。


「何かいるものある? あんまり金ねぇけど」

「俺は別に。コレーには、騎乗用のズボンがいるだろ」

「うん。上も破かれちゃったから欲しいかも」

「よっしゃ。じゃ、コレーには上下の服と……灼印が光っても隠せるよう太腿に巻いとく遮光布だな。あとハイドラ、お前には左腕用の籠手を買ってやるよ。その包帯じゃ隠せないだろ」

「ほんとか? 悪いな」

「年上の財布に遠慮してんなって」


 ケイロンはカッコつけたことを言って、そこまで膨らんでいない硬貨袋と共に街に繰り出した。俺は王国内ではそこそこ顔が知られているし、コレーの礼服姿もここで切るべきカードではないから、買い物はケイロン単独だ。

 街道に沿って商店や旅宿が立ち並ぶこの街は『チュテン』と呼ばれ、街道を使って王都とこれより先の街とを行き来する商人や旅人のための宿場町が中心となって栄えた街だった……はずだが、今は寂れた宿が目立つ。街道をさらに進んだ先にある『コルトス』という港町の産業が凋落した煽りを受け、二つの大都市の中間点として栄えた反面独自の産業が無いチュテンもまた難航を強いられているのだ。


「こんな時間に店はやってるの?」

「ああ。この先のコルトスって街で、常に明かりを灯せる鉱石が掘れたんだ。昔の話らしいけどな。そのおかげで、コルトスとその周りの街では、開店時間を少しでも伸ばして客を取り合う文化が根付いたんだと」

「ふーん。都会ってすごいんだね」


 皮肉は感じない、素直に驚いた反応だった。

 コレーに聖者を演じてもらうためには、彼女にある程度の教養がなければならない。農村の出というわりには、まだ学のある方に思えるが。


「そうだ、ハイドラは、どこで生まれたの?」

「……いや、すまないが、わからない。物心ついたときには、もう王都の孤児院にいた」

「あ……そうなんだ。……ごめんね、変なこと聞いて」

「いいよ、別に。ただ、聖者に対しては、その質問は控えた方がいい」

「どうして?」

「気にする奴が多いんだ。特に田舎出身の奴は、聖者になってようやく都会のいけすかない奴らを見下し返せる、だなんて考えるのまでいるから。一応、覚えておいてくれ」

「……わかった」




 二人で話していると、そこを誰かが通りかかった。そいつらは真夜中に街の外れにいる男女を怪しみ、声をかけてきた。


「君たち、こんなところで何を……」

「いや、待て。この格好、王都の礼服では」

「なに、ではあなた方は」


 そこにいたのは、大きな直方体の木箱を持ち運ぶ二人の男だった。白いマントを羽織り、腰には儀礼剣を帯びている。聖者が公務中にするような格好だが、どこか着慣れていない印象を受けた。腰帯には、青い火の灯るガラスのランプが付いていた。

 彼らはそれぞれ両手で箱の角を持っているので胸に手こそ添えられていないが丁寧な敬礼をした。


「ただいま聖誕の儀を執り行うための生贄を移送中でして」

「聖誕の儀だと? ならお前たちは聖者なのか」

「いえ、我々は街の衛兵です! 本来は聖者の仕事ですが、今は王都で執り行われる聖誕の儀に参列するため、この街におらず……」


 彼らは恐縮そうに聖者であることを否定し、罰が悪そうに代役の言い訳をした。

 聖誕の儀への参加は、聖者にしか認められていない。これは、聖者になりたいばかりに、生贄となる聖者を処刑しようとするのを阻止するためだ。

 わざわざ聖者の真似をしてまで儀式をしようとしていた所を見つかってしまったわけだ。一般人なら騙し通せたかもしれないが、運の悪いことに見つけたのは並の聖者より教会の仕組みに詳しい愚者だった。


「し、しかし、聖者を待っている余裕はなかったのです!」

「どういうことだ」


 ところが、彼らは食い下がった。言い訳と断ずるのには不適切な、なにか特別な理由と強い信念を感じる。


「この棺に入った聖者殿の誓約が『家族を守ること』のようなのですが、唯一彼女に残った肉親である息子さんが、闘病の末に力尽きようとしているのです。そして先程彼女自身が、自分を生贄にしろ、と」

「自分から生贄に?」

「はい。息子さんがなくなる前に、と。……なぜ見送ってやらないのかは分かりませんが、鬼気迫った様子で、短刀を自らの胸に突きつけていたので、要求を飲んだところです」


 木箱の厚い蓋の奥に憐れみの目を向ける男の話を聞いた俺は、すぐに馬具に下がった鞘から剣を抜いた。

 生贄の聖者は、優秀な御人だったらしい。息子が死に、『家族を守りたい』という誓約が果たせなくなった時に自分がどうなるかを思料し、命を投げ打つ判断を下したのだ。


「ねぇ、ハイドラ。誓約が意味を成さなくなって……これって!」

「ああ、化け物に……そうなる前に始末を」

「ま、待ってください! 祭壇はまだ先です!」


 剣を垂直にして木箱に突き刺そうとする俺を、あくまでも儀式のために殺そうとしている衛兵は止めようとする。彼らはなぜ聖者が自死を選んだのかを知らない、知る由もないのだ。


