2話 身体改造魔法
一体どれだけの時間が過ぎたのだろうか。
目が覚めた瞬間、エリオットの身体中に激痛が走った。
「ぐあ……あッ……!」
堪えきれない呻き声が漏れる。
エリオットは飛びそうになる意識を必死に引き留めながら、上体を起こした。
「ファック……生きてるぞ。俺はまだ生きてるぞ……」
恨めしい声が、深淵の奥底に響く。
エリオットは生きていた。
全身ずぶ濡れであることと、遠くで微かに聞こえる水の音から、彼に起こった奇跡がどういうものか推察できる。
「とはいえ……奇跡は続かないみたいだな」
エリオットは自分の身体を見て自嘲した。
チェインメイルをぶち抜いて、腹部と胸に深々と突き刺さった矢。
矢傷から未だに血が溢れ出ている。
一目見ただけでわかる。
致命傷だ。
次に左腕を見た。
「ファック!」
金属製の籠手が射抜かれている。
左腕はピクリとも動かない。
「あの馬鹿どもめ……ミスリル矢を使ったな……」
エリオットは罵りながら布切れを噛んだ。
そして左腕の矢を掴むと、一思いに引き抜く。
「くぁすぇsでrfgえty!」
続いて胸と腹部の矢を抜き、さらに乱暴な手つきで籠手を外した。
肘から先の服も引き千切る。
途端にエリオットの顔が、苦虫を数匹まとめて嚙み潰したようになる。
「はぁ……はぁ……まったく、いい腕してやがる」
エリオットの左腕には、入れ墨めいた魔法陣が描かれていた。
矢傷はそのちょうど中心にある。まるで狙いすましたかのように。
「こりゃ、いよいよ左腕はぶっ壊れてるな……」
エリオットは魔法陣を強制解除する。
すると、左前腕がスリッドに沿って跳ね上がるように展開。
左腕の内側から円筒型のカートリッジが3本排出された。
うち2本は大破している。
エリオットは舌打ちをして、忌々しそうに投げ捨てる。
では残るもう1本は?
「ははっ。日頃の行いの賜物だな」
無傷!
このカートリッジは、いわゆる市販の魔法道具の一種である。
触媒であるカートリッジには、様々な魔法が封されている。
これを用いることで、魔法使いでなくても魔法を発動できるのだ。
エリオットが左腕の中に仕込んでいたカートリッジには、中級回復魔法が封されている。
生き延びるための最後の手段である。
「ぞれをよごぜッ!」
突然の声にエリオットの肩が跳ねた。おかげで矢傷に電撃的痛みが走る。
エリオットは何事かと周囲を見渡し、
「は!? なんでお前がここにいるんだ!」
声の主はエリオットより3メートルほど離れたところにいた。
その顔には見覚えがある。
というか、ついさっきの出来事なので忘れるわけがない。
パーティーリーダーのトルーマンが、血反吐に塗れて這いつくばっていた。
「よごぜッ!」
彼にはエリオットのような奇跡は起こらなかったらしい。
夥しい血の海の中、両手足があらぬ方向を向いている。
それでも生きていられるのは、身体改造してある換装手足のおかげか。
「……くぞう……組合どもめ……」
びくんびくんと痙攣するトルーマン。
エリオットはさらに驚いた。
深淵の底にいたのはトルーマンだけでない。
射手のジョンや魔法使いのメアリも、周囲に飛び散っていた。
「俺を射抜いた後で『栄光の道』に何が起こったかは知らないけど……」
「回復をよごせッ!」
トルーマンの右目から魔法陣が投影される。
「攻撃魔法の論理詠唱!?お 前、目も改造してるのかよ!」
エリオットはすぐさま右腕を向けた。
軋む音と共に籠手がスライドし、中から隠し弓が覗く。
トルーマンが目を見開いた。
「おい待でぞれは――」
「これでも食らえ、ファッキンクソ野郎が!」
毒矢が放たれ、トルーマンの額を射抜いた。
「あばばばばば!」
口から泡を吹いて、激しく痙攣するトルーマン。
エリオット自作の、階層主の動きすら止める速効性の毒矢である。
あっという間にトルーマンは事切れた。
「ざまぁ見やがれ。人を裏切ったらどうなるか、あの世で後悔してろ」
エリオットは中指を立て……痛みに身体を捩った。
カートリッジを身体に当て、中級回復魔法を発動させる。
細胞が活性化しているのか、傷口が熱くなる。
傷の具合からして、中級回復魔法程度では応急処置レベルだろう。
完全回復には程遠い。
「でも、俺は生きている」
エリオットは右手で腿を張った。
「俺は生きている。ははっ。俺は生きているぞ……くそっ……くそぅ……」
エリオットは涙を拭う。
辛うじて生きている。
しかし、問題はここからだ。
仲間に裏切られ、地の底でたった1人。
戦闘能力の低いシーフ1人で、最も深き迷宮から脱出しなければならない。
痛みが引く代わりに、現実が押し寄せてくる。
「くそぅ……」
エリオットは膝を抱えると、しばしの間嗚咽した。
エリオット・ミルズは改造人間である。
改造人間とは生体融合という身体改造魔法により、モンスターと自分の身体の一部を融合させ、人以上の力を得た人間のことである。
ある者は魔法触媒を埋め込み、詠唱破棄による論理詠唱を行う。
ある者はモンスターの強靭な脚力を得て、常人の3倍の速度で走る。
もちろん融合は不可逆的で、元の身体には戻せない。
しかし、冒険者たちはそれでも体の改造を止めない。
なぜならば、人を止めない限り、人を超える力を持つモンスターには敵わないからだ。