42話 目的は販路拡大です
「ラクテウス王国より、アレス王太子殿下ならびにロザリア妃殿下のご入場!!」
会場内へ響く高らかなラッパと係の宣言に誘われ会場へ足を踏み入れると、会場中の視線が集まった。騒つく参加者たちを尻目に、私とアレスは優雅に進んでいく。
ブルリア帝国の建国記念パーティーには、帝国の高位貴族はもちろん、各国の国王夫妻や外交官が参加していた。アステル王国ではあまり目にする機会がなかった種族もいる。
獣型の耳や尻尾を持ち、身体能力に恵まれた獣人。魔力の扱いに長け、どんな魔法も操る魔人。
今回は建国二百年ということもあり、世界中からさまざまな大勢の王侯貴族たちが集まっていた。
「これは……新しい販路を開拓するのにもってこいだわ……!」
「販路の開拓……? 魔道具の?」
「ええ、もちろんよ。ラクテウス王国を魔道具で豊かにするのが、私たち王太子夫妻の役目でしょう? 国内は十分だから、次は世界中に流通経路を作りたいの」
「さすが俺のロザリアだ。いつでも誠実で聡明で頼り甲斐がある」
そう言って、アレスがうっとりした微笑みを浮かべると、周囲から女性の黄色い声が上がった。さらに輝きを増したアレスに、私の心臓も大きく鼓動する。
でも今日はブルリア帝国の風習に合わせて、夫婦が揃いでつける指輪を私たちもつけてきた。アレスはエメラルドの指輪を、私はラピスラズリの指輪をそれぞれ左手の薬指につけている。
だから変に絡まれないとは思うけれど、アレスが奪われないかと焦りが込み上げてきた。
「ア、アレス! 早く皇帝陛下にご挨拶に行きましょう! ここにいたら、他の貴族たちから熱い視線が送られてしまうわ」
「確かに、それはそうだな。俺のロザリアに虫がついたら面倒だ。さっさと用件を済ませよう」
アレスの完璧なエスコートに、学院の卒業パーティーの日を思い出す。あの時と違うのは、アレスのパートナーとして堂々と隣に立てることだ。
皇帝の前まで来ると、アレスが挨拶の口上を述べた。
「此度は貴国の建国記念パーティーへの招待に感謝いたします。ラクテウス王国を代表して、王太子である私アレスと妻ロザリアでまいりました」
「アレス王太子殿下、ロザリア妃殿下。昨夜に続き建国記念パーティーへの参加に感謝申し上げます。どうぞゆるりと楽しんでくだされ。後ほどハイレットとセラフィーナも挨拶に向かわせます」
「いえ、それには及びません。こちらも勝手に楽しませてもらいますので、どうかお気遣いなく」
要するに放っておいてくれと告げて、アレスは踵を返した。
「よし、皇帝への挨拶も済んだから、もう好きに動けるな」
「ええ、まずは誰から声をかければいいのか……帝国の貴族でも販路に影響力が強い領地を持つ貴族かしら。でも大商会を経営する貴族も捨てがたいわね」
「ロザリア、その前にやることがあるだろう?」
「え? 私なにか忘れてた?」
さっと思い返すけれど、心当たりが浮かばない。いったいなにを忘れているのだろう。真剣に考えていると、苦笑いを浮かべたアレスが私の正面に立った。
エスコートのために添えていた左手は、いつの間にかアレスの右手に捕らわれて、ラピスラズリの指輪に唇を落とされる。
「愛しい妃殿。俺とダンスを踊っていただけますか?」
こういった夜会やパーティーでは一番最初にパートナーと踊り、誰が誰の相手か周囲に知らしめるものだ。元夫の相手は別にいたから、こういった機会がほとんどなくすっかり失念していた。
途端に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、満面の笑みを浮かべて答える。
「もちろんですわ、愛しい旦那様」
アレスが破顔して、周りがどよめいたのは気付かないふりをした。
そのままダンスフロアへ進んでアレスに寄り添うと、スマートなリードが始まる。今まで何度か元夫と踊ったことがあったけれど、比べ物にならないくらい踊りやすい。
支えられる手のひらには安心感があり、無茶な体重移動もなく優雅に舞うような足運びができる。久しぶりのダンスで肩に入っていた力も自然に抜けていった。
そういえば、アレスとは夜会やパーティー、練習も含めてダンスをしたことがなかったと思い出す。
「アレスがこんなにダンスが上手だなんて思わなかったわ」
