51話 お断りします!
クリフ商会長は尻尾を大きく左右に振って、いまかいまかと私の返事を待っている。ここはビシッとはっきり断らなければダメだ。
そう理解したのと同時にアレスが私とクリフ商会長の間に入り、背筋が凍りそうな冷めた声で言い放つ。
「俺の妻にこれ以上言い寄るな。この国ごと吹き飛ばすぞ」
「なにっ!? もう結婚してるのか!?」
アレスの言葉で獣人変身セットを外し、私が違う種族だと見せた。
そこで一気にしょんぼりするクリフ商会長に申し訳ない気持ちになるが、私はアレス以外は愛せないので仕方がない。ここですっぱりあきらめてもらった方がこの人のためだ。
でも、獣人でいう番ということは、他の人は選べないということだろうか? そもそも種族が違うのだから、なにか勘違いしてしまったのだろうか?
「いや、それでもかまわない! オレはお前を番にすると決めた!! オレに振り向いてくれるまで、あきらめない!!」
「私は夫以外愛することはありませんので、お気持ちに応えることはできません。お願いですから、他の方を探してください」
「お前を見つけた後で、他の女なんて選ぶ気にはなれねえ! わかってくれ!!」
こちらとて、わかってくれと言われても無理なものは無理だ。
どうしてこんな面倒な事態になってしまったのか、泣きたくなった。
とりあえずレッドベリルどころではなくなったので、アレスがクリフ商会長を抑えている間に他の店員を呼んできた。
獣人は番を見つけると興奮状態になり、時折手がつけられなくなるらしい。困った習性だと店員は苦笑いしていた。
こういう時は種族にあった鎮静剤を使用することで、強制的に眠らせるという。店員は香水のような小さなボトルを持って、三階へと一緒に来てくれた。
「離せっ!! オレは彼女と添い遂げるんだ!! オレには彼女しかいないんだー!!」
「黙れ、俺の妻だ。絶対にお前に渡さん」
クリフ商会長の絶叫とアレスの本気の怒りを孕んだ声が聞こえてくる。状況はさらに悪くなっているようだ。
アレスが後ろから羽交締めしていて、クリフ商会長が力の限りもがいている。
「うわ、会長ってばめちゃくちゃ興奮してるなあ」
そう言いつつも、リス族の店員はシュッと香水をクリフ商会長に振りかける。柑橘系の爽やかな香りが辺りに漂った。
するとクリフ商会長は意識を失い、大きな音を立てて床に倒れ込んだ。
「お客様、うちの会長が大変ご迷惑をおかけしました。明日には正常に戻ってますので、申し訳ないですがまたご来店いただけないでしょうか?」
「はあ、わかりました。明日、また来ます」
「それでは皆様のお名前を教えていただけますか?」
「はい……」
どっと疲れが出たので、今日はもう宿を取り休むことにした。アレスがいつの間にか私たち夫婦でダブル、ハイレット様にシングルで部屋を取っていた。
でもハイレット様は反論する気力もないようで、やはり調子が戻ってないようだ。
そしてやはりというか、予想通りというか、アレスの嫉妬心が燃え上がり朝まで寝かせてもらえなかった。
翌日はゆっくりと準備をして、午後からシトリン商会へ向かうことになった。
ハイレット様もすっかり元気を取り戻し、朝食の時間にはいつものようにアレスと私の間に割り込んできた。平穏な時間はもう終わったようだった。
宿屋の主人に獣人の番について尋ねてみると、他種族でも番になれるらしい。竜人と違うのは、獣人の番は互いに首の後ろを噛むことで成立するそうだ。
相手は直感でいいと思った異性に決めるのだという。どうやら私でなければいけない理由はなさそうだ。
街で昼食をとってからシトリン商会の店舗を訪れると、すぐさま昨日のリス族の店員が寄ってきて応接室へと案内された。
応接室ではすでにクリフ商会長が待っており、三人掛けのソファーへ掛けるよう促される。私の両サイドにアレスとハイレット様が腰を下ろした。
「昨日は本当にすまなかった! 運命の女性に会ったのが初めてで、どうにも本能を抑えられず恥ずかしいところを見せたな。せっかく買い物に来てくれたのに、無礼な真似をして悪かった」
そう言ってクリフ商会長は深々と頭を下げる。
確かに昨日は驚き精神的に結構な疲労が溜まったけれど、その後アレスにこれでもかと甘やかされ、愛されたのでそこまでダメージは負っていない。
「いえ、それはもう気にしていません」
「本当か!? やっぱりオレのロザリアは海のように心が広いな!」
「俺の妻を呼び捨てにするな」
ピリッとした魔力がアレスから放たれて室温が下がったのに、クリフ商会長は笑顔を浮かべている。獣人は気温変化に強いのか、まったく気にならないようだ。
「……私にはすでに夫がおりますので、そのような発言は控えてください」
「あっ、悪いな、つい……それで、ロザリアさんはレッドベリルを探してるので間違いないか?」
クリフ商会長は気まずそうにしながら、話題を変えていく。やっと本来の目的を果たせそうだ。
