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52話 出発前夜


 レッドベリルの採掘は、クリフ様にもろもろの準備があるというので三日後になった。


 その間は私たちものんびりと過ごして、山越えの疲れを癒した。ハイレット様もますます体調がいいみたいで、レッドベリルの採掘は問題なさそうだ。


 危険な場所にあるのいうので油断ばできないけれど、レア素材を自ら探しにいくということにワクワクしていた。


「アレス、明日はいよいよレッドベリルを探しにいくのね」

「ああ、だから今夜は抱きしめるだけで我慢する」

「私を気遣ってくれたのね、ありがとう」


 そうして早めに眠りにつこうと、アレスの腕の中で目を閉じた。

 ……だけど興奮が冷めなくて眠気がやってこない。試しに目を開けるとむしろ朝よりもぱっちりとして、ソワソワと落ち着かない。


 アレスはもう静かな寝息を立てている。誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで起きていたから、相当疲れが溜まっていたのだ。愛しい夫の寝顔にそっと触れて、労わるように頬を撫でた。


 それにしても眠れない。まるで結婚式の前日みたいだわ。

 アレスと挙げた結婚式は本当に素晴らしかった。私の新しい人生に踏み出した場所で、アレスと愛を誓い合い、ふたりの人生を歩み始めることができた。


 二回目の結婚式の前日も嬉しすぎて眠れなかったと思い出す。そういえばあの時は散歩して気分転換したのだった。外の空気でも吸えば落ち着くかもしれない。


 深く眠っているアレスを起こすのは忍びなくて、そっとひとりでベッドから抜け出した。




 宿屋には広い中庭があり、薔薇のアーチや小さな噴水、ベンチが数カ所に置かれている。手入れされた庭を散歩して戻ればちょうどいいかもしれない。誰に会うかわからないので、簡易なワンピースに着替えて中庭に下りた。


 空を見上げると、上弦の月が西の山間近くに浮かんでいる。あまり遅くなりすぎないようにしようと、月光に照らされた花々を眺めながら噴水へと向かって歩いた。


 レッドベリルを見つけたらすぐにラクテウスに戻ろう。


 しばらくはゆっくりとしたい。ラクテウスで感じるゆったりとした時間が恋しい。

 いつもみたいにアレスの作った朝食を食べて、魔道具の開発をして、疲れたらお茶を飲んで、誰にも邪魔されずアレスと穏やかな時間を過ごしたい。


 そんなことを考えていたら、噴水が視界に入ってきた。月の光を受けてキラキラと反射する噴水が、さらさらと音を立てている。水のカーテンから噴水の向こう側が透けて見えるが、そこに誰かいるようだ。


 話し声が聞こえたけれど、私の存在に気が付いたのか会話は止まってしまった。

 宿泊客の逢瀬の邪魔をしてしまったのかと、気まずい思いをしていると予想外の人物が姿を見せた。


「……ハイレット様?」

「ああ、ロザリア様でしたか」


 もうひとりいたと思ったけれど、もう人影はないようだ。

 誰かと会っていたのは勘違いだったのだろうか?


「こんな時間にどうされましたか?」

「明日が楽しみで眠れなかったので、散歩していたのです。ですが、もう戻るところです」


 至極当然な質問をされて、私も素直に答える。ハイレット様はいつもより上機嫌な様子で、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。

 こんな時間に、こんなところでハイレット様とふたりになるのは危険だ。偶然とはいえ、もしアレスが見たら気分を悪くするだろう。


 私は踵を返して部屋に戻ろうとした。


「ロザリア様、お待ちください。せっかくですから少しお話をしませんか」

「いえ、アレスが心配するといけませんので、もう戻ります」

「……王太子妃の義務について、以前お話したのを覚えていますか?」

「はい……覚えています」


 ハイレット様の呼びかけに足をとめたのが失敗だった。王太子妃の義務と言いつつ、ハイレット様に嫁げと無茶苦茶な話をされた。セラフィーナ様は帝都に戻ったし、もう終わったものと思っていたのになぜ蒸し返すのだろう。

 販路確保のためにオースティン伯爵と契約も交わしたというのに、まだなにかあるのだろうか?


 うまく逃げられなかったと、こっそりため息をつく。

 噴水の前には白いベンチがあり、ハイレット様はそこに腰を下ろした。私も促されて渋々ベンチの端に座る。


「ロザリア様、貴女の望みはラクテウスの繁栄で変わりないですか?」

「はい、それは変わりありません。アレスの妻として役目を果たします」

「そうですか……おかわいそうに」


 かわいそう? いったい私のなにがかわいそうなのか?


