27話 通りすがりの冒険者
とうの昔に教会の鐘は鳴り終えていた。
ダークブルーの夜空に散らかった白星が見える頃、酒場『自由界』から1人の男が出てきた。
着古した外套を羽織った、戦士めいた若い男だ。
目を引くのは生体融合によりモンスターと一体化した腕である。
しかも、人の姿を捨てて、性能に特化したそれだ。
夜空よりも黒い外骨格に覆われた鉤爪は、倫理観を一切感じさせない。
薄暗い路地を男は歩く。
魔法光看板の赤や緑の光が喧しいストリートが見えた。
『ジョッキそのままビール半額』『八角錠。怪しくない』『融合素材セール特価』といった欺瞞と誇大広告の看板が、客引きの笛の音色と共に所狭しと掲げられている。
――と、背中を丸めた浮浪者めいた男が前から歩いて来た。
足が悪いのか左足を引きずるようにして歩いている。
男は特に気にする素振りもなく歩く。
ただ、すれ違った際に浮浪者がよろけ、軽く肩が当たった。
「すみません……」
浮浪者が羽虫のような声で謝った――その時だった。
右手が目も止まらぬ速さで男の外套へと伸びたのである。
この男、浮浪者などではない。
浮浪者を隠れ蓑に通行人から財布を抜き取る、手練れのシーフなのだ!
外套の内ポケットに入った財布にシーフの指先が触れ――男がシーフの右腕を捻り上げた!
「なんのつもりだ?」
男がやけにフラットな声音で訊いた。
右腕一本で捻り上げている。おそるべき業前だ!
「なんのつもりだと聞いている」
「痛いッ!」
「同業者相手に仕事をするのは、ギルドのご法度だぞ」
男が鋭い視線でシーフの顔を覗き込んだ。
そこには目玉が零れそうなほど見開いた、溢れんばかりの驚き。
「同業者!? そんな左腕のくせに!?」
男――エリオットがシーフの抗議を鼻で笑い捨てた。
「関係あるか。そもそもお前、俺が自由界から出てくるところを見ただろ?堅気なわけがあるか、バカめ」
ゴキン、と浮浪者の肩から嫌な音が聞こえた。
「ギルドの人間に聞かれたら、仕置きで関節を外されたと言えよ。さもないともっと碌でもないことになるからな」
シーフは肩を押さえながら涙目で去っていく。
エリオットはその背を一瞥すると、肩をすくめて再び歩きだす。
虚空が波打った。
『ぬしは厳しいのぅ』
エリオットの斜め上、何もない空間から少女が現れた。
彼の左腕と同色の髪を垂らした、齢十余の美しい少女だ。
ただ、彼女は齢十余の少女ではなく、そもそも人でもない。
なぜならエリオット以外に、彼女の姿は見えないのだから。
「厳しい? 何を馬鹿な」
エリオットは不満そうに言う。
「同業者への仕事は盗賊ギルドのご法度。俺が無罪放免で逃がしても、明日になったら指がなくなってるさ」
魔剣《魂喰らい》が擬人化した姿であるタマは、くすくすと口角を上げている。
『ならぬしは優しいのぅ……とでも褒めてあげたほうがよかったかの?』
「お前に褒められるとそれはそれでむず痒い」
『むぅ。注文の多い奴じゃ』
エリオットは路地を抜けた。
途端に極彩色の光のシャワーがエリオットに降り注ぐ。
ホログラム魔法の寸胴めいた猫が、建物の屋上で手を招いている。
毒々しい光が空へと昇り、弾けて散った。
眩しそうに目を細めるエリオットは、おもむろに外套に両手を突っ込む。
右ポケットの中にはエン硬貨が数枚。
組合を通さない臨時の依頼で得たあぶく銭だ。
自由界で使い切れなかった硬貨の感触を弄びながら、エリオットは道の両脇に並ぶ店を眺める。
いかにもな怪しい店ばかりだ。
タマはエリオットの耳に口を寄せて囁く。
『そういう店に行くのは勘弁してくりゃれ』
「誰が行くかよ」
あしらうように言って帰路に付く。
その道中であった。
ふと前を向けば、ちょうど魔法光看板の光が当たらない位置に数人のゴロツキがいた。
待ちぼうけしているわけではなさそうだ。
誰かをぐるりと囲んでいる。
『んあ。女じゃな』
囲まれているのは帽子を目深にかぶった女だ。
パンツスタイルのせいか、すらりと長い四肢が印象的である。
『おうおう。絡まれておるの。容姿がいい女と悪漢。なんともありがちな光景でありんす』
「お前……異世界の剣だよな?」
『そうじゃが、それがどうした?』
「いや……いい。うん」
タマが言う通りコルセア・シティでは日常茶飯事だ。
だから通り過ぎる通行人は皆見て見ぬふりをする。
巻き込まれたくないというのもあるし、ごろつきの恨みを買うのも嫌う。
衛兵に通報するのがいいところか。
『余は武器ゆえに闘争を求める』
「物騒だな」
『話は最後まで聞きんす。』
「あー……つまり?」
『ぬしの身体を明け渡してくれれば、余は喜んでゴミ掃除をするんじゃが?』
「バカ」
エリオットはため息をつくとポケットから手を抜いた。
魔法光看板の赤い光を吸って、異形の左腕が黒く輝く。
エリオットは早足で、ゴロツキたちの方へと向かう。
「そこまでにするんだな」
石畳を叩くブーツの音がややオーバー気味に響いた。
「なんだてめぇ……!」
忌々しそうに振り向き、ゴロツキ達はギョッとした。
視線は全てエリオットの左腕に向けられている。
「な、なんだよ……文句あるのか?」
言葉尻が震えている。
そりゃそうだ。違法改造丸出しの武器腕を前にして、ビビるなと言うほうが無理である。
「文句があるから声を掛けたんだ。そこの女性が困ってそうだからな」
「チッ。俺らだって依頼でやってんだよ!」
「依頼?」
ゴロツキたちの背後で、女が何やら怪しげな身振りをした。
澄んだブルーの視線が交わった。
一瞬だけ見えた耳は長く、蝶々の耳飾りが見えた。
「エルフ!?」
エリオットの脳裏に警鐘が響くその瞬間――
視界を蛍光色の蝶々が埋め尽くした。
それを最後にエリオットの意識は途絶えた。
目を覚ました時、外套のポケットからエン硬貨は無くなっていた。