「はい、そうなのです。帝国でも探したのですが、仕入れるまでにかなりの時間がかかると言われ、直接こちらに出向いた次第です」
「そうか……せっかく来てもらったのにすまないが、あいにく在庫が切れてるんだ。こっちで用意するにしても二週間はかかる」
二週間……だいぶ期間は短くなったけれど、この状態で二週間は私が耐えられない。それにアレスに嫉妬してもらえるのは嬉しいけれど、それだけ心に負担をかけているということになる。
私は昨日一秒でも早くラクテウスに帰ると決意したのだ。他に方法はないのかとクリフ商会長に食い下がった。
「もっと早く手に入れる方法はありませんか? 自分で素材を探すこともできないのでしょうか?」
「うう〜ん、できなくはないけどな……かなり危険な場所にあるんだ。ロザリアさんの安全を考えると勧められる方法じゃねえな」
「なるほど、それでしたら心配には及びません。私とアレスは竜人の番ですから、他の方より頑丈です」
「ああ、竜人なのか! それなら大丈夫か……お連れさんはどうする?」
「当然、私もついていく。こう見えて剣も魔法も鍛えているからな」
山では調子悪そうだったのに大丈夫かと不安になったが、本人がここまで言うなら仕方ない。私も多少なら戦闘ができるし、アレスがいれば私たちが魔物と戦うことはあまりないだろう。
今までの素材集めも、私はほとんど戦闘に参加してこなかった。
「それでは、クリフ商会長。レッドベリルが採取できるポイントを教えていただけますか?」
「ロザリアさん、オレのことはクリフでいいよ。あとレッドベリルの採取ポイントまでは、オレが案内する」
「ではクリフ様。本当に私たちだけで結構ですから、どうか……」
「このシトリン商会で、これだけ早くレッドベリルを用意できるのには理由があるんだ」
クリフ様の顔つきが今までと違う。商売の取引をするかのように、本心を隠し鋭い視線を向けてきた。
「それは、オレがレッドベリルの採掘ポイントを匂いで嗅ぎ分けられるからだ。このスキルがなければ、広大な山の中でレッドベリルを掘り当てるのは不可能に近い。そしてこのスキルを持っているのは、狼族だけだ」
だからレッドベリルは希少で価値が高いんだよ、とクリフ様は続けた。
確かにレッドベリルの出荷量が極端に少ないのは、採掘できる場所が都度変わるからだとも言われている。見つけた時に採取しなければ、次にいつ目にするかわからない。そんな不思議な素材だ。
アレスに視線を向けると、穏やかに微笑みを返してくれた。
これは、私の好きにしていいとう時の表情だ。
本当なら、クリフ様とはあまり関わりを持ちたくない。ただでさえハイレット様が同行していて、面倒な状況だからだ。ここでさらに問題を増やすのはどうかと考えた。
今ある素材で魔道具の開発を進められないか、そんな風に考えているとクリフ様が追い打ちをかけてくる。
「ロザリアさん、あんたが魔道具の天才開発者だと言うことはオレも知ってる。画期的で身近な魔道具をたくさん作ってきたし、このシトリン商会でも数多く取り扱っている」
この話の流れは、私の経験上いい話になることがない。クリフ様は私がなにをしたいのか、すでに理解しているかのように追い詰めてきた。
「そこでオレがロザリアさんの商品を取り扱わないと言ったら、どうなるか想像できるか?」
「…………」
そんなの言われるまでもなくわかっている。魔道具を開発したところで店に置いてもらわなければ、欲しい人には届かない。ラクテウスで学んだのは、欲しい人に商品があると知ってもらわないと売ることすらできないということだ。
だから私はラクテウス王国のためにも、販路を拡大しようと動いてきた。
「ロザリアさん、オレはチャンスがほしいんだ。確かにあんたは結婚しているが、なにもしないであきらめられない。せめてオレという男を見てから、ちゃんと判断してほしい」
これはどう考えても私に選択肢がない。今ある素材で魔道具の開発ができたとしても、ここで断ればその先の未来がないのだ。
だからといって、そのまま素直にお願いするのも危険な気がする。ここはしっかりと確約をもらった方がいいだろう。
「ではチャンスを与えた上で私の気持ちが変わらなければ、キッパリとあきらめてくださいますか?」
「ああ、その時はもちろん、キッパリとあきらめる。それにオレが商会長のうちはロザリアさんの魔道具を最優先で取り扱うとお約束する」
「わかりました。それでお願いします」
どうしてこうなってしまうのか。アレスに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
我慢を強いるアレスに、私はなにができるのだろう。
その答えは、その日の夜に明かされた。
普段なら絶対に聞くことがないけれど、縋るようにお願いしてきたアレスに絆され受け入れる。
まさか兎族(茶兎)セットを身につけてくれと言われるなんて、こんなところで役に立つとは思わなかった。