「ロザリア様、貴女はどう足掻いても私の妻になる道しかないのですよ」


 またこの話か。前にも言ったが、そんなことはありえない。私の夫はアレス以外にいないのだ。


「申し訳ありませんが、そんなことが実現することはありません。下手をするとブルリア帝国が終焉を迎えるだけです」

「はははっ! ブルリア帝国の終焉か、面白いことを言いますね。先の提案が実現するかどうかは、貴女が決めることではない。私たちがそうしたいかどうかだ」


 本当に何度言ってもわかってもらえない。

 竜人が番以外を伴侶にするなんてありえないのに。私はハイレット様とこれ以上話すのに嫌気がさした。


「もう部屋に戻ります。では」


 そう言って立ちあがろうとしたら、ハイレット様が目の前に立ち、両手をベンチの背に乗せて私を閉じ込めた。端正な顔立ちは醜く歪み、私を見下ろす瞳には征服者の一方的な欲が浮かんでいる。


「帝国は偉大であり、世界の覇者となるのは私たちなのだ。いくらアレスが竜人といえども、本気になった帝国に抗えると思っているのか? ましてや妻の執事だといって世話を焼いて情けない男だと思わないか?」

「退きなさい。これ以上アレスを侮辱するなら、全力で魔法を放ちます」


 もう我慢の限界だ。これでもかと両手に魔力を集めていく。込み上げる怒りに身を預けたら、大変なことになるとわかっていてもとめられない。


「ふん、そんな悪あがきをしてもむ……ぐわあああああっ!!」

「俺の妻になにをしている」


 次の瞬間、転移魔法で現れたアレスが、アイアンクローでハイレット様の頭部を締め上げていた。

 シャツを羽織っただけでボタンすらとまっていない、急いで来てくれたのだとわかった。そんなアレスの夜空の瞳は仄暗い光を孕んでいる。


「ああああっ! 放せっ! ぐああっ!!」

「質問に答えろ。俺の唯一になにをしようとした?」

「ヒギィィッ!! わ、悪かった! ぐぐっ、は、話をしていただけだ!!」


 そこでやっとハイレット様は、アレスの手から解放されて地面にベシャリと崩れ落ちた。そのまま痛みに耐えかねてゴロゴロと転がっている。

 私はベンチから立ち上がり、アレスに寄り添った。


「ハイレット様、私のことはお好きにおっしゃってかまいません。ですが——私の愛するアレスを侮辱するなら黙っているつもりはありません」

「ぐっ……!」

「では失礼します。アレス、戻りましょう」


 地面に転がるハイレット様をそのまま捨て置いて、私はアレスと部屋に戻ってきた。


「本当に許せないわ……! アレスのことをなにも知らないのに、好き放題言って……!」

「ロザリア」


 最愛を侮辱されて怒り心頭だったが、アレスに名前を呼ばれて一瞬で頭が冷える。

 振り返ったアレスが、それはそれは惚れ惚れするような笑顔を浮かべていた。


「ロザリアは俺の腕の中で眠っていたと思ったんだが、なぜこんな時間にあんなところで皇太子とふたりでいたんだ?」

「あ、それはね、ちょっと眠れなくて散歩に出たの」

「へえ、こんな夜更けにたったひとりで?」


 アレスの笑みが深くなる。どうしよう、これは相当怒っている。滅多に怒ることがないアレスが怒るとどうなるのか、それは嫉妬を煽った時の比ではない。


「アレスがぐっすり眠っていたから、起こすのも悪いと思って……」

「確かに今夜はいつもより深い眠りだったが」

「そうなの、それで散歩に出たら偶然ハイレット様に会っただけなのよ?」


 私は正直に起きた出来事を説明していく。なにひとつ嘘はついていない。誠実に真っ直ぐにアレスに伝えた。


「そうか……では眠れればいいんだな?」

「ええ、そうだけど……アレス!?」


 ギラリと夜空の瞳が光り、一瞬で視界は天井に変わる。

 アレスの彫刻のような美貌が私を見下ろしていて、その瞳にはありありと劣情が浮かんでいた。


「今夜は我慢するつもりだったが、こうすればいつもみたいにぐっすり眠れるだろう?」

「え! 大丈夫! もう眠れそう!」

「悪いな、俺が眠れないから付き合ってくれ」


 そう言って、結局のところいつもと同じようにアレスの愛を注がれた。

 この日、後悔先に立たずという言葉が深く深く身に染みたのだった。




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