4話 魔剣《魂喰らい》
「GRRRRRRR!」
ケルベロスが吠えた。
エリオットはハッと気を取り戻すと、間近まで迫ったケルベロスではなく、漆黒の剣を見た。
今のは夢かそれとも――
突如として漆黒の剣がドロリと融けた。
ギョッとするエリオット。
タールめいた黒い汚泥は、まるで意思があるかのようにエリオットの左腕へと伸び、包み込む!
「な、なんだ」
エリオットが驚き戸惑う中、あっという間に彼の左腕は変貌を遂げていた。
新月の夜空を切り取ったかのような黒の外骨格。
エッジが効いた禍々しく攻撃的な前腕。
鋭利なナイフめいた指。
肘から先の左腕が、人外のそれとなっていた。
ケルベロスのことすら忘れてエリオットは左手を見た。
「なんじゃこりゃああああああああッ!」
驚きの声が深淵全体に響き渡る。
「生体融合!? つーかこれ、完全に人間やめてるじゃねえか!」
ナイフめいた指をガチャガチャと鳴らしながら、手を握ったり開いたり。
「え、嘘だろおい! 手がデカすぎて茶碗も持てないんですけど! あ、でもパンを切るのは便利そう」
『GRRRRRRR!』
風切り音と共にケルベロスが前腕を振るった。
「うわっ!」
瞬間――エリオットの身体に電撃めいた衝撃が迸った。
体中の神経と筋肉に何かが干渉してきたような、得体のしれない感覚だ。
それを認識すると同時、エリオットは地面を蹴った。
考えるよりも先に身体が動く。
エリオットはおよそ人には出せぬ速度で、ケルベロスの脇を抜けた。
そして跳躍!
黒い閃光となったエリオットがケルベロスと交差する。
「お前に食われてやる俺じゃねええええッ!」
すれ違いざまに左腕を一閃。
『GR!』
ケルベロスの巨大な3つの首が、立て続けに飛んだ。
黒い血飛沫がシャワーめいて降り注ぐ。
首を全て失ったケルベロスの巨体が、どうっと横倒しになった。
エリオットは膝に手を付き荒い呼吸を繰り返す。
「ごぶっ!」
今の動きに身体が耐えられなかったのか、血反吐が地面を赤く濡らした。
「やったぞ……やってやったぞ」
口元の血を拭い、大きく深呼吸。
びくん――と左腕が跳ねた。
『よくやったぞ。ぬしよ』
いきなり頭の中に声が響いた。
黒い少女と同じ声、左腕と一体となった漆黒の剣が語りかけてくる。
エリオットは礼の1つでも言ってやろうと息を整え、
『そして、おはよう。新たな余よ。その身体は――余のものじゃ!』
突如として左腕が膨張!
外骨格の隙間から吹き出した黒いタールめいた汚泥が、エリオットの全身を包み込む。
『ぐわっはっはっはっ! 愚か者め! 脆弱な生き物が余を使うなど、片腹痛し!』
少女の勝ち誇った笑い声が響く。
『その身体、余が有効活用してやろうではないかッ!』
しかし!
黒いタールめいた汚泥を、内側から一条の眩い光が貫いた!
『ほぇ、なんじゃ?』
溢れ出る光によって、エリオットを包んでいた黒いタールめいた汚泥が引き裂かれていく。
中から現れたのは幾何学的な魔法陣。
魔法陣は黒いタールめいた汚泥を包み込むように広がり、左腕へと押し戻していく。
『馬鹿な、身体への干渉を遮る護法結界じゃと!? なぜそんなものを身体に取り込んでおる!?』
「当たり前だろ。生体融合時の侵入対抗魔法(Intrusion Countermeasures Enchantment)施術は、基本中の基本だ。さもないとモンスターに身体を乗っ取られるからな。サイコ野郎にはなりたくねえし」
『ぐぬぬ……貴様ァ!』
エリオットがギロリと左腕を睨みつけた。
黒いタールめいた汚泥に包まれた影響だろうか。
彼の真っ白だった髪の毛は、新月の夜めいて黒く染まっている。
「甘かったな。俺の左腕と両足はモンスターと融合している。左腕にまとわりついたのが運の尽きだな。クソ野郎が!」
エリオットは落ちていた赤ん坊の頭ほどの石を拾い上げた。
『いや待て、その石はなんじゃ! 話し合おうぞ! ぬしよ、話せばわかる!』
「オーケーオーケー! いったんお前を黙らせてから話し合おうな!」
『あ、ちょ、ま――』
聞く耳を持たず。
エリオットは石っころを思いっきり左腕に叩きつけた。
CRAAAAAAASH!!!
『ぐぇ』
蛙が潰れたような声を最後に、魔法陣の輝きが薄らいでいく、
身体を乗っ取ろうとしていた左腕の暴走が収まった証拠だ。
「まったく。何がどうなってやがる」
エリオットは自分の奇怪な左腕を見ながら、深々とため息をついた。
どうやらあの黒い剣はただの剣ではないらしい。
おそらく剣の形をしたモンスターの一種。
「そういや、あの組合員は伝説の武具とか言っていたよな……」
――ヤバい代物と融合してしまった。
しかもクリニックでの適切な処置ではないから、異形の代物になってしまった。
腕を触手や武器腕にしている同業者を戦闘民族の阿呆と笑っていたが、まさか自分もそちら側になってしまうとは。
『余からすれば、元の身体を簡単に捨てるおぬしの思考回路が異常なんじゃが』
「うぉわっ!」
エリオットの目前に、たんこぶを膨らませた半透明の少女の姿が浮かび上がった。
見た目年齢は10代前半から半ばほど。
まるでホログラム魔法めいた姿は明らかに実体のそれではない。
「なんだお前は!?」
『くそぅ、余も油断しておった。まさか自分の身体を他者と融合させる、頭のおかしい生き物がおるとは……』
少女は恨めしそうにエリオットを見る。
『おかげでおぬしの左腕に居候する羽目になった。どうしてくれるのじゃ!』
「いや、知らねーよ」
エリオットは再び赤ん坊の頭ほどの石を拾い上げる。
『石は止めてくりゃれ。お願いじゃ』
途端にしおらしくなる少女。
仕方がないのでエリオットは石を捨てた。
「古風なしゃべり方をするからどんなババアかと思えば」
少女はにっこりと笑みを浮かべると、
『何を言うか。余は、おぬしが望む姿になって現れるのだぞ』
「……は?」
『余は、おぬしの趣味嗜好に沿った姿で現れるぞ』