42話 後の祭り
教会の鐘が鳴り終えたのはだいぶ前のことだ。
コルセア・シティの夜は明るい。
特に酒場やいかがわしい店が集まる花園ストリートは、夜を迎えてより賑やかなものとなる。
一方で様々なギルドが集まる大熊域は暗く、静かなものだ。
日没と同時に職人系列のギルドは終業している。
『定時退勤』『人より多く働く美徳』『時は金なり』明かりが消えた欺瞞の広告が、無人の通りを見下ろしていた。
だが、今宵の冒険者ギルド――に併設された煮売り屋『どうのつるぎ亭』は負けず劣らず賑やかであった。
何人もの男女が酒に料理にどんちゃん騒ぎをしていた。
もちろん場所が場所なだけに全員が冒険者だ。
そしてその中心、テーブルの上にたって水差しごと口を付けて酒を飲んでいるのはアニタである。かなり酒を飲んでいるらしく、頬は真っ赤で若干目の焦点が合っていない。
『どうのつるぎ亭』の天井には申し訳ない程度の横断幕が貼られ、下手くそな字でこう書かれていた。
『Bランク昇格祭』
誰の?
エリオットとアニタのパーティーのためのだ。
アニタが魔力回復用の葉巻を咥え、先端に火を灯す。
「そこでアタシがクソ野郎どものケツに向けて火炎球よ」
と言いたかったようだが、やや呂律が回っていない。
もっとも他の冒険者たち――以前からの知り合いや今日が初めましての図々しい輩も含めて、まともな状態の者はいない。
一方で、エリオットは少し離れて窓際で1人座っていた。
馬鹿騒ぎを眺めながら、ちびりちびりと酒を飲んでいた。
まるで一歩引いたかのよう、話の輪に入ろうともしない。
「おーい、エリオット。どーしたんだよ、しけた面しやがって」
両手に葡萄酒入りのグラスを持ったアニタが絡んできた。
テンションが上がりまくりの上機嫌で、いかにも絡み酒といった感じだ。
グラスの中の葡萄酒は、質の悪さを誤魔化す生姜が入っていないお高いものだ。
エリオットはちらりとアニタに視線を向けると、
「別に。いつもと同じだよ」
グラスに戻して一口舐めるように飲んだ。
「レレーナのことだろ?」
エリオットは無言だ。
だが、表情というものは隠し切れないもので、口よりも物を言う。
「当たりって顔だな」
アニタはグラスをエリオットの前に置いた。
そして一言、
「忘れな」
椅子を引いてエリオットの隣に座る。
「あのエルフの件で突っかかってみろ。今度こそ暗黒巨大商業組合と、クロムウェルと喧嘩だ。そうなるとアタシたちに勝ち目はない。お前もわかってんだろ?」
アニタは諭すように言う。
「だからあのエルフのことは忘れて、アタシらはアタシらなりの生活をすればいいんだよ。だから祝うの。カンパイ」
強引にグラス同士をぶつける。
アニタはぐいっと、一飲みでグラスを空にした。
いい飲みっぷりだ。
エリオットはグラスを掴みはしたものの、波打つ液面を見るばかりで口を付けようとしない。
「スパイなんて碌な死に方しねーんだ。あいつだって重々承知してたさ」
「ああ」
「頼むぞ。アタシの背中を守るのはあんたなんだから」
「ああ」
「顔上げなよ。良い男が台無しだぜ」
「……そうか?」
「うん。そうだよ」
「ありがと」
やがて、
「悪ぃ。俺、もう帰るわ」
エリオットが立ち上がった。
アニタは一瞬呆気にとられ、すぐさまグラスを叩きつけるように置いた。
「はぁ!? お前、ふざけんなよ! アタシらのパーティーなんだぜ!」
信じられないと言わんばかりに柳眉を逆立てる。
だがエリオットの気持ちは変わらにみたいだ。
椅子の背に掛けた外套を羽織り、さっさと帰り支度を済ませた。
「けっ! 好きにしろ! 辛気臭いのがいなくてせいせいするっての!」
エリオットは背中を向けたまま、手を振り煮売り屋を出て行く。
――カランコロン。
ドアが閉まった。
「帰ってくんじゃねぇぞ!」
アニタは親の仇が如くドアを睨みつける。
しかし、一向に開かないドアにしびれを切らし、勢いよく椅子に座りなおした。
エリオットが口を付けなかったグラスを乱暴に取ると、一気に中身を呷る。
「あーあ。帰っちゃったね」
女の冒険者が1人、アニタを見かねてか寄ってきた。
アニタはふんと鼻を鳴らし、
「マジで帰りやがった!クソ野郎が!」
「フラれたみたいたけど、あんたどうすんの? お開きにする?」
アニタの眼光が一際獰猛なものとなる。不機嫌極まりない様子だ。
「るっせー! フラれてねえよ! あと、今日はとことん飲む!」
◆
極彩色の魔法光の看板がギラギラと輝き、ホログラム魔法の魚が悠然と泳ぐ。
夜も深いというのに汚泥めいた人の群れがゆったりと流れていく。
一方で、ストリートを横切るエリオットの表情は暗い。
雑踏を掻き分け家に帰れば、エリオットはそのままベッドの上に倒れ込んだ。
『ぬしよ――』
空中に波紋が浮かび、タマが現れた。
横たわるエリオットを見下ろして声を掛ける
だが、彼女の声かけにエリオットは答えない。それどころか、うつ伏せのままピクリとも動かない。
木窓越しにストリートの騒音が聞こえてくる。
ため息をつく音がやけに大きく思えた。
『悩むのは結構。じゃがな、失ったものは取り戻せん。ぬしが気を付けるべきことは、より大事なものを失わないようにすることじゃ』
いつものタマらしくない真面目腐った口調だ。
エリオットは身じろぎ一つしない。
タマはしばし待ち、
『余からの忠告じゃ。有難く心の中で反芻するがよい。いいな?』
「わかってる」
それは、そよ風にすらかき消されてしまいそうなほど、か細い声だった。
『ぬしよ。小娘が言いおったことは正しい。大きな組織を相手するには、まだまだぬしの力では及ばぬ。仇討ちは止めておくがいい。大して……親しくもない依頼人じゃ』
「わかってる。わかってるさ」
エリオットはようやく顔を上げた。
生気のない、リビングデッドめいた顔だ。
「ただ、気持ちの整理ができないだけで……」
しかし、彼の瞳には、ほんの僅かではあるが燻る激情が浮かんでいた。
「わかってるさ……」
エリオットの視線の先、片方だけの蝶々の耳飾りが枕元に置かれていた。