「彼女は、腰に下げてあるランプの青い火で棺ごと焼けと。聖者殿、私たちには儀式の仕方が分かりませんが、彼女の言ったことは嘘だと……」

「……だめだ、木箱から離れろ!!」俺は咄嗟に叫んだ。


 手遅れ──木箱にピシッとヒビが入った、その瞬間、彼女の息子が息絶えたのだと分かった。

 衛兵が俺を止めていなければ……いや、力不足な剣では、そんな時間もなかったろう。現に、俺は棺の中にいる化け物を一太刀で葬る自信がなく、コレーの礼服の袖を掴んで大きく退いた。


「何……あれ……」


 木箱は内側から黒い爪に引き裂かれ、その爪の根本にはワニのような光沢の鱗があった。膨張した体に木箱は耐えられず、バキバキという音を立てて崩れ去り、化け物の異容を露わにした。

 全身を鎧の如き翠鱗で覆い尽くし、堅固な顎と三叉の爪を携えたその化け物は──


「リザードマン……」

「ほんとに、化け物になるんだ……」

「正式には『虚骸』っていう。感情を失って、無差別に人間を攻撃し始める」


 人型のトカゲは、虚骸とならぬよう生贄に志願した殊勝な聖者の面影もなく、邪悪な爪を振り抜いた。衛兵は間一髪で半孤の軌跡から逃れた。


「リザードマン!? 助け……聖者殿、助けてください!」

「どうするの?」

「どうにかするしかない」


 右腕が振り上げられた隙を突き、腋に一撃を浴びせる。攻撃したことで、リザードマンの標的は俺になってくれた。リザードマンは宵闇を切り裂くような咆哮で威嚇した。


「来い」

「ハイドラ、大丈夫なの!?」

「ああ。この程度御せないようじゃ、ヘルクリーズは倒せない」


 リザードマンは、虚骸の中ではありふれた存在だ。対処には四人以上の聖者が推奨されているが、それでもかなり少ない方。一体で国防危機に匹敵するような虚骸がおり、巨大な獅子や、翼の生えた竜と化した事例も歴史書に記されている。


「コレー、宝珠で治癒の魔法は使えるな」

「う、うん。でも、この宝珠に込められてるお医者さんの継続治癒の魔法はどうなるの?」

「その大きさの宝珠なら複数の魔法を併用できる。治療は任せたぞ」


 コレーに指示を出し、リザードマンに斬りかかった。

 攻撃目標は、鱗の隙間、もしくは口や目など鱗に覆われていない部分。それ以外に剣は通らない。さらに厄介なのが、虚骸は聖者ではなくなっているから灼印が反応しないことだ。


「グオォォォォ!!」

「ハァ!!」


 首を狙い刺突する。鱗の隙間に見事剣を刺し入れることに成功したが、致命傷にはならなかった。

 爪による反撃、これを後ろに飛び退いて躱す。リザードマンは腕をブンブンと振るい、破茶滅茶に空間を切り裂いた。

 その間に、リザードマンは持ち前の自然治癒力で傷口を回復させていく。この種類の虚骸は継戦能力に優れ、打撃力が不足していると非常に危険な敵となる。あまり長く戦ってはいられない。


「目だな。おい、お前ら。そこの焚き火から燃えている木を取って構えておけ」


 衛兵に指示を出した。何が起こっているか分からないだろうが、街を守るために何をするべきかは明白だろう。衛兵は指示通り、パチパチと火花を散らす薪を熱さに負けず手に取った。いい根性をしている。


「俺がまず両目を抉る。合図を出したら目に炎を押し付けろ!」

「はい!」「はっ!」


 いい返事だ。度胸はあるようだから、あとは彼らの実行力に期待するだけだ。

 剣を上段に構え、接近する。縦に一刀を加えるフリをし、鈍重で高慢なカウンターを誘うと、爪の射程外で溜めを作る。攻撃が当たらないと判断したリザードマンは、カウンターの一撃を取りやめ、俺の次の動作に警戒してバックジャンプで距離を取ろうとした。

 ──ここだ。硬い鱗という重りを全身に纏ったバックジャンプは、限りなく軽装の俺には恰好の隙だった。空中で右目を、着地の硬直で左目を斬った。


「今だ!」


 視界を失ったリザードマンに向かって、二人の衛兵が駆け寄る。傷を焼いてしまい、自然治癒を阻止するのだ。炎を撃ち出せる魔導師がいれば話が早かったのだが、仕方がない。


「グオッ、オオオ!!」

「大人しくしやがれ!」


 勇気ある突撃により、二本の燃えたぎる薪がリザードマンの両目を燃やす。もう奴の世界が黒一色から戻ることはないだろう。


「いいぞ! いったん引……」

「う、うあぁ!」


 リザードマンは何も見えないだろうが、周囲に味方がいないことは理解していた。もはや考えることを放棄して、全てを破壊せんという勢いで辺りを爪で引っ掻き続けた。その無差別攻撃に、衛兵の一人が巻き込まれてしまった。