「これでも一国の王子だったから、これでもかと教えられたんだ。番が貴族のご令嬢だった時にどうするんだ、と母上に言われたから必死で覚えた」
「ふふっ、サライア様は先見の明があるのね」
「ああ、おかげでロザリアを笑顔にできたし、こんな極上の女性が俺の妻だと見せびらかすことができた」
「まあ、それは私も同じだわ。こんな素敵な男性が私の夫だと宣言できたのですもの」
軽やかにステップを踏みながらクルクルと回り、参加者たちが踊る合間をすり抜けていく。
私の瞳にはアレスしか映っていない。アレスもまた私以外を映していない。お互いだけを感じて、見つめて、あっという間に三曲目まで終わってしまった。
「ふう、もう三曲も踊ってしまったわね」
「そろそろ貴族たちと交流しに行くか」
「そうね、飲み物も欲しわ」
「わかった。シャンパンでいいか?」
「ええ、お願い」
ダンスホールから抜け出し、アレスが飲み物を探しにいった。
まずは誰から声をかけようかと観察しながら移動していると、背後から呼び止められる。
「ロザリア様。先ほどは見事なダンスでした」
「ハイレット殿下。昨日は楽しい時間を過ごせました。本日も素敵な建国記念パーティーですわね」
「こちらこそ、楽しい時間はあっという間でした。よければ私とも踊っていただけませんか?」
そういってハイレット殿下が、右手を差し出してくる。
正直なところ喉もカラカラだし、もう少し待ってもらいたい。それにアレスのいないところでダンスに誘ってくることに、違和感を覚えた。
誠実な貴族男性なら、パートナーの不在時にダンスに誘ったりしない。あらぬ誤解を生む恐れがあるからだ。自分のためにも相手のためにも、慎重に行動するものだ。それとも皇族ともなればその辺りはあまり気にしないのか。
「恐れ入りますがすぐに夫が戻ってまいりますので、少しお待ちいただけますか?」
「その必要はないと思いますよ。アレス殿下はセラフィーナがもてなしております」
ハイレット殿下の言葉を聞いて、湖面が波打つように私の心も揺さぶられた。
私のアレスに、あのセラフィーナ皇女が近づいているの? 私の見えないところで?
「誤解しないでください。私はただ、魔道具の話がしたいのです。その間、アレス殿下が退屈されないようセラフィーナに相手をするように頼んだのです」
「魔道具のお話でしたら、アレスがいても問題ありませんわ。素材集めについては私より詳しいですから」
「そうでしたか、そうとは知らずに申し訳ない。ですがせっかくなので、ダンスもご一緒いただけませんか?」
それでも執拗にダンスに誘うハイレット殿下に様子に、昨夜アレスが言った言葉が蘇る。
『お嬢様、あの皇太子の視線に気が付かなかったのですか?』
いや、そんなはずはない。だって私はもう結婚しているのだ。アステル王国の時だって、そんな風に言い寄ってくる男性はいなかった。それにハイレット殿下には婚約者がいるし、アレスが心配しすぎなだけだと思う。
現に柔和な笑顔を浮かべたハイレット殿下は、真っ直ぐなプラチナブロンドの髪を揺らして、翡翠のような緑眼を細めている。その瞳の奥は春の陽だまりのように穏やかだ。
それにこういったパーティーや夜会では他の異性と踊ることなど、特別なことではない。これも外交の一種なのだから。
「わかりましたわ。では一曲だけ」
「ありがとうございます! ですが、もし二曲付き合っていただけたなら、ロザリア様の願いをひとつ叶えましょう」
二曲続けて同じ相手と踊るのは、相手に好意があるとみなされる。お互いに婚約者や伴侶がいる場合は別だけれど、それでも通常よりも親密だと周りは思うものだ。
きっと両国が友好的だと知らしめたいのだろう。だからダンスを断る私に食い下がり、こんな条件をつけたのだ。
それに、ハイレット殿下の申し出が本当ならば、帝国での販路拡大が大きく前進する。例えば運輸業を営む貴族を紹介してもらってもいいし、大商会を営む貴族を紹介してもらってもいい。場合によっては、ハイレット殿下と魔道具の輸出に関して有利な条件で契約できるかもしれない。
「本当ですか?」
「はい、嘘は申しません。私にできることならなんなと」
「……わかりました。では二曲お付き合いいたします」
あまり気が進まなかったけれど、販路拡大のためと私はハイレット殿下の手を取った。