「コレー! あいつに治癒魔法を!」

「もうやってる!」


 指示を出す前に、コレーは魔法を使用していた。流石、愚者にすら同情し、『愚者を癒したい』とまで願った彼女だ。誓約の対象は愚者だが、誰かを癒そうという感情はそれに留まらないらしい。

 倒れた衛兵は頭から血を流しているが、表情は穏やかに見える。治癒魔法が効いているのなら、生きているということだ。

 今のような事故こそあるが、目さえ潰してしまえば勝ちも同然。接近戦に挑む必要もない。


「その腰のランプ、貸してくれ」

「この青い火のランプですか。教会の事務所から勝手に持ち出したものなのですが……」

「問題ない」


 ガラスのランプを受け取り、台座のネジを緩めて蓋を開く。中で灯る青い火は、ヘルクリーズの扱う青い浄化の炎と同質の、魔法を本質とした炎だ。そして、炎の核となっているのが──


「聖者殿、それは」

「宝珠だ」


 一センチにも満たない小さな宝珠。それは青い火の魔法を記憶し、発し続けている。

 コルトス周辺で常に夜を明るくしている街灯も全て極小さな宝珠が使用され、同じ理屈の魔法で光を与えられているのだ。立ち並ぶ街灯に宝珠が使用されているのは、つまり街中に武器が置いてあるのと同じことで、犯罪等に悪用される懸念こそあるが、今のところ出力の微弱さから大きな問題には発展していない。


「ハイドラ、魔法も使えるの?」

「一応、教えてもらったことはある。強い魔法じゃないが」


 豆粒のような宝珠を包むように握り、自分の魔力を封入する。局所的に突風を起こす魔法を、青い炎に上書きするように宝珠に記憶させ、リザードマンの口の中へ放り込んだ。

 この魔法の風は、斬れる。肌を撫でる風が刃物になるようなものだ。


「グ……グォ……オォォ」


 舌、食道、胃袋をズタズタに引き裂きながら、小さな宝珠はリザードマンの体を落ちていく。

 距離を取って怪我人の安全を確保しつつ、まるで踊るように悶えるリザードマンを眺めていると、奴は口に肘関節まで腕を突っ込んだ体勢でついに動かなくなった。その後、宝珠に込めた魔力が底をつくまでリザードマンの死骸は痙攣し続け、その体は完全に生物としての機能を喪失した。


「あれが……虚骸……」

「治療しようなんて思うなよ、コレー。もう感情がないんだ、虚骸には。殺してやるのが一番なんだ」

「……そんな」


 悲しみを帯びた表情のコレーは、衛兵に対する治癒魔法の出力を高めていった。


 *


 リザードマンを倒した後、衛兵のはからいによって無料で宿を三部屋用意してくれた。この日の出来事を口外しないよう求めると、二つ返事で快諾したうえで、俺たちがこの街を訪れたこと秘匿してくれるという。

 礼服のおかげで、衛兵たちが俺とコレーを聖者だと勘違いした。俺用に仕立てられたはずなのにコレーの方が似合っていてサイズも丁度良いことには不満を感じないでもないが、ともかく上手いこといった。警戒されるまでは、使える手段だ。


「……いろいろあったな」


 今日……いや、日の出の時間は過ぎているから昨日のことだ。俺の人生を大いに狂わせたあの地下聖堂からまだ一日も経っていない。

 左腕の包帯を外し、愚者の灼印を頭上に掲げて眺める。決して、いい眺めではない。本来なら、同じ場所かは知らないが、体のどこかに聖者の光印が現れていたはずなのだ。ヘルクリーズの野郎に勝つために、何がなんでも欲しかった、力の印が。


「光印は手に入らなかった。……でも、灼印がある。この力があれば、ヘルクリーズにも遅れを取らないはずだ。絶対に、あいつを……」


 ケイロンから貰った剣と、手首までを覆うチェーンの籠手。買ってもらった立場で言いづらいが、これでは不足だ。

 装備も、国を相手取るのに人員も足りない。コレー、ケイロン……片手の指を半分折るまでもない。そもそも、二人が王国相手に喧嘩を売ろうとしている俺に着いてくる理由もない。


「どうしようか、これから……」


 頭が回らなくなってきた。酷い疲れが、堤防を乗り越えた濁流のように俺の全身を襲う。倦怠感に耐えかねてベッドに体を預けると、いよいよ意識が朦朧とし始める。

 寝ている場合か……そんな意思も、脳内で白く溶けていく。

 今は寝よう、次に起きたら未来の俺がいろいろ考えるだろう……。

 ともすれば愚者の誓約に勝るとも劣らない、人間の意識を捻じ曲げるその名を、眠気という。